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Episode

第一話 メルキア公国

 アルフォンス達がダルングスグル共和国から、シリル連邦共和国に入る少し前の事。密林国アケル北西部の森林深くで、樹々のなぎ倒される轟音ごうおんが響いた。同時に地響きが辺りを揺らし、鳥達が一斉に飛び立って逃げて行く。土や樹々の破片が飛び散る上空に、白く長い影が伸び上がり、咆哮ほうこうを轟かせた。

 霞鋼甲龍シルヴェンドラゴンの眼が、怒りに紅く染まる。

 澱んだマナの集まる暗部を好み、普段はほとんどを寝て過ごす穏やかな性質だが、ギルドでは特A級指定とされる獰猛な龍種である。濃密な魔力を圧縮した、鋼よりも頑強な鱗に覆われ、物理的な攻撃はもちろん魔術も極めて効きにくい。
 それだけでも充分に厄介な存在だが、興奮状態に陥った時に乱発する、強烈なブレスの脅威こそが災害並に危険視される理由である。

─── 別名『燼王じんおう

 その怒りに触れた時、その地には灰か、燃えがらしか残されない。上空に伸びた燼王の首を、青白い光が喉に向かって、込み上げて行く。牙のはみ出した口元から、破壊の光が漏れて、森の日陰を青白く照らし出す。その足下にはふたりの赤豹族の少女と、複数の獣人族の一団が、身構えて立っていた。

「お姉ちゃん! ブレス来るの!」
「ゥオオオラアァァァ─── ッ‼︎」

 ズドォンッ‼︎

 爆裂音と共に衝撃波が樹々を揺らし、拳が燼王の首の中程に、大きく食い込んだ。口から青白い光の弧を残して、樹をなぎ倒しながら、白銀の超重量の巨体が放り出される。その瞬間、横たわった燼王の口でブレスが暴発し、広大な森林に青白い光の路が突き抜けた。強烈な閃光と共に、光の抜けた後には、赤熱した林道が出来上がる。

「うわぁ、あんなの当たったら、どうなっちゃうの……?」
「……硬い。ユニ、ボサっとしない、魔力を集めてる。反撃来るよ! 貴方達もすぐにここを離れるのよ! 防御できる攻撃なんか、コイツは撃ってくれない」

 エリンが言い終わるや否や、周囲の至る所に光の魔法陣が浮かび上がり、獣人達を取り囲むとゆっくり回転を始めた。

  龍種の使う種族固有の魔術。その向こうで、燼王は怒りに燃える紅い眼で射抜くように睨みながら、ゆっくりと起き上がる。燼王の魔法陣から感じられる魔力は、ただそれだけで耐性の弱い者なら、卒倒する程の圧力を秘めていた。獣人達は緊張の面持ちで発動に備え、退避するための肉体強化に魔力を注ぎ込む。

 シュオオオオォォォ……ッ‼︎

 張り巡らされた魔法陣から、奇妙な音が鳴り響いた瞬間、人の手首程の太さの光線が縦横無尽に放射された。瞬きの暇も許さぬ速度で、空気すら焼き切りながら、網目のように放たれる。

 森中から樹々が倒れ、ぶつかり合う甲高い音と、葉擦れの騒めきが鳴り響く。辺りは木の焼ける臭いに混ざり、朽木や腐葉土、そしてタンパク質の焦げる異臭が漂っている。白煙が充満して、酷く悪くなった視界には、光線の走った跡を示す赤熱の筋が至る所に交錯こうさくしていた。

 グロロロロロ……

 獣人達の気配が消えた森に、燼王の鳴らす喉の音が満足気に響いている。そうしてしばらく辺りを見回した後、燼王は再び首を上空に伸ばし、大地を揺るがす咆哮を上げた。怒りに染まっていた紅い眼は、金色に戻り細められる。

 その視線の遥か先に、人間の住む都市が写っていた。数百年、燼王は密林の奥地にあった魔力溜まりに寝て過ごし、ひとつの感覚で目を覚ましたばかりであった。

 空腹。永らく何も入れていなかった胃袋は、人間の形跡を見つけた途端に蠢動しゅんどうと分泌を始め、燼王の欲求を最高潮に押し上げる。かつて喰らった柔らかな人肉の味を思い出し、耐え難い欲望に眼はらんらんと輝いていた。

「う……うぅ……」

 燼王の眼が足下へと向けられた。そこには脚を焼き切られた、手負の獲物が呻き声を漏らしながら、顔を起こす姿があった。

「エリン先生……! ユニ……先生……み、みんな……‼︎」

 立ち上がろうとして、ようやく片脚を失った事に気がついた若者は、声すら出せずに口をわななかせて辺りを見回している。

「あ……アレ? 俺の……脚。……脚どこだよ」

 キョロキョロとせわしなく見回す内に、その視線が巨大な白銀の悪夢の脚に止まった。小さく喉を鳴らして、若者の瞳孔が限界まですぼまる。

「う、うわ……ああ……あ……」

 声にならぬ声で、残された三本の手足で必死に後退る獲物に、燼王の口元がニイと歪んだ。その時、燼王の耳元に、どこか愉し気な声が囁かれた。

「─── ここは柔らかそうね」

 今燼王の瞳孔が急激に締まり、突如響いたその声を追って、眼球がぐるりと動く。しかし、視点がその声の主を捕らえるより先に、小さな赤茶色の影の腕が、燼王の眼球に肘の近くまで突き込まれた。

  バチュンッ! バシャシャ……

 眼球の強膜が破れ、内圧でゼリー状の硝子体が、水音を立てて流れ出た。反射的に閉じられる上まぶたを、もう片方の手で受け止めて、眼球内に突き込んだ腕を更に肩口まで捻り込む。その赤茶色の影……赤豹族のエリンは、ニヤリと口角を吊り上げて、目を閉じた。血混じりの硝子体の濁流の中、指先を見る事もなく、魔術印を瞬時に描き終えた。

─── 【雷狐かみなりきつね】!

 片目に食い込む小虫ごと、地面に叩きつけんと、首を振り下ろしかけた燼王がビタリと動きを止めた。それと同時に、食らいついていた影が腕を引き抜き、燼王の頰を蹴って飛び跳ねる。直後、燼王の眼窩から閃光が突き抜け、全身が大きく激しく痙攣して、反り返るように硬直した。

  パァンッ!

 残された反対側の眼が破裂して、沸騰した体液が溢れ出すと、穴という穴から蒸気を上げて地に倒れた。全身を鋼の鱗で覆った巨龍も、内部からの雷撃には抗いようもなかったようだ。内部を駆け巡る雷撃は、脳からの電気刺激を踏み潰し、ただただ筋肉を硬直させる。だが、流石は龍種、シュウシュウと全身から湯気を立て、それでも尚、足掻こうとしていた。

「まだ息がある、しぶといヤツね。あたしは今、イラついてんだ。……とっとと逝けぇッ!」

 エリンの周囲に、複数の印が浮かび、肉体強化が何度も重複して掛けられて行く。全身の筋肉が唸りを上げて隆起し、鉤爪が太く黒光りした凶器へと変貌する。その爪が、横たわる巨龍の胸部の鱗へと掛けられた。

 バリッ! メリ、メリメリメリ……ッ!

 勢いよく皮ごと引き剥がされ、そのまま盾にでもなりそうな鋼の鱗が、重苦しい音を立てて地面に落ちてめり込む。みるみる内に、胸部の鱗が剥ぎ取られ、鮮烈な桃色の肉が露わになった。そのビクビクと震える生きた肉を前に、エリンの眼がギラリと光る。

「─── 大丈夫? 今治してあげるの!」

「あ……ユニ……先生ぇ……」

 茫然自失でエリンの闘いを見ていた若者が、ユニの声に気付いた途端に、ボロボロと大粒の涙をこぼす。その様子に少し困ったような笑顔を見せつつ、ユニは魔術印を描き、回復魔術を発動させた。若者の体が光に包まれ、欠損した脚が急速に再生して行く。

「みんなは、ケガはない?」
「「「はいッ!」」」

 いつの間にか、姿を消していた獣人族の一団が、ユニと若者の周りに集まっている。エリンとユニ、そしてタイロンの三人が魔術印を教えて周る旅、そのアケル最後の生徒達だ。燼王の光線から逃げ遅れた若者を除き、全員が最大限に高められた肉体強化の恩恵で、青白い光の脅威を逃れていた。

 すでに彼らは魔術印の技法を身につけ、後は配られた術式の教本を元に、各々修練を積むレベルに達している。エリンとユニのふたりは、今までの旅の間に、アルフォンスの書き残した魔術印を全てマスターしていた。

 ボト……ッ! ブシャア……

 赤子程の大きさの肉片が、彼らの足元に散らばり、サーッと生温かい血の霧が顔を撫でた。燼王の巨体が脈動するように、大きく振動する度、その肉片の数と血の量が増えて行く。

「お、お姉ちゃん……うわぁ……」
「「「はわわわ」」」

 胸に大穴を開けた燼王の内部から、エリンの雄叫びと共に、暴虐の音が断続的に響いていた。トドメを指すために胸元から心臓に向かって掘り進んでいるようだ。そのトンネルから爪を振るう音、魔術の爆裂する音、閃光と共に血肉が飛び出し、時にはエリンの高笑いがくぐもって聞こえる。

「ああ、お姉ちゃん、禍々しいの……」
「「「はわわわ」」」

 やがて一際大きな破裂音が突き抜け、燼王の肉体から、明らかに硬直が失われた。どうやら心臓を破壊され、完全に絶命したようだ。溢れ出る血液に、足首まで浸かりながら、朱に染まったエリンがザブザブと音を立てて歩いて出て来た。
 未だ興奮状態が冷めやらぬのか、エリンは口元に滴る返り血をペロリと舐め、鋭い目つきで今度は燼王の頭部に狙いを定めた。

「ああ、こんなんじゃ、気晴らしにもならないわね。せめてこの馬鹿みたいに硬い鱗ごと、気持ちよくぶっ壊さない事には……ブツブツ」

 研ぎ澄まされた刃物の如き殺気が、獣人達を震え上がらせる。そしてその直後から繰り広げられる、硬い頭部への凄絶な暴力の嵐に、何人かはペタンとその場へ座り込んでしまった。

「お姉ちゃん……の」
「え……怒ってるんですか? 一体何が……」
「あ、キレてるって、怒ってるって事じゃないの。ちょっと大事な成分が切れかけているの」
「……成分?」
「「「はわわわ」」」

 森林をズシンズシンと、エリンの生み出す重苦しい振動が、鼓動のように揺らしている。

  パラリラッパラ〜♪

 その時、上空から間の抜けたラッパの音が響いた。羽の音を鳴らして、樹々の合間の空を旋回していたものが、ユニ達の方へ声を掛けた。

「おーい! そこの人達の中に、エリンさんとユニさんって居ますかぁ〜? て言うか、降りて大丈夫ですか?」
「あ、私ですなの! もう大丈夫。こっちこっち♪」

 鳥型獣人の『郵翼便』だ。移動の多い獣人の中で生まれた職種で、手紙やちょっとした小包のやり取りに、広く活躍している。樹々に邪魔されて、姿が見えなかったり、声が届かない事が多いため、ラッパを吹いて存在を確認するのがトレードマークのようになっていた。

「うわー! 空から見てましたけど、凄かったですね! こんなでっかい龍種初めて見ましたよ〜」
「あはは。何か急に起きちゃったみたいで、何とかしてくれって頼まれちゃったの」

 燼王出現の前に、すでにエリン、ユニ、タイロンの魔術印普及の旅は終わっていた。家庭持ちのタイロンは、予定より伸びたこの旅が終わると、急ぎ南部へと戻っていった。

 エリンとユニが、たまたま野暮用で残っていたところに、アケル北部ギルドからの緊急依頼を受け、燼王討伐に乗り出す事となってしまった。アルフォンスの後を追うつもりで、意気揚々としていたエリンは落胆、半ば捨て鉢の体でこの北西部に乗り込んでいたのだった。

「えーっと、こちら熊耳商会のペイトンさんから預かったお手紙です♪ 受け取りにサインお願いしま〜す」
「ご苦労様なの! うわ〜ペイトン翁からだぁ♪ どれどれ」

 獣人のネットワークによく通じたペイトンからは、こうして定期的に彼からの手紙と、彼を経由したアルフォンス達からの手紙が届けられていた。しかし、ここ最近はアルフォンスからの手紙が途絶え、ペイトンからの手紙だけになっていたのだ(アルフォンス達はムグラのいる地下に潜っていたり、シリル国境を目指し広大な草原を進んでいた頃)。

 尻尾をピンと立てて、時折先を揺らしながら、ニコニコ顔でペイトンからの小包を、大事そうに丁寧に開ける。その間、他の獣人族をはじめ、郵翼便の鳥人は横で弾け飛ぶ巨龍の亡骸を硬直して見ていた。

「ふん。なぁんだ、鋼の鱗もこの程度なのね。ああ! 足りないッ! アル様成分が大きく著しくすっかりグバッと足りないんだあたしにはッ‼︎」

 ビシビシに割れまくった鋼の鱗に覆われた、見るも無残な燼王の顔を、思い切り蹴り上げる。吹き飛んだ頭が、長い首の弾力でバインと跳ね返り、地面に叩きつけられた。

「「「ヒイィ……ッ!」」」
「お姉ちゃーん! 届いたよ!」

 ピクリ……ッ

 土煙と巨大な亡骸を背に、エリンがゆっくりと振り返る。わずかにその姿がブレた瞬間、ビーチフラッグよろしく、手紙の束をむしり取るようにして地面を滑って行った。その姿は脱兎の如く森に消え、やがて間も無く『うふぉー』とか『どぅっふぅぅっ』などと、人語を超えた何かを叫んでいるのが聞こえてきた。

 魔術印を教えていた時の、エリンの姿からは想像もつかない破天荒な振る舞いに、生徒である獣人達は困惑を更に深めている。

─── 十数分後

 清浄の魔術ですっかり汚れを落としたエリンが、キリッとした表情で戻って来た。

「ユニ、何をボサボサしているの? 私達の使命は終わったのよ? とっとと出発しましょう」
「え、えっとお姉ちゃん? 一応聞いておくけど、どこに行くのかな……?」

 妹の問いにエリンはザッと背を向け、ある方向を指差して叫んだ。

「ゴー・トゥ・ダルン共和国……だっ!」
「……お姉ちゃん、そっちは反対側なの」

 眉を下げてそう言いながらも、ユニの尻尾は嬉しそうにピンと立ち上がっていた。

 ※ ※ ※

 俺達は高台から、鉛色の空に押し込められたような、メルキアの風景を見下ろしていた。メルキアは国土の東側を、世界最高の標高を誇る山脈『サァルヘイム山脈』に面し、湿った風が吹き降ろす地形にある。そのせいか、年中曇天が続き、冬はシリルより遥かに雪が多い地方だ。今は春だが、気温が上がりにくいせいか、未だに雪が固まって残っている所も多い。

 シモンの実家のある都市『レジェレヴィア』を目指すには、いくつかの都市を経由しながら北上する事になる。

 メルキア公国領への入国は、ゲオルグ王の書状ひとつで何ら問題なく済ませる事が出来た。シリル入国の時と同じく、切り立った山脈を越えて訪れる者は無いようで、やはり国境警備兵には驚かれてしまった。

「うーん、ヴァンパイア、ヴァンパイアかぁ……」
「あー、スタルジャ、やっぱり怖い? 何なら俺のズダ袋の中に入ってれば安全だけど」
「あ、ううん。怖いんじゃないよ。どんな人達なのかなぁって、話では聞いた事あるけど、実際に会った事ないんだもん」

 メルキア公国の国民全部がヴァンパイアってわけじゃない。シモンの一族が治めるレジェレヴィア領と、二〜三の都市をそれぞれヴァンパイアの一族が治めている。およそ八百程がヴァンパイアで、全人口の内2%程度でしかないそうだ。

「ヴァンパイアの発祥は分かってないんだ。人族より先にいたとも言うし、魔神族に近い種族から生まれたとも言われてる。生まれつきは『真祖』って呼ばれて、不老不死の肉体で、魔力と身体能力は人間に比べれば桁外れ。それに血を吸われると『吸血鬼』になって、真祖よりは格段に下がるけど、魔物に近い強力な存在になるってのがよく知られてるな」
「人の血を吸うんだよね? じゃあ、吸血鬼だらけにならないの?」
「吸血鬼に血を吸われると、みんな吸血鬼になるけど、真祖の場合は自分の意思で吸血鬼にするかどうか決められるらしい。それに血を飲むのは、抑えようとすれば、魔力とか生命力の吸収でもいけるみたいだ」

 大昔には一度、吸血鬼が増え過ぎて、とんでもない事態に陥った事があったらしい。レジェレヴィアの真祖一族が、その吸血鬼軍団と、その原因になった真祖の一族を滅ぼした事で解決したと伝えられている。その時に各真祖一族のトップが集まり、魔術的な契約を結び、吸血鬼を生み出す事と人族への侵略行為を禁止した。

「今は各一族のトップが数年おきに、総領を交代して、力が偏らないようにしてるって言うところまでが一般的か。ただ……」
「ただ?」
「これはシモンから聞いた、余り知られてない事実なんだけど、何故かある時期にはパッタリと真祖が消えるらしい」
「─── え? ヴァンパイアが居なくなっちゃうの?」

 シモン曰く、どちらかと言えば普通の人間が、数十年から数百年に一度、ヴァンパイア化するそうだ。そしてまた数十年から数百年経つと、寿命も力も普通に戻り、ただの人間になる。このサイクルを繰り返し、メルキアの一族は世代交代をしながら、この地に暮して来た。シモンはそのヴァンパイア化する時期を、どうにか無くせないかと、研究を続けている。

「へぇ〜、でも人間よりヴァンパイアの方が強いし、長生きじゃない? 逆にずっとヴァンパイアの方が良くない?」

「子を成せなくなるらしい。それに不老不死の時は、色んな事に意欲がなくなっちゃうんだって言ってたな。終わりの無い生は、生きる事への真摯さが無くなるんだって。俺にはどんなものか分からないけど、何となく想像はつくなぁ」

 俺とスタルジャの前を、ティフォがベビーモスとミィルと、遊びながら歩いている。彼らも不老不死と言える存在だが、今こうして遊んだり、食に執着する様にそう言う後ろ暗い雰囲気は皆無だ。

 ティフォが時折見せる、喜びの表情は凄い破壊力だし、本当の姿になった時なんて情熱の塊って言うか……ドキドキする。生きる事への真摯さが無いって感じじゃない。ミィルは遊びとか食事とか、人間の暮らしを見るのが楽しくて堪らないって感じだし。ベビーモスは……まあ、もふもふだし。

「ん、ふろーふしってだけで、無気力にはならないよ?」
「……うおっ! き、聞いてたのか」

 心でも読まれたのだろうか、ジト目の奥に微かな熱が感じられて、ドキドキしてしまった。

「じゃ、じゃあどうして真摯さを無くすんだ?」
「ん、目的。たましいが、やる気なくすのは、目的がなんどもダメになって、目的をもつのをあきらめたとき。だよ? それはどんな生き物もおなじ」

 それも解る気がする。里での修行時代、何度かぶっ壊れたけど、それは同じ壁に何度もぶつかった時だ。それも一時期に、武術、魔術、薬学に数学、鍛治技法……複数同時につまずいて、努力の仕方を見失った時。
 落ち着けば突破口もあるんだけど、絶望感に視界が狭まって、突破する扉を開けもせずに、その扉に『どうせ無駄だ』と貼紙をしちゃう感じだ。意外とそんな時は、全然関係ない事に気持ちを向けて、また戻って来た時にスルッと越えられたりするもんだったりするのだけれども。

「ティフォの目的って何だ?」
「ん、この世界にくるまでは、居場所をさがすこと、だったよ?」
「今は?」
「ん、しあわせな居場所みつけた。もっとずっと、しあわせになる」

 そう言って、首を少し傾けてにこっと笑うと、飛び込むように抱き着いて来た。俺が最後に壁にぶち当たったのは、ティフォと出逢う直前だったな。自暴自棄になって逃げ出して、ティフォと出逢った。

 あの頃はまだ、彼女はただの触手の塊だったけど、それを『』だって言い張った。『妹』の居る家に帰る。それを毎日の目的にしてたら、いつの間か壁を越えてた。冷静に考えれば、黒い触手のモジャモジャを、妹って言い張るのも相当アレだけど、それを守りたいって気持ちに支えられたのは確かだ。

「そっか、俺が先に進んでこれたのも、ティフォが居てくれたからだったんだな」
「んふー♡」

 押し付けた鼻で、荒く息をするもんだから、鳩尾みぞおちの辺りが熱い。これ離れた後、湿って冷やっこくなるやつだ。ティフォを抱きながら、フワフワの髪を撫でていたら、スタルジャが周りをウロウロし出した。

「あー、いーなー! 私も私も、次予約! ソフィも予約しとく?」

 スタルジャがきゃっきゃしながら、ソフィアの方を振向く。最後尾を歩いていたソフィアは、ピクッとして真っ赤に染まると、オロオロそわそわ挙動不審になった。

「あぅ……はわわわ! わわわ、私はその……」
「え〜? らしくないよー♪ ほらほらアルの厚い胸板、逞しい腕。あったかくて太い指……」
「─── ゴクッ」

 スタルジャの悪ノリに、ソフィアが全身赤熱して、気をつけの姿勢で固まっている。更に調子に乗ったスタルジャが、やいのやいの言いながら指でツンと、ソフィアの胸を突いた瞬間……。空気の破裂音を残して、ソフィアが全力疾走で突き進んで行ってしまった。

─── ワァァ-! スタチャンノ コンジキヤシャ-ッ!

 この一瞬でどれだけ遠くに行ったのか、遥か遠くから、ソフィアの叫び声が小さく聞こえた。また、身体強化の奇跡を無駄遣いしてる。

「あらー、まだモヤモヤしちゃってたかぁ。冗談っぽくできたらいいなーって思ったんだけど、悪い事しちゃったかなぁ。……『こんじきやしゃ』ってなんだろ?」
「うーん、勢いだろうな。まあ、ほとぼり冷めるまでは、そっとしておいてやろうよ」

 アネスの『お母様になれるのでは?』発言により露呈した、ソフィアのハイパーオボコ伝説。その後、ティフォ先生とのマンツーマン講座を受講して以来、ソフィアはずっとあの調子だ。齢四十九億才、生物の営みの知識は膨大ながら、その辺りは他人事だったようで……。
 それが急に当事者意識が芽生えたのだから、混乱の極みに至ったとして、仕方がない。今はただ、そっとしておいてやるしかないだろうなぁ。

 すっごく遠くまで走って行ったのに、今は木陰からこっちをチラチラ伺っている。何となく手招きしたら、真っ赤になって隠れてしまった。人見知りの子か君は。

 うーん、こう言う女神っぽくない所も、生きるのに真摯な証拠だって気もしないでもない。彼女なりに、俺との関係を考え、受け止めようとしてくれてるって事なのかな? 生理的に受け付けなくなったのだったら、どうしよう……。
 ティフォは満足したのか、またベビーモス達と遊び始め、俺は今何故かスタルジャを肩車して歩いている。

 そうこうしている内に、街が見えて来たメルキア公国最大の真祖一族が住む、レジェレヴィア領その城下町だ。
 そして、この街にシモンの妹がいる。

 ※ ※ ※

 城下町と言えば、大抵は城から離れた区画になる程、身分の低い者達が住処をあてがわれるものだ。このレジェレヴィアも例外じゃないようで、中央に領主と貴族の住む区画があり、外側に大分離れて人間の住む区画となっている。領主と貴族、つまりヴァンパイアの住む区画は、切り立った絶壁の高台となっていて、人間の区画を見下ろす形だ。

 ぱっと見、どうやって上に上がるのかすら分からない。レジェレヴィアは、山間の岩壁に挟まれた立地にあり、もし攻め入られたとなれば、確実に人間の区画からぶち当たる事になる。ある種、人間を盾にしているようにも思われた。

「……なんか、暗いね」

 城下町の広い路地で、スタルジャが不安そうに呟いた。この国特有の鉛色の空のせいもあるが、街全体が薄暗い印象を受けるのは、暗い石を敷き詰めているせいだろうか。道や縁石、区画を分ける塀なんかは、同じ種類の石が使われている。

 いや、これくらいの暗い色の建材で造られた街は珍しくはない。住居は木造で壁には煉瓦と土を使った、簡素ながら統一感のある街並みだ。でも、この街はそういう要素を抜きに、何か暗い印象を受けた。

「……なんだろうな。暗く感じるのは、人の服装のせいもあるのかも知れないけどな」
「え? あ、本当だ。白い服か、黒い服の人しかいないねぇ」

 よく見れば、服装だけじゃない。皆どこか幽玄と歩いているように見えるし、肌が異様に白く、透き通った印象が特徴的だ。老若男女問わず、白髪混じりの者が多く、会話をしている様子がなかった。

 広場には子供達が数名、輪になって座っているが、ただ黙々と本を読んでいるか、夢想しているかのようにボーっとしている。

「何ていうか、覇気が感じられないんだな」

 とは言え、普通に商店は開いているし、人通りもある。屋台も通りに出ていて、買い物をしている姿も、ちらほらと確認できた。ミィルは早くも食べ物の屋台を探して、飛び回っている。
 そうやって広場の入口近くで、街の様子を伺っていたら、老人が声を掛けて来た。

「あんたら、外国の人かい?」
「ん? ああ、そうだ。シリルから来たんだ。爺さん、あんたはこの街の人間なんだよな?」

 彼は生まれも育ちもこの土地だそうで、色々と街の事を聞かせてくれた。やはりこの老人も、白く透き通るような肌で、青白い顔には覇気が無い。

「ところで、どうにも皆んな元気がないように見えるんだが、何かあったのか? もし、この街の文化に関わる事だったら済まない、子供達まで静かだから驚いてしまって」

 思い切ってストレートに質問してみると、老人は顎に手を当てて、首を捻った後に囁くように言った。

「そりゃあな、この区画の人間はなぁ。真祖様達のにえだからさ」

 そう言うと、笑っているのか咳き込んでいるのか、どちらともつかない音を漏らして、老人は口元に手を当ててうつむく。
 ふと気がつくと、いつの間にか広場にいた子供達が、揃ってこちらをジッと見つめていた。

─── その虚ろな眼は、この鉛色の空の下に落とされた、影のように燻んで見えた

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