Episode
禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~
第十話 魔界
第一話 人魔海峡
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己の運命を知るため。
義父の守ろうとしたものを知るため。
本当の両親に会うため。
アルフォンスは理想郷ラプセルを旅立った。
三百年前の魔界で起きた悲劇と、
世界の真実を知り、
アルフォンスは人界の調律者『オルネアの聖騎士』でありながら、
魔界の調律者『魔王』の系譜を継ぎ、
天界を狙うハンネスから魔界を取り返す旅へと進む。
ギルドの全面協力のもと、
魔界への出航を目指していたが、
ハンネスとリディとの戦闘に敗北。
魔剣による深手を負い、
その後遺症に己の深淵を見つめる。
アルファードとの対面を叶えたアルフォンスは、
自身の存在とルーツに確かなものを取り戻し、
今、魔大陸への旅に再び立ち上がった───。
夜。暗い夜。
今日は新月だ。ただでさえ、新月は魔力が弱まるのに、どうしてわざわざこんな夜に……。
「……ゼェ、ゼェ……くっ! スタルジャ、ここから絶対に出るんじゃないぞ……いいな? ……ゲホッ、ゲホッ‼︎ うぐっ、し、シストラ、スタルジャを頼んだぞ……」
「い、いや! パパもここにいて!」
「スタルジャ、大丈夫よ……ゲホっ。パパは……里一番の戦士なの。レゼフェルも……ダルディルも、ノゥトハーク長老も……いるのよ? パパたちに任せて、ここで……無事を祈りましょう……ね。ほら、一緒に……【風の護り】を、唱えましょう……」
私は不安だった。どうしようもなく不安で、パパを行かせたくない気持ちが、抑えきれない。
「で、でも! いくらパパだって、ゲホっ、うぅ……ハァッハァッ……」
どこの家も夕飯を食べ終えて、寝る前の楽しい時間を過ごすはずだった。
最初に倒れたのはママ。椅子に座って、編物をしていたママが、崩れるように床に落ちた。駆け寄ろうとした私も、強烈な目眩と、込み上げる吐気に動けなくなってしまった。パパは私たちを抱き起こして、解毒の魔術を掛けてくれたけど、一向に効く気配がない。
それどころか、パパだって顔面蒼白、瞳孔が開いた目で苦しそうだ。外からも騒ぎが聞こえて来る。
誰かが叫んだ……『これは毒だ』と。
昨日、里にニンゲンが来たって言ってた。急に現れて、何だか無茶な要求をして来たって、レゼフェルとパパが話しているのを聞いてしまった。追い払ったって言ってた。
きっと、この毒はそのニンゲンたちの仕業に違いない! 野蛮だって聞いてたけど、本当にどうしてこんな事が出来るのか、私は分からない。
嫌な予感がする。ひどく、ひどく嫌な予感。なぜだろう。悪いことが起こるって、もう分かってるみたいに、私の心がそう騒ぐ。
でも、パパは私たちを納屋に押し込むと、槍を持って、外に行ってしまった。その直後、たくさんの馬の足音と悲鳴が響いて、すぐに納屋にまで煙が回って来た。
その後、どうしていたのかは、分からない。ただ、断片的に皆んなが守ろうとしてくれている場面が浮かんでは消えていった。ダルディルおじさんが、私とママを守って、背中とお腹を剣で斬られた。いつも大声でうるさくて、変な冗談を言ってばかりだったおじさんが、静かに目を閉じて倒れた。
ダルおじさんは……私に『逃げろ』と言った。
囲まれて、殺され掛けていた私たちを、今度はノゥトハーク爺が助けてくれた。近くにいたアジャタおじちゃんに、私たちを託して、ノゥト爺は矢の雨に包まれた。
ノゥト爺は……里のために『生き残れ』と言った。
里の裏の丘で、アジャタおじちゃんは、斧で頭を割られた。息子のヘイロンの結婚式が近いのに、私たちを川沿いに逃して、身代わりになった。
アジャタおじは……自分の代わりに『進め』と言った。
そして、川のほとりで囲まれた私たちを守るために、パパが槍に貫かれた。折れた槍が、背中から突き抜けていたのに、パパは私たちを守って闘おうとしてくれた。
パパは……私たちを『愛してる』と言った。
ママと私は人質になるはずだったのに、捕まる途中でニンゲンのひとりを傷つけたからと、その家族に蹴り殺された。ママは最期まで、私に矛先が向かないように、お願いし続けてくれた。
ママは……私を『だいすき』と言った。
私は人質になった。私の家族を、仲間を、大好きだった人たちを奪ったニンゲンの家に置かれた。皆んなが守ろうとしてくれた命を、私は何としても守り抜かなきゃと、そう誓って。でも、私を守ろうとして、皆んなが倒れて行ったのを、私は何処かで責めていた。
本当に私は生きて良かったのだろうか。私が居なければ、生き残る人はもっと居たんじゃないのかと。私は自分の命を、そう呪った。
ああ、またこの風景を見せられてる。もう何度目だろう、自分の目の前で、愛する人たちが散らされて行くのは……。また、部屋が暗くなり、自分の存在を水の中から眺めているかのように、自我が希薄になっていく。そうして次は、両親のいる温かな風景が、目の前に始まった。
ああ、また私の辛い過去が始まるのね。小さく呟くと、ポコリと空気が気泡になって、上に上がっていく感覚があった。
『そんなに何度も思い出させないでよ……。もう知ってるから。私が悪いんだって、そう言いたいんでしょ?』
ポコポコと上がっていく気泡のような音は、なんだか人の笑い声にも聞こえていた。
ああ、これは夢なの。過去のことだというのを忘れさせられ、何度も何度も、あの時の悪夢を見せられる。私はみんなの屍に支えられて、生かされているだけなのだと。
でも、何かを忘れている気がする。きっと大きなことだ……。だって、こんなにもたくさんの罪が詰め込めるほど、今の私にはぽっかりと大きな空隙が開いているのだから。
※ ※ ※
─── 夕暮の海上、海龍船の甲板
ほぼ海龍任せの海龍船は、乗組員をほとんど必要とはしない。風向きも、海流も関係無ければ、海龍は数日くらいなら休みすら必要としないのだそうだ。甲板にいるわずかな船員の、交代の時間が訪れ、引継ぎの会話でにわかに賑わった。それもすぐに終わると、船員は持場に分かれ、船上は再び静けさを取り戻す。
その様子を眺め終えると、俺はふと我に返り、隣にいる相手へと向き直る。船のヘリに、コウモリの羽と鳥の足がついた、人の頭ほどの眼球が立っていて、俺を見上げている。『心疽の眼』だ。
洞窟や森の奥に群れで住む、比較的大人しい部類の魔物。ただ、身の危険を感じると、特殊な音波を出して、麻痺させたり意識を薄くさせたりする。一体なら駆け出しの冒険者でも難なく倒せる弱い魔物だが、いかんせん群れで来られると、思いのほか手強いイヤなやつだ。
それが黒目の下弦を、パックリと開いて、一生懸命にしゃべっている。
「ギチュ……ギチュギチュ……」
「なるほどなあ。いや、気持ちは分かるけどさ、そこは謝ってからの方がいいって」
「ギチュチュ!」
「違う違う。非を認めるんじゃなくて、話を聞いてもらうためだよ。『不快にさせてごめんね』から入れば、奥さんだって聞きやすくなるだろ?」
「……ギッチュ〜!」
「そうそう。論破しようとしても意味ないって、ずっと一緒にやってくんだろ? 説得じゃなくて、理解を深めるんだよ、お互いにさ」
「─── 何やってんだお前ら」
ロジオンが微妙な顔で立っていた。
「こいつ、カミさんと喧嘩しちまったらしくてな。『向こうが謝るまでは、オレっちも折れねぇ』とか言ってるからさぁ」
「あ〜そうじゃねぇ。そう言う事じゃねえ」
「いや、俺だって魔物の夫婦喧嘩の相談乗るとか、どうかと思うけどな。魔界の魔物が一部凶暴化してるから、気をつけろって、わざわざ教えてくれたからさ」
「そっち先に言えッ!」
俺達は、魔界に向けて出航した。今は人魔海峡の海上、フィヨル港を出て四日が過ぎたところだ。フィヨル港から見た魔界は、意外と近くに見えていたが、直線でも丸三日はかかる距離にある。とは言え、この海峡の海底は入り組んでいて、そう簡単にまっすぐには進めない。
そして俺達は最短ルートではなく、魔界でも西南部に位置する、フォカロムの街に向かうため、海上を北西へ斜めに進んでいく予定だ。
現魔王であるハンネスの感知をできる限り避けるために、王都から最も離れている地点に上陸するための迂回ルートだ。到着は六日後の昼頃になるだろうと、当初の予定ではそうなっている。船旅は順調過ぎるくらい順調で、正直、退屈を持て余してる。
これが普通の帆船だったら、三倍近くはかかるらしいから、海龍の力は侮れない。海龍船は思いのほか快適で、激しい海流の上で、速度もかなり出ているのに揺れが少ない。魔術を操る龍種の中でも大型種の海龍、海水のうねりを魔力で抑えてくれているそうだ。それに海龍自体が、強力な種族だけあって、他の魔物も近づいてはこなかった。
「あいつの話に寄れば、どうやら勇者は魔界を離れているらしい。アマーリエの予言は本当だったな……。何らかの措置はしていったのか、エネルギーの分配は続いてるらしいが、こいつによれば『急に弱まった』って言ってる」
勇者とリディがあの後、何処へ向かったのかは分からない。ソフィアの読みでは、彼らが大きな行動に出る事は、今すぐには無いだろうとの事だった。聖剣も無ければ、魔王の資格もそろっていない今、彼の狙う『天界の門』は開けない。
あの時、彼は自らその目的を語っていたわけだが、義父さんがもう居ない事すら知らなかったようだ。そして、俺をアルファードだとも、気がついてはいなかった辺り、彼が目的を果たすにはかなりの時間が掛かるだろう。
「それで魔物の一部が凶暴化だってのか。ただ、その状態だと、長く離れる気は無いだろう。あまり時間は掛けられんな。しかし、アマーリエか……。予知能力の高さは、目を見張るもんがあるな、何とか仲間に引き入れたい人物だ。いや、その前にアルフォンス。お前、本当に魔物と話せるのな」
「蟲系には通じ難いけどな。それに、俺も最近出来るようになったから、何処まで通じるか分からない。迷宮内は全滅だったし」
「話せる時点で、おかしいってんだよ」
ロジオンは溜息をつきながらも、懐から干し肉を取り出して『これ食ったりするのか?』とか、ペットにするみたいに聞いていた。
魔物と話してみて分かった事は、魔力の高さと知能の高さは、比例していると言う事だ。問題なのは、体の大きさとは比例しないって、その点だろう。大型の魔物に通じると思って話しかけたら、脳筋野郎で特攻されましたってのは、いただけない。用心する事には変わりがないな。
「しかし『心疽の眼』でも、夫婦喧嘩の話ができるって、魔界の魔物の魔力量はどうなってんだ?」
そうつぶやくと、干し肉をもらって嬉しそうに魔界へ帰って行く目玉コウモリを、ニコニコと見送っていたロジオンが振り返る。
「そりゃあ、魔界じゃあ魔物だって、魔力分配の影響受けてるからな。人界と同じ種類でも、こっちはモノが違うんだ。一説じゃあ人界の魔物にも魔力与えりゃ、大人しくなるんじゃねえかって、そう言い張る魔物学者もいるくらいだ」
ロジオン曰く、かつて人界のとある国で、その実験もされた事があるらしい。確かに魔物の知能は向上したが、人に対する攻撃性が無くなるわけでもなく、むしろパワーアップして中止となったそうだ。
「もしかしたら、人界と魔界のマナの質の違いかな? お互いにマナを変換し合う関係だって聞いたけど」
「かも知れねえが、このままでいいんじゃねえか? 魔族にとっちゃ、魔物も魔力の分配を受ける仲間みてえなもんだが、人界じゃあ関係ねえ。下手に牙抜かれたら、魔物も亜人排斥みてえになりかねないからな」
「…………そうだな」
ロジオンは、人界に渡った魔界出身者を保護して来ただけあって、人間の亜人種への非情さをよく知っている。魔物は亜人種より、さらに遠い種族だし、そりゃあ悲しい出来事が起こりそうだ。
それに、魔物の脅威が無くなれば、より人は領域を広げるだろう。今は世界的に平和の続いてる、奇跡の二百年とは言え、魔物の脅威って大きな要素が消えたら流石にそうも行かなくなる。
亜人排斥の時代も、あまり歴史に残そうとはされていないが、相当に荒れたらしい。シリルの魔女狩りなんてのも、その頃に便乗した、血生臭い話のひとつだしな。
「そう言えば、ローゼンはどうしてるんだ。晴れて婚約者になったんだろ?」
「ああ、今はローデルハットで、依頼主の治療を続けてる。それが終わったら、メルキアの鬼族の所に帰るって言ってた」
「ヴァンパイアのプロトタイプを落とすとは、スケールが違い過ぎて、オレぁもう分っかんねぇな。イイ女だってのは、よく分かるんだけどよ。しかし、婚約してすぐに離れちまって、大丈夫なのかお前ら」
「ま、まあ、その……。文をな、密にやり取りする約束には、なってるから……ゴニョゴニョ」
そう、いよいよ魔界に旅立つ前日に、俺はローゼンとひとつの約束をした─── 。
※
「本当に、ここに残るのか……?」
「ふふ♪ さびしいですか?」
「そ、そりゃあさ……。えっと、それとな、やっぱりまた動けねえんだが?」
明日魔界に立つからと、激励会を開き、ローゼンともちゃんとお別れをした。そうして部屋に戻って寝始めたら、例の如く、ヴァンパイア式のホラーな侵入をされてしまった。これ、防ぐ方法あんのか?
完全に金縛りだし、窓開いてないのに風吹いてるし、彼女は無駄にセクシーな格好で俺の上に浮いてるし……。室内の高価そうな備品とかが、風で倒れたりしたら嫌だ。普通に結構迷惑だし、来るなら普通に来て欲しい。
そう戸惑っていたら、頰に手を添えられて、軽く口づけをされた。
「─── ちゅっ♡ 大丈夫なのです。ローゼンはダーさんしか見てないのですから☆」
「あふぅッ⁉︎ う、浮気の心配とか、そう言う事じゃなくてだな。ローゼンは寂しくないのかって」
彼女はくすっと笑い、俺の上に降りてまたがると、枕元に両手をついて俺に顔を近づけた。潤んだ青い瞳と、上気した頰の桜色が、初々しくも大人びた雰囲気をまとっている。
「さびしいですよ〜♪ でも、私は待つです。数週間やそこら、数年から数十年なんて、私からすれば一瞬のことなのです」
「本当にそれならいいけど……。何かあったら、いつでも連絡出来るように、何か決めておくか?」
「それも問題ないのです。私の中には、ダーさんの熱いアレが、ちゃあんと注ぎ込まれたままなのですから♡」
俺にまたがったまま身を起こして、彼女はへその辺りを、ふくふくとした表情でさすっている。
「熱いアレとか、『血』の一言で済むじゃん! 言い方な、言い方をだねキミ」
「もう魂はダーさんと繋がってるです♪ だから、どこにいても、何をしていても、私はいつでも駆けつけられるですよ〜☆」
俺の行動筒抜けかよ。ちょっと怖いけど、本人がクネクネと身をよじらせて嬉しそうだし、まあ、いいのか。ちなみに、このまたがってる接地面の感触……今回も下は履いてない……だと⁉︎
「な、なな、なら安心だが……。その、何かして欲しい事とかないか?」
「ん〜♡ 何がです?」
「いや、ほら。こういう離れる時にはさ、なんか約束みたいな事しておけば、待つのも楽しみにならないかなぁって」
ローゼンはキョトンとした顔をして、『あら』と頰を染めると、また嬉しそうに顔を近付けて来る。
「ししし♪ 恋人っぽくて、燃えるですねそれ。とてもイイ提案なのです☆」
うん、すごく嬉しそうだ。彼女はしばらく、ウキウキ顔で考えてから、さらに顔を真っ赤にさせた。あ、やばい、すっごい事とか、言い出さないだろうなコレ? う、今日の格好もヤバイし、そんな事を考えてたら、また俺のアルフォンスがッ⁉︎
「ムフっ、決めちゃったですよ♡」
ローゼンは妖艶に歪めた唇に、ちろりと舌をはわせると、恥じらうように顔をそらした。この人はえっちだ! 存在がえっちだよ! し、心臓がドキドキうるさいっ‼︎
「ごくりっ! な、なに……かな?」
「……し、シテ欲しいの……です……。こ、ここ、交換日記を……ッ‼︎」
へ? 交換日記─── ってなんだっけ⁉︎
※
「へぇ〜、文通ねえ。すっげえ能力持ってるお前らが、何とも村娘の初恋みたいな、ピュアなやり方するもんだな」
「距離があるから大変だけど、一応、念話とかも出来るんだけどな。どうも憧れてたらしいんだよ、交か……文通に」
流石に『交換日記するんだ』と、ロジオンに言うのは恥ずかしくて、文通って事にしておいた。
しかし、交換日記か……。俺もやるのは初めてだけど、これだけ離れた距離で、ローゼンはどうやって日記帳の受け渡しをするつもりなのだろうか?
バタンッ!
突然、甲板室の扉が開き、階下の船室にいたはずのユニが、魔力をまといながら姿を現した。
「アル様、あっちから、魔物の群れが近づいてるの」
「ん? そんな気配は……あ、ほんとだ! すごいな、これ相当遠いけど、船室の中から感じ取ったのか⁉︎」
俺も元々、索敵には自信があった。それに、クヌルギアの鍵を得てからは、桁違いに範囲と感度が上がってる。それなのに、指で方角まで示されて、ようやく感じ取れた。
「ふふ〜ん♪ 私たち姉妹を、甘くみちゃいけないの☆」
思わず感嘆の声を上げると、ユニはやや垂れ気味の目で流し目をしながら、船首の方へと歩き出す。その後に続いて、エリンも顔を出すと、フッと意味ありげにほくそ笑んだ。
「かなり数が多いみたいね。アル様、ここは私たちに任せてくれないかしら?」
「お、おう。どうした、姉妹そろって、えらい気合い入ってるな」
エリンは手の平を、二〜三回グーパーすると、突然空中に複数の魔術印を浮かべた。
「えっ、なにそれ⁉︎ スゴイ! 魔術印、描いてなかったよな⁉︎」
俺の反応が余程嬉しかったのか、エリンは大きな吊り気味の目を細め、頰を真っ赤にして俯いた。顔は平静を装おうとしても耳がピクピク、尻尾がピンと立ってて、喜び丸出しで可愛い。
「あ、あたしたちも、せ、成長してるにゃ♪」
「ああ、分かった。ふたりに任せる‼︎」
ふたりが船首に立って数分後、魔物の群れは船の前に姿を現した─── 。
※
まだ夕暮の終わり、紫色に染まった空の一部に、夕陽の赤が滲んだ時間。快晴で気温差もそれほど無いが、突如として海上は霧に包まれていた。その霧に船がぶつかろうかという時、ようやくそれが霧ではなく、あるものの集合体だと気がついた。
浮幽魚。霧の女王エスキュラの使役していた、半透明の空飛ぶ魚の魔物と、全く同じものだ。浮幽魚達は襲い掛かって来る様子はなく、ジッとこちらに顔を向けるように、船の周りで静止している。
「……囲み終わるのを待ってるな? 大した敵じゃねぇが、数がなぁ。こりゃあ、あのふたりには悪いが、オレが火で焼き落とした方が早いか」
「いや、姉妹はこいつらを気にもしてない、この先にまだ何かいる。ロジオン、浮幽魚を頼む。流石にここまで近づけば、俺にも分かったよ。相当デカイのがこの先にいる」
ロジオンは頷くと、甲板室の上に飛び乗り、熱を発して陽炎を立ち昇らせる。その甲板室から出て来たソフィアが、船上の乗組員達を船室へと下がらせ、仕込み杖を手に隣に立った。
「これは、大きいですね」
「エリンとユニが、船首は任せろって、張り切ってたぞ。ティフォはどうした?」
「あー、ふたりとも、張り切ってましたね♪ ティフォちゃんなら、船尾の方に行きましたよ? みんなローデルハットが平和過ぎて、燻ってましたからね、ちょっと鼻息荒めです♪」
俺が起きて以来、夢の中の修練では、鬼気迫るものがあったからな。皆んなそれぞれ、勇者との闘いに、思うものがあったんだろう。久々の実戦に、彼女達が燃えているのが、痛いほど分かる。
「ソフィはどうする?」
「私はちょっと……。ただ、調律神の代行者として、一発やったろうかと」
ああ、ソフィアも煮えたぎってるのな。鋭い目つきで、ニヤリと笑っている。
船首に向かって歩き出して間も無く、ソフィアから強烈な神気が立ち昇って、船どころか周囲一帯が結界に包まれた。
…………みなさん。本気出しちゃって大丈夫ですよ。ぜ〜んぶ私が、隠し切ってしまいますからね☆…………
ソフィアからの念話が響いた。勇者は魔界に不在とは言え、どこで何が見ているか分からない以上、魔界ではあまり目立ちたくはない。この船自体にも、隠蔽の術式は掛けられてるらしいが、今はおそらく完全に周囲から遮断されているだろう。その為の結界か。
今展開されているのは、ソフィアの奇跡の結界だ。それもリディの【神の呪い】に匹敵する、とんでもない力を秘めた奇跡。それが岩が擦れるような重厚な音を立てて完成した。
その直後、頭上を炎の幕が、包み込むように走った。浮幽魚の包囲が完成して、一斉に襲い掛かって来たようだが、灰すら残さずロジオンに焼き消さていた。ロジオンも完全復活だな。
空中に小さな光が瞬く度に、薄い煙の線を曳いて、浮幽魚達が消えていく。
「お姉ちゃん、来るよ!」
ユニの声に被さるように、海面に見上げる程の水柱がふたつ、くねりながら立った。それは止まる事なく宙を舞いながら、船首の突端に立つエリンへと、狙いを定めて襲い掛かる。
「─── 【氷術印・従動開放】」
天に掲げたエリンの掌に、色も術式も異なる魔術印が複数浮かび、円形に並んで輝く。彼女の周囲には風が舞い、なびく髪が魔術反応の光を受け、暮れ掛けた空に輝いた。 直後、エリンに迫っていた、ふたつの水柱の先端を、青白い光が貫く。
目前には海原から突き出した、薄水色の透き通った二匹の大蛇が、大きく顎を開いてピタリと静止している。迫っていたのは水の柱などではなく、透過性の高い巨木のような太さの大蛇、それが正体だったようだ。
エリンが発動した術式は、綴りに所々デタラメが見られるが、ざっと確認出来るだけで……
索敵、追跡、補足、耐性解除、冷凍、凝縮、衝撃波……etc.
重複、不発を抜きに、七つもの術式が同時に起こされていた。
「……魔術印の同時展開⁉︎」
俺の無詠唱魔術は、効率良く連発が可能だが、同時に発動は出来ない。術式は魔力を魔術に変換する為の、回路みたいなものだ。魔力の特定の流れ方、圧のかけ方で、現象を起こす
例えば、精霊魔術や召喚魔術は、それを精霊なんかの霊的存在に、契約を元に発動してもらうもの。一番楽だが、見返りを多くせびられる。
詠唱魔術は、回路を魔力が通る時の状態を、言霊と発音やリズムで再現している。正確に唱えれば、比較的少ない魔力でも発動出来る。ただ、場所による音の響き方から、声が裏返る、噛む、声でバレて敵に邪魔される。何より時間が掛かるから、俺キライ。
エリン達の扱う魔術印は、その回路を図式化したモノをなぞって、魔術を起こす。指先に魔力が出せて、書き順と形が正確なら、一番簡単に発動出来る。ただ、術式の簡略化が必要で、簡単なものしか出来ないし、開発がすっごく面倒くさい。
俺の使う無詠唱魔術は、回路を完全に暗記した上で、回路に起こる魔力の様々な変化を感覚的に覚えたもの。それを魔力の出し方で再現している。だから複数の術式を、同時に再現しろとか、複雑過ぎて知恵熱で毛根が溶けかねない。
今、生まれて初めて、アーシェ婆以外の人の魔術に、衝撃を受けている……。動きの止まってた大蛇達が、芯から凍りついて爆散したけど、考えの邪魔になるから静かに逝って欲しい。それくらい、エリンの技術に心奪われていた。
「え、エリン……。後でそれ、どーやったか教えて?」
「フッ、アル様─── 。あ、あああたしに、ほほほ、ほれ惚れ直したかにゃんっ⁉︎」
もうカクカクと頷くしか出来なかった。俺よりもエリン本人の方が、興奮気味で言語能力が飛んでるように見えるのは、気のせいだろうか。
「い、いいわアル様、後でお、おしえりゅ! でも、ユニの方が……す、すす、すごいわよ?」
思わずユニの方に振り向くと、ユニは才智溢れる光を目に宿らせ、風になびく髪を押さえて微笑んだ。
「後で全部教えるの。報酬は今履いてるその靴下で、手を打つの」
靴下? 俺の? 何で?
ダ……ッパアァァンッ‼︎
頭が真っ白になった瞬間に船が大きく揺れ、ユニの背後で爆音と共に、海が持ち上がった。
「ユニッ! 後ろッ‼︎」
船の先には、見上げる程の、水の壁が立ち上がっている。それは海面から隙間無く突き出た、今しがたエリンの倒したものと同じ、水の大蛇の群れだった。