まず結論(3行)

ファミコンの『ファイナルファンタジーIII』の飛空挺は、ただの乗り物じゃなかった。
あれは“移動”ではなく、解放の体験だった。
そして今、開発の修羅の門を少しかすった側になって、あれがいかに異常な仕事だったかが分かる。


僕らは、あのビット数で確かに空を飛んだ

飛空挺が手に入った瞬間のことを覚えている人は多いはずだ。

それまでのRPGは、

  • 歩く
  • 船に乗る
  • 地形に止められる

という、広いようで閉じた世界だった。

そこに突然、プロペラだらけの船が浮き上がる。
2Dマップの上を、山も森もまるで存在しないかのように、すーっと滑っていく。

当時の僕らは、技術なんて知らない。
容量の限界も、処理の都合も、裏側の事情も何も分からない。

でも、ひとつだけは分かった。

「空を飛んでいる」

それは錯覚じゃなく、体験だった。


今なら分かる、あれは“技術の限界突破”だったと

後になって知ることになる。

FF3の飛空挺のあの異様な速度。
地形を“障害物”として扱わず、世界を突き抜けていく挙動。

あれは、優等生的な正攻法の実装じゃない。
どこかで“枠をはみ出した”処理。
場合によってはバグと紙一重の領域。

そこで語られる、ひとつの名前。

ナーシャ・ジベリ。

限界だらけのハードの中で、「できない」を「できる」にねじ曲げた男。
バグかもしれない挙動を、「これは面白い」と判断して、そのまま体験として残してしまう度胸。

修正よりも、整合性よりも、

プレイヤーが感じる“奇跡”を優先する判断力。


僕らは知らないまま、神話の中にいた

当時の小学生にとって、

  • メモリの容量
  • 処理速度
  • 技術的制約

そんなものは存在しない。

あるのは、

「空を飛んでいる感覚」

だけ。

スーパーファミコンで地平線が霞み、世界が立体になる遥か前。
あのファミコンのビット数で、どれだけの小学生が同じ錯覚を共有しただろう。

そう。

僕らは確かに空を飛んだ。
そして、あの速度を身体で覚えた。

それがバグだろうが裏技だろうが、もうどうでもいい。
体験は、本物だった。


修羅の門をくぐった側になって、初めて分かること

僕は未だに、バグが出るたびにTゾーンてかてかにして脂汗をかく側の人間だ。

「動いた…なぜだ…」
「さっきまで動いてたのに…」
「この挙動、直したら何か壊れそう…」

そんな日々。

プログラミングの修羅の門――
鬼の道へと続く入口を、ほんの少しかすっただけの自分ですら思う。

あの時代に、あの限界の中で、
飛空挺を“体験として成立させた”のは、
ちょっとおかしいレベルの仕事だと。

当時は分からなかった。
ただ「空を飛んだ」と思っていた。

でも今は違う。

あれは、修羅の向こう側で生まれた体験だった。


512KBで、僕らは10GB分の夢を見ていた

ファミコンソフトに許された容量は、驚くほど小さい。
『ファイナルファンタジーIII』ですら 512KB

今のデジカメの写真1枚がだいたい2MB。
つまり、写真1枚の4分の1程度の情報量。

それが、36年前の“世界”だった。

当然、美化もしている。
記憶は膨らみ、演出は盛られ、実際にはなかった動きまで脳が補完しているだろう。

でもそれでも思う。

当時、あの飛空挺に乗った時の満足感は、
今のスマホゲームで言えば10GB級だった。

容量じゃない。
解像度でもない。

体験の密度が違った。


あれは芸じゃなく、芸術だった

ナーシャの仕事はよく“神技”とか“伝説”とか言われる。

でも今、開発の現場に少し足を踏み入れた人間として思うのは、

あれは単なる技巧じゃない。

芸術に近い。

バグかもしれない挙動を、
「面白いから残す」という判断。
技術的な正しさより、
ユーザーが感じる“奇跡”を優先する姿勢。

これはもう、プログラムというより表現だ。


今の時代に、同じ神話は生まれにくい

今は環境が整いすぎている。

容量もある。
描画力もある。
ミドルウェアも整っている。

だからこそ、

「バグを利用してでもUI / UXを感動にまで昇華させる」

ような、あの極限の職人芸は生まれにくい。

困らない環境では、奇跡は起きにくい。


それでも、残しておくべき神話がある

でも、あの時代の仕事は消えない。

ナーシャのような仕事は、
「昔の苦労話」ではなく、
ユーザーに感動を届けるための姿勢の話だ。

もし自分が何かを作るなら、
どこかにこの神話を残しておきたい。

限界の中で、
正しさより体験を選び、
奇跡を残す判断。

それはエンジニアの武勇伝じゃない。

エンジニアの神話だ。