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禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~
第七章 キュルキセル地方
第七話 激突
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ホーリンズ警備庁舎の各部屋から、別々に捕らえられていた面々が脱出する。
しかし、すでに庁舎には極光星騎士団が迫っている。
最上階ではアルフォンスと共に部屋にいたブラドが、肉体を変化させ、シャリアーンの蟲使いだったと判明。
猛毒を塗られた刃で突かれたアルフォンスは、必死にブラドとの交信を試みるも、ブラド自体が偽りの記憶であったと知る。
しかし、その偽りの意識だったはずのブラドが、その意志を持ってシャリアーンの肉体を阻止。
自らを殺せと、父と呼んだアルフォンスに切望した。
悲しみの中、アルフォンスは蟲使いを殺害。
蟲によって肉体の構成が崩れていた死体は、激しく散らばった。
その直後、セオドアが入室し、その情景を目にしてしまう。
ホーリンズ警備庁舎の正面玄関扉が、勢い良く開け放たれると、白銀の軽鎧姿の騎士達が盾を構え一気に雪崩れ込んだ。玄関ホールから左右に伸びる廊下と、ホール脇から伸びる階段へと、統率の取れた動きで別れて行く。すでに場所の下見と、綿密な打ち合わせがあった事は、全く迷いのない彼らの動きからうかがえる。
「確実に逃げ道を塞げッ! 各部屋を手前から順繰りに撃破だ! 予定に狂いは無い、このカビ臭い庁舎の一室を、異端者どもの棺桶としてやれッ‼︎」
「「「─── ハッ‼︎」」」
階段を登るはカール第三師団長率いる、上級星騎士団の精鋭二十。その士気は高く、階段を駆け上がる鉄靴の音ですら完全に一致する、強固な統率力をうかがわせる。と、二階への途中の踊場に差し掛かった時、号令ひとつ無く全員の足が止まった。
「─── 【雨鼠】」
そのやや掠れた低めの女の声と共に、辺りの空気が突如重厚な湿り気を帯び、小さな雨粒が舞い踊った。カールの前に踏み出て、盾を構えた騎士二名は、見る間に足元まで滴らせる程に濡れそぼつ。ふたりに守られたカール自身も、オープンヘルムの額から溢れる癖っ毛を濡らし、うんざりとした顔で前髪を指先で弾いた。
その後ろに続く、精強な騎士達は身じろぎひとつ取らないが、その体からはポタポタと水滴が滴り落ちている。
「あららー、もう扉が破られてましたかぁ。ええと貴女は報告にはありませんでしたが、アルフォンス・ゴールマインのお仲間さんで間違いないですよね?」
眠そうな眼をやや開き、カールがそう問い掛けると、声の主は二階からゆっくりと姿を現して踊り場を見下ろした。
「お仲間? 婚約者の間違いだ、訂正しなさい」
「獣人……? 獣人が魔術を……⁉︎」
騎士の誰かがポツリと呟いた。そのわずかな声を拾ってか、女の頭にピンと尖った耳が、ピクリと動いた。
「婚約者ですか。確かアルフォンスは同じくS級冒険者の『斬り裂き聖女』ソフィアと、赤髪の少女と一緒だと伺ってましたけど。横恋慕……ですかね、これは」
「横……ッ‼︎ お前、死んだぞ……?」
「いや、ははは。失礼、これは失言でしたか。私は極光星騎士団第三師団のカールと申します。一応、団長職やってます。で、貴女は?」
「赤豹族の戦士エリン。アルフォンス様と運命を共にする者。あの方に刃を向ける者あらば、このあたしが八つ裂きにする、それだけよ。理解出来たかしら、エル・ラト教の子犬さん達」
「なッ⁉︎ 汚らわしい獣人風情が、我らを愚弄するかッ‼︎」
騎士団の内の一人が、激昂して抜剣し、階段を駆け上がる。カールが眠そうな顔で『やめなさいな』と、手で制したが、頭に血が上った彼の耳には届かなかった。
「異端者、亜人種、知識の範疇に抑えられぬ者。そうね、貴方達はいつもそうやって排除してきたのよ」
矢の如く迫る白銀の騎士を前に、エリンがため息混じりにそう言うも、その耳には届いていないようだ。奇妙な魔力を放つ魔剣を斬り上げんと、腰溜めに構えた刹那、エリンの姿が消えた。
「なッ⁉︎ え……? あ?」
己の腹から突き出した、乳白色の鋭利な長い爪が、クイクイと動くのを騎士は唖然と見下ろす他無かった。口の端から一条の血を滴らせ、何かを言おうとして血の泡を吹き、力無く咳き込んだ。
「……人間が白兵戦で、あたし達獣人に敵うとでも? せめて防刃の魔術くらいは臨んで置くべきだったかしらね」
ブンッ! …………ドガシャァッ
血飛沫と共に騎士の体が放り投げられ、踊場に控える騎士団の後列と衝突する。騎士数名の盾に激突して舞い上がった騎士は、踊場から一階のホールへと転げ落ちて行った。
「あちゃぁ、命令無視したお馬鹿さんとは言え、こうも簡単に仕留められるのは心外ですねぇ。騎士ひとり育てるのに掛かるコスト、どんだけだと思ってんです?」
カールがそう言いながら、後ろ手でハンドサインを出す。騎士団から、にわかに高まる魔力を感じながらも、エリンは眉ひとつ動かす事なく見下ろしたままだ。
「そんな事は知らないわ。むしろそんなに注ぎ込んでこの程度なら、教団も大した事無いのね」
「いやぁ、耳の痛い限りですよ。ところでお聞きしたいのですが、私共の第二師団の団長さんがですね、行方不明なんですよ。名前はセバスティアンと言うんですけど」
声の質は変わらず、しかし、聖剣の柄に手を添えながら、わずかな殺気を孕んでカールは問うた。
「セバスティアン……? ああ、居たわねそんなのも」
「彼は今どこに?」
「メルキアの鬼族の里よ? その林の土の中で寝てるわ、ナントカ司教と仲良く一緒にね」
沈黙が流れた。カールのあご先を伝わって水滴が落ち、それが大理石の階段を打つ、その瞬間に聖剣を持つ手が掲げられた。
「前進ッ‼︎ 獣人には構うな、上を目指せッ‼︎」
「「「─── ハッ‼︎」」」
その声と同時に、カールの近くに備えていたビエスコが、風の魔術を纏いエリンへと真っ直ぐに飛び掛かる。踊場から一斉に進行を始めた騎士団に、エリンはニヤリと口元を歪ませた。ビエスコのスパイクメイスを、片手で受け止めると同時に、残った手で魔術印を瞬時に刻む。
「─── 【雷蛇】」
湿気の多い空気、よく濡れた鎧を、大蛇の姿をした雷撃が、戯れるように纏わりつく。踊場にいた者達はその場に倒れ、後尾にいた者達は、なす術無く階段を転げ落ちていった。
「そう来ると思いました。ビエスコ、ここは頼みましたよ!」
カールと数名の騎士は、雷撃の耐性魔術に成功していたのだろう、飛翔魔術で一気にエリンを通り越そうとしていた。
「させるかッ‼︎」
エリンの指先に描かれた、風の刃の魔術が彼らを狙うも、伸び上がったビエスコの楯で防がれた。その彼の開いた腹部へとエリンの爆発的な膝蹴りが襲うも、彼はメイスの柄で受けながら上へと飛んで、威力を消している。更にはその膝蹴りの力を利用して、三階への階段に立ち塞がる位置へと、ビエスコは狙い澄ましたように着地してカールへの追跡を阻んだ。
「異端者……。聖剣に選ばれしカール様が、下賎な獣人如き、お相手なさるわけもなかろう」
「フフ、哀れね。あたしが教団の呪い子ひとり逃した所で、アル様になんの障害があるって言うのかしら? 最初からあたし達は、たかる蝿を払うつもりだったのよ」
「あたし達……?」
ズズゥゥ……ン
一階の奥から衝撃を伴う重苦しい音、続けて逃げ回る悲鳴と雑踏が、漣のように庁舎を騒がせた。
「ユニはね、しっかり者の自慢の妹なのよ。でも、アル様の婚約者としてはまだまだね。お片付けのつもりが、つい汚しちゃうクセがあるから」
ビエスコの頰を流れる物は、水滴か冷や汗か、彫りの深い目元を窪ませる。笑い混じりの声が、彼にとっては死神の嗤笑にも聴こえていたのだ。目の前の獣人から立ち昇る、臓腑を凍りつかせるような殺気は、彼の本能に人生最大の警鐘を、狂ったように打ち鳴らせていた
※ ※ ※
「こ、答えろッ‼︎ どう言う事だッ‼︎ どうしてアンタがブラドを……ッ⁉︎」
アルフォンスの魔力が引き寄せた死霊の類が、血の海に散らばる肉片に、渦を巻いて集まろうとしている。セオドアは大剣を放り捨て、その黒い渦の下にある、小さなペンダントへと駆け寄った。
─── 親愛なるブラド
それに続く名前の数々を、セオドアは息を震わせて目を走らせ、それが紛れも無くブラドとの心を繋ぐペンダントだと思い知り、低く短く喉を鳴らした。血の海に転がる、腕とは不自然に大きさの異なる小さな手は、ついさっきまで繋いで歩いたブラドの物。
「なぜ……殺したァ、なぜアンタが殺したんだよアルフォンス・ゴールマイン……」
アルフォンスは夜切の切先で、地を未だ這う蟲を指してから、納刀してズダ袋へと転送した。
「助け……られなかった」
「……な、なンッ! 分からねえッ! 分からねえよ、ちゃんと説明─── 」
言葉の途中でセオドアは飛び退くように立ち上がった。血混じりの涙の跡に汚れた顔、そこに光るふたつの紅い瞳は、今セオドアの眼を射抜いていたのだ。
「な、何だッ‼︎ アンタがいて、どうしてこんな……ッ⁉︎」
「─── 黙れ」
崩れた天井から射し込む光に、アルフォンスの影が嫌にくっきりと、出入口側の部屋に伸びている。殺意、剣気、魔力、そのどれともつかない波動が、セオドアの呼吸を細くして行く。
「─── 答えろ、お前は何者だ」
「……な、何を言ってるッ⁉︎ 俺ァ、セオドアだ! 元傭兵の……たった今家族を失った、ただのセオドアだッ‼︎」
「お前、俺の何を知ってる……?」
「ああ⁉︎ 何って、だから何の……」
「【まだ時期じゃない】【完全に力を】【中途半端】……アースラと話していたあれは何だ……?」
セオドアの顔色がサッと青ざめた。ぎこちなく視線を落とし、手に握りしめていた、ブラドのペンダントを見つめる。
「……ンだよ、聞いてたのかよ……。人が悪ぃぜアンタもよ」
「答えろ。俺の何を、お前達は知ってる?」
セオドアの喉元に、酸っぱいものが込み上げた。アルフォンスの殺気が一段と高まり、全身の細胞が『逃げろ』と、あらゆる代謝を高めて叫び出している。
「へッ、てこたぁ、アンタはまだ資格が無えってこった。そんなこたぁ、どうでもいいッ‼︎ なぜ、ブラドを殺したかって聞いてんだッ‼︎」
そう怒鳴るや否や、セオドアの拳がアルフォンスの頰を捕らえた。白い衝撃の波動を残して、アルフォンスの体は吹き飛び、部屋の石壁にめり込んだ。
「くそッ、くそッ! くそがァァッ‼︎」
壁に持たれて立ったままのアルフォンスの両肩を掴み、セオドアは渾身の力で隣の壁へと叩きつける。未だ体を蝕む毒の影響か、その衝撃のせいか、アルフォンスの口から血の一筋が流れ落ちた。
「何でだッ何でだッ! 何であいつを殺したァッ‼︎」
「俺の問いに答えろ」
自分よりふた回りも大きなセオドアの両腕を、アルフォンスは両手を上げる動作のみで引き離し、次の瞬間にはセオドアの鳩尾に拳を突き立てていた。床の瓦礫を巻き上げ、セオドアの体は石壁を突き破ると、隣の部屋まで吹き飛ばされる。その、もうもうと上がる埃の中、部屋の出入口から白銀の人影が飛び込んだ。
「そこを動くなッ‼︎ 我ら極光星騎……」
「俺だッ‼︎ 俺の問いに先に答えやがれッ! 何で殺したんだよアンタがッ‼︎」
再び頰を打たれたアルフォンスの体が、出入口脇の壁を吹き飛ばし、廊下にいた騎士団達に直撃した。
「肉体強化。獣人でもないお前が、なぜそれを使える?」
「ハッ⁉︎ うぐお……ッ‼︎」
廊下に吹き飛んだはずのアルフォンスが、セオドアの肩を掴み、強烈なボディブローで突き上げる。踏み込みの衝撃で、床が大きく凹み、出入口で逡巡していたカールは、廊下へと倒れ込んだ。
「な、何なんですッ⁉︎ あの怪獣対決は⁉︎ 聞いてないですよ⁉︎ い、一体何だと言うのですかッ⁉︎」
廊下に待機しているであろう、騎士団の精鋭な部下達を振り返ると、彼以外の全員が地面に転がっていた。
「なッ⁉︎ これは一体……! な、何故、後続も上がって来ない⁉︎ まさかあの獣人の娘ひとりに⁉︎」
極光星騎士団において、実力ナンバーツーと謳われた彼、そして補佐につくベテラン騎士団のビエスコ。現在行方不明中のラブリンが率いていた、第四師団まで臨時で引き連れて、この綿密な計画。たかが冒険者の粛清など、成功は約束されているも同然のはずであった。それが標的のいるポイントに着いた瞬間、何もする事も無ければ、直接闘った訳でもないのに壊滅寸前。
「クッ、作戦は中止だッ! 動ける者は……うぐぇぇっ!」
撤退命令を出す間も無く、カールの体は何者かによって、鎧の後ろを掴まれた。そのまま持ち上げられ、仰向けの状態で、天井を見せつけられる。見れば白い僧服の女が、その細い片腕で自分を持ち上げ、未だ部屋で大暴れしている怪物ふたりの様子を見ていた。
「ぐっ……お、お前は……『ミンチ淑女のソフィア』……⁉︎」
「最初から全て教団の筋書きでしたか。ふふふ、この私たちを出し抜くとは、なかなかやるじゃないですか」
軽鎧とは言え、全ての装備を合わせれば、相当な重量になる自分を、この女は軽々と持ち上げたまま軽口すら叩いている。魔力による強化の形跡は無し、魔道具を使用している気配も無し……。
「お、降ろせッ! 貴方達には抹殺命令が出て……⁉︎」
「へえ……? この状況でまだ抹殺出来るとお思いですか。せめて『生還』とか『九死に一生』とかを目標にした方が、生物としては賢明ですよ?」
「ふ、ふん、この私が潰えようとも、この街には、まだ多くの騎士団が……いる。貴方達に、逃げ場など……」
「ああ、アレの事を言ってるんですか?」
持ち上げられたまま、窓へと押し付けられる。転落への恐怖に思わず身を竦めたカールは、その先の光景に、死への恐怖すら忘れる衝撃を受けた。
街のメイン通りを、白銀で埋め尽くしているはずが、黒煙を上げる黒い炎に取って変わっている。
「流石はスタちゃんです。対象外には傷ひとつつけない【邪炎】の呪術をチョイスしましたか。一般人の今後の生活への配慮がニクイです♪」
「あ……ああ……騎士団が……」
力無く呻くカールの体が窓から離され、そのままソフィアはツカツカと移動して、今度はテラスの柵の外に彼をぶら下げた。またも墜落死への恐怖が、衝撃によって塗り替えられた。自分達の撤収するはずだったルートに、大きく正確な赤黒い炎の円で囲われた、広大な土地が確認できたのだ。
それが複数箇所、点々と地上に輪を描き出していた。
「でも、流石と言えば教団もなかなかのもの、あちらにはシャリアーンの暗殺集団が敷かれていたんですね。何故、あちらの場所なんでしょうねぇ? 一生懸命に働いた騎士団の皆さんが、帰りに通る道ですのに。失敗した時の保険ですかね? それとも、都合が悪ければ、隠しちゃうつもりだったんですかね?」
「そ、そ……んな……」
「ふふふ、良かったじゃないですか? このままだったら、お使いも出来ないあなた方は、確実に消される事になっていたのに。うちのティフォちゃんが、悪い人達をこんがり焼いてくれていますよ? 輪投げかな? 『消えない炎』で遊んじゃうなんて、ティフォちゃんはやっぱり可愛いです♪」
教団は綺麗なものではない、確かに自分でもそう思っていたし、任務の遂行以外にすがる気は無かった。しかし、これではただの『大捕物』では無く、何か約束あっての寸劇に、命を賭して参加させられていたようなものだ。そう愕然とするカールに、ソフィアは優しく甘やかな声で囁いた。
「貴方たちが成功しようがしまいが、この馬鹿騒ぎさえ起これば得する人、損する人でもいるんですかね?」
「そ、そんな馬鹿なッ! この司令の責任者はオウレン枢機卿です、彼は帝国派で盤石のはず。今更、リスクを背負って動く訳が……!」
「どうだっていいんですけどね、あなた方の内ゲバなんて、クソの役にも立ちませんし。でも、その方が損をするなら、それを促した人が得するんじゃないですか?」
ソフィアは廊下に戻り、カールをようやく床に降ろすと、にこやかに顔を覗き込んだ。
「『巨大な組織ほど、甘やかな建前の裏に、大きな利を隠す』です。私のダーこと、アルくんの言葉ですよ。経済のお師匠様から教わったんですって、あなたもお勉強してみてはいかがでしょう。搾取される側って、家畜みたいで、悔しくありませんか?」
膝から崩れ落ち、這いつくばるカールの肩に、ソフィアは手を優しく添えた。
「真実は変わりません。でも、幸せはその人の捉え方ひとつなんですよ。正しいか正しくないか、人のなす事です、誤りのない方が不自然だとは思いませんか?」
「わ、私は……。いや、貴女は私を憎まないのですか……?」
「憎む? あなたが教団の犬だからですか? それとも可愛い子供を使ってまで、この闘いを画策して、一般人を危険に巻き込んだ教団の犬だからでしょうか?」
「……憎んでるじゃないですか」
「いいえ、あなたを憎んではいませんよ、あなたは何ひとつ出来なかった犬ですし。私が憎んでいるのは、帝国と教団のやり方です。そこに属する者だからと憎むのは、あなた方と同等に低い考えです」
「ううっ」
何ひとつフォローになってないどころか、辛辣に受け取ったカールは、目の前で立ち上がるソフィアにつられてヨロヨロと立ち上がった。そのカールの肩に、ソフィアは再び手を乗せて微笑んだ。
「でも、ひとつだけ、迷惑料としてお願いしたい事があります」
「め、迷惑料……はい、謹んでお受けいたしましょう……。何ですか?」
ソフィアの添えた手に、力がこもり白銀の鎧がメキメキと悲鳴を上げる。
「あなたを憎みはしませんが、ブラドちゃんの件で気が済まないんです。一発殴らせてください」
「え? なにを……ぬぐッ⁉︎」
綺麗なワンステップから、完全に腰の入ったストレートが、カールの腹部を打ち抜いた。瓦礫の散らばる大理石の廊下を、白銀の鎧の部品が散る音が続き、遠くの行き止まりに打ち付けられる人体の鈍い音が虚しく鈍く響く。
「あ、エリンちゃんにユニちゃん、下のお掃除お疲れ様でした♪ あら、アースラさん……」
階段を登って来た姉妹の後ろに、思い詰めた表情で俯く、アースラの姿を見てソフィアは口をつぐんだ。
※ ※ ※
すでに部屋の壁は、残っている部分を探す方が難しい。アルフォンスとセオドアの、防御ひとつしない殴り合いは、人体の限界をとっくに過ぎた凄絶なものとなっていた。
「……ゼェゼェ(何でだ……? こっちは肉体強化もしてるってぇのに、何で生身の体でここまで……)」
衣服が汚れ乱れてはいても、アルフォンスは肩で息する事もなく、真っ直ぐに立ち、セオドアの眼を見続けている。噴き出した魔力は衰えるどころか、むしろ濃密さを増し、天井の無い部屋を薄暗くしていた。
「………ぺッ」
口から血の唾を吐き、アルフォンスはセオドアにゆっくりと手を差し出し、指先で『掛かって来い』と促す。セオドアは苦い顔をして、自分を鼓舞するように叫び声を上げながら、アルフォンスとの愚直な殴り合いに応じる。
すでにセオドアは気付いていた。自分の拳に意義がない事を。アルフォンスが声を荒げる事もなく、反論するでも、開き直るでもなく、ただ殴り合いに応じるのが不可解でならなかった。
(何か大変な事があったのは分かってらァ……。親父どのが、必死に抗ってどうにも出来なかったってのも分かってる。だがよ、何で親父どのは、俺にまで哀しい顔を向けてやがンだよ)
セオドアは最初、それが自分に向けた哀れみだと受け取っていた。しかし、何度も殴り合い、眼を見続ける内に、それが別離を哀しむ感情に似ているのだと気がついてしまった。
(悔しいが、親父どのは、全然本気なんか出しちゃいねぇ。殺す気なら、一発で俺はおっ死んでたはずだ。俺が怪しいってんなら、とっとと殺しちまやぁいいってぇのに、こうまでして馬鹿げた喧嘩を受けるのは何故だ⁉︎)
足がもつれ、フックを空振りしたセオドアの腹に、アルフォンスの裏拳が振り抜かれる。
「がっ、カハ……ッ‼︎」
セオドアの膝が床につく。
すでにボロボロの絨毯の赤い毛が、その風圧にふわりと舞い上がる。
「お前は何者だ、セオドア」
「ぐ……っ、く、俺ァ、俺だッ‼︎ アンタは何をそんなに知りてぇってんだ、気に食わねえなら、とっとと本気出してぶっ殺しゃあいいだろうがァッ‼︎ 俺が何者だって、何でそんなに気にすンだ⁉︎」
震える膝に手をついて、よろめきながら立ち上がるセオドアの問いに、アルフォンスは視線を部屋の奥へと向けた。
「これ以上、俺は大切な人を、失いたくは無い。裏切りならまだしも、姿の見えぬ者に奪われた気持ちは、どこに向ければいい?」
頰に残る血の涙の跡は、すでに乾いて黒い線になっている。
「…………」
「俺はこの先、誰かを失う事になるかも知れない。その時に憎むのは誰だ? 相手か、不運か、運命か? いいや違う、救えなかった俺自身だ」
入口から、ソフィアと赤豹姉妹、そしてアースラが現れ、ふたりを見つめている。
「 抜かりがあったじゃ済まされねえんだよ、俺は……」
伏せた眼の端から、再び血が溢れ、頰に筋を描いて行く。その表情に、セオドアは悟った。
(一番悲しんでるのは、親父どのじゃねぇか……)
見ればこれだけ暴れたと言うのに、ブラドの死体が散らばる付近は、それ程乱れてはいない。途中、何度か強引に壁に吹き飛ばされた事はあったが、思えばこれを守るためだったのかと、セオドアは胸の奥が震えた。
「……アンタの何を俺が知ってるかは、今は言えねえよ、例えアンタでもな」
セオドアは眼をそらして、俯きながらそう言うと、今度はアルフォンスの顔を真っ直ぐに見て続ける。
「だが、これだけは断言しておく。俺はアンタの味方だ。アンタに手は……上げちまったけどよ。この手で裏切る事は無え!」
「……そうか」
「な、なんだよ信じるのかよ! もしかしたら俺ァ、とんでもねえ悪党かもしれ……ぶべぇ」
頰を殴られたセオドアが、宙を錐揉み回転しながら舞い、床に叩きつけられた。
「な、なんで殴るンだよッ‼︎」
「勢いだ……気にすんな……」
そう言ってアルフォンスはニヤリと笑うと、バランスを失ったように、地面に倒れた。ソフィアが慌てて駆け寄り、彼の額に手をかざすと、血相を変えて解毒の奇跡を掛ける。
「アルくんのバカッ‼︎ いつから毒なんか受けてたんですか⁉︎」
「ん……最初」
「ハアッ⁉︎ 毒だァッ⁉︎」
「か、鑑定は……『ミナミマスラマダラウミヘビ』⁉︎ 何てマニアックな……ええっと、えっと」
ソフィアは何やらブツブツと呟きながら、荷物の中の物を、あれでも無いこれでも無いと放り投げる。
「な、なあ。そ、そんなにヤバい毒なのか……⁉︎」
「ああンッ⁉︎ 猛毒も猛毒、龍種も一噛みで殺す激毒ですよッ‼︎ これに噛まれて生き残った男が、邪神と闘う英雄になったって、南海伝説が出来たくらいです」
「そ、そんな……何でそれで俺なんかと殴り合って……」
よろめくのをアースラに支えられ、やっとの事で立っているセオドアに、エリンが静かに呟いた。
「それだけ、あなたを疑いたく無かったんでしょ。アル様はあなたの事、すごく気に入ってたのよ」
「─── ッ‼︎」
「セオドア、わたくし、あなたの後を追って、すぐそこでやり取りを見ていましたわ。あの方は最初から、誰にも怒りなどぶつけていませんでした。ただ哀しみ、憂う感情の匂いが、悲しい程に漂って……。もう、見てはいられませんでした」
「……俺にだって……分かってたよ、そんなもん」
セオドアはそこまで言って、だから自分の感情を受け止めてくれたのだと、今更のように実感が込み上げて胸が締め付けられていた。
その男が、今は毒に倒れている。気が抜けて一気に毒が回ったのか、滝のような汗をかき、呼吸は浅く激しく、手足の力が見る間に抜けて行く。
「ああああッ‼︎ 血清が無いッ‼︎ どうしよう……アルくん……ああ……」
荷物を漁っていたソフィアが、絶望に打ちひしがれ、彼の体を抱きありったけの奇跡を掛け続けていた。その普段とはかけ離れた彼女の取り乱し方に、エリンとユニは床にへたり込んだ。
部屋には、徐々に回数が減って行く、アルフォンスの呼吸音だけが響いていた。