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あずみけいし短編小説作品【鍵】のイメージ画像。南部鉄器風のアンティークな鍵の画像

「おとうさ~ん。これ、なんのかぎ?」

 幼稚園に入って間もない息子が、どこからかその鍵を持ってきた。あまり一般的でない形状のその鍵には、全くと言っていいほど見覚えがない。

「どこから持ってきたんだそれ」
「おとうさんがくれた、ジャンパーにはいってたの」

 そのジャンパーとは、俺が息子と同じ年齢の頃のお気に入りだった。たまたま実家で出てきたそれは、保存状態も良くて、母が孫に似合うだろうと送って来たものだった。鍵はそのポケットに入っていたと言う。
 何かの玩具の鍵? いや、そんはちゃちな作りではなく、道具としての一種威厳のような、しっかりした作りのものだ。幼い頃に、どこかで拾って、ポケットに入れたまま忘れられたモノなのだろうか?
 どう思い返そうにも、全く記憶に蘇りそうもない。

「いや、お父さんも分からないよ」
「ふ~ん」

 何のいわれも由来もない鍵だと知ると、幼い息子はすぐに興味を失い、鍵をテーブルに放り出して遊びに行ってしまった。

 よくよくその鍵を眺めていると、どこかに記憶に触れるような、かすかな引っ掛かりがあるような気がして来た。しかし、思い出そうとすると、モヤモヤと霧がかかる様に、頭の中は曖昧になってゆく。
 その鍵はどうやら家なんかのドアの鍵とは違うようだ。鈍い金色の材質でできていて、筒状の芯には簡素な突起が並んでいた。よく見る住宅用の平べったい鍵とは違う。また、タンスや机の鍵にしては、芯が太くて長い。柄の先に付く取手部分には、ごく簡素な模様の様なものが彫り込まれているが、摩耗していて詳細は分からない。
 手に取ると、見た目に反して重量感があり、それがまた玩具ではないと感じさせていた。

 どう頑張っても記憶は出てきそうもない。単なる拾い物の可能性は高い。それなのに、妙にその存在が気になった俺は、普段持ち歩いている、革のキーケースのリングに通した。

 俺の父親は、俺がまだ幼い頃に他界している。自己でも病気でもなく、変死だったという。

 俺が今の自分の息子と同じ年ぐらいの頃、当時住んでいた家から数分の林の中で倒れていたという。発見された当時、もうすでに息を引き取っていて、目立った外傷も病気の痕跡もなく、心不全として処理されたそうだ。
 父親が突然いなくなり、酷くショックを受けたのは、断片的にではあるが憶えている。そんな記憶の中で、俺が心を持ち直したのは、母親から聞いた言葉だった。

─── 父親の父親、つまり祖父も同じ歳で亡くなっている。そのまた父親も。そう言う血筋なのだと

 自分もその運命に連なっているのかもしれないし、ただの偶然かもしれない。不安にもなるが、どこか気楽にななる、不思議な死生観が俺の中にあることは否めない。自分が死ぬかもしれない時期を知っていると言うのは、妙な踏ん張りが利くと言うか、けじめの様なものが芽生える。
 実家の事を思い出し、自分がその時期に差し掛かっている事を改めて思い出していた。

 夏休みに入った。俺は家族を妻と息子を連れて、車で数時間の実家に帰省していた。なんだがグッと老いた母親に内心ショックを受けつつも、孫の訪問に顔をくしゃくしゃにして喜び、食べたいものはないか、欲しいものはないかと夢中になっている。妻と母親との仲も良好で、息子の話題を中心に、会話の切れ間がなく盛り上がっていた。
 そんな光景がとてつもなく愛おしく嬉しい一方、どこか自分事では無い様な、心と体の距離感が生じる。家を出て、もう自分は他の家族なのだという思いなのか、父親への想いがあるからなのか。

 夕食後、妻と母と息子の三人は地元の祭りを見に行った。俺はずっと運転していた疲れもあり、一緒に行く事は遠慮して、父親の仏前でしばらく酒を呑み、気分が良いまま良い醒ましに散歩に出かける事にした。

 ここ数年でこの辺りも再開発が進み、だいぶ景色が変わって来ている。馴染みだった商店が消えて住宅になっていたり、逆に思い出に残る住宅が、雑草に呑まれて腐ちていたり。思えばこの夜の道もだいぶ明るくなっている気がする。そうして足の向くまま、気楽に夜の散歩を楽しんでいると、とある場所にたどり着いていた。

 父親の遺体が発見された雑木林の入口だ。

 思春期の頃、勇気を出して一度だけこの中に足を踏み入れた事がある。だが、数歩進んだ所で、胸が締め付けられるような感覚を受け、すぐに引き返してしまった。それ以来、この場所には近づかないようにしていた。そして、今もまた、俺の足は林の入口で躊躇していた。

「…………帰ろう」

 我に返るように、わざと独り言としてそれを声に出した。自分に言い聞かせるためだ。そうして振り返った時に、確かに林の中から呼ばれたような気がした。声が聞こえたのではなく、手招きをする者がそこにいるような、確かな気配のようなものだった。
 酔っている? いや、普段の飲酒量として大したものではないし、意識ははっきりしている。しかし、自然と俺の足は林の中へと向き直り、進み出していた。今度は足に躊躇が生まれる事はなかった。

 林の中は、耳鳴りがする程の虫の声で溢れかえっている。押し寄せる音の数々で、仄かな頭痛を覚えつつ、ふらふらと暗がりの中を踏み分けて進んでいく。満月のおかげか、思ったほどの暗闇ではなかった。普段なら、こんな夏の夜の茂みの中など、まっぴらごめんだ。でも、嫌悪感や恐怖心などどこかに消えてしまったかのように、俺の心はただただ静かだった。
 そんな独特な精神状態になったからだろうか? 俺は昔の記憶を少しずつ取り戻していた。

 父親の葬儀が済み、火葬場へと向かった。すっかりと処理が終わり、親族のすすり泣くざわめきの中、俺と母親は火葬場の職員に言われるまま、遺骨を拾っていた。

───その時、灰の中からあの鍵を見つけた

 誰も気がついていないのか、周りには見えていないのか、誰もその鈍い金色の異質な存在を指摘することはなかった。ただただ、俺はその鈍い光に心を奪われて、その鍵を拾うのだが、誰もそれを咎めないどころか、気がついてもいないようだった。
 幼心に妙な罪悪感を負いながら、それをそっとポケットに入れる。そう、鍵との出会いはその時だった。

 尻ポケットに入れていたキーケースを取り出し、林の中に射し込む月明かりに、それを照らして見上げて見る。満月の強い光に晒されて、鈍い金色のそれは、自ら輝いているようにゆらゆらと揺れている。
 ……間違いない。この鍵だ。掴んだ時の重量感までもが脳裏に蘇る。その後にこの鍵をそうしていたのかは思い出せない。なぜ、葬儀の時に着ていなかったあのジャンパーのポケットに入っていたのか。
 もしかしたら、ジャンパーと一緒に、この見慣れない形状の鍵を見つけた母親が、玩具がわりのつもりで忍ばせて孫に渡したかったのかもしれない。帰ったら母親に聞いてみよう。そんな事を考えながらも、足は未だ林の中へと進んでいた。

 俺はこの林のどこで父親が亡くなったのかを知らない。何度か命日に、母親と花を供えに来た記憶はあるが、それは林の入口の事。小さな俺を連れて、夫の亡くなった林を進むのは酷な事だったのだろう。

 だと言うのに。俺はそこに辿り着いた。
 記憶など無い。でもそこだと分かった。身体が、魂がそう叫んでいるようだった。そしてそこには大きな樹が数本と、そこにそぐわない妙な物が存在していた。

─── エレベーター……?

 しばらく事態が飲み込めずに、ただ立ち尽くして見上げていた。
 唐突に林の中に、エレベーターの籠だけが、小屋の様に置かれている。ワイヤーも滑車もなく、ただそこに箱として在る。
 いつからそこに在るのか、これだけ木々が密集している所に、わざわざこんな大きい物を引きずり込んで捨てるだろうか? 車に乗せて来たとして、こんな歩くだけでも大変な場所に入ってくることは出来ない。クレーン車を使ったとして、入口からはかなりの距離がある。
 見てもエレベーターに塗装の劣化や、サビなどは見受けられなかった。ツタや植物に覆われている様子もない。

 全く唐突な存在の出現に、呆気にとられるはずが、なぜか俺の心は落ち着いていた。

 エレベーターの扉は、籠本体ではなく、その階ごとの開口部に設置されるはず。でもこのエレベーターにはちゃんと扉がついていて、ピッタリと閉ざされている。手の平を押し当てて、左右に開けようとするもピクリともしない。何度か開けようとしてみるが、人の力では不可能なようだ。

 と、その扉の上の方に目をやると、左側の扉の片隅に、小さな鍵穴を見つけた。

 不審とも、奇妙とも、最早そんな事は一切浮かんでいなかった。ただただ俺は『ああ、ここにあったのか』と、キーケースからあの鍵を取り出すと、その穴へと差し込んだ。
 鍵は引っかかることもなく、当然のように置くまで進み、回す時に何かを引っ掛ける確かな手応えが返ってくる。

─── カチンッ

 バネの弾ける音がすると、眼の前の扉の隙間から光が漏れ、暗がりに慣れた俺の目をくらませる。そうしてすぅっと、かすかな音を立てて、滑らかに扉は左右に開かれていた。
 中から漂うのは、あのエレベーター独特の、塗料の乾いたような匂い。そして林の中とは明らかに違う、乾燥した空気が流れ出していた。

 なんの疑いもなく、何の感情もなく、俺は当然の様にそこに足を踏み入れていた。

 再びすぅっと静かに動き、閉じる扉。乳白色に人工大理石の様な細かい模様がされた内装。天井には白いアクリル版の向こうに煌々と明るく輝く蛍光灯の光。床はフェルトの様な風合いのグレーのマットが張られている。
 中には階数を表示する電光掲示板も無ければ、ボタンの一つもない。やがて間もなく、ブゥンというような微かなモーター音を響かせて、上昇する重力が身体に伝わって来た。

 もうどれだけ上に昇って来たのか、永遠とも言えるような長い時間が流れた。俺もまた、その時間を不快にも不安にも感じず、夢の中にいるような心地に支配され、言いようのない充足感に包まれていた。

─── チンッ

 ベルの音と共に、扉がゆっくり開くと、その隙間からは温かく、真っ白な光が溢れて俺を包み込んでいた。優しく温かく、そして懐かしい光だった。

 林の中で父の遺体が発見されたのは、私が今の息子と同じ歳頃の頃だ。あれから年月は過ぎ、私もとうとう父と同じ歳になろうとしている。

「ぱぱぁ、これ、なんのかぎ?」

 幼い息子がその鍵を持ってきた。あまり一般的でない形状のその鍵には、全くと言っていいほど見覚えがない……。

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