うちには文鳥がいた。僕はそれを薄っすらと憶えてる。でも、どうしても思い出せないんだ。どんな声で鳴いていたのか、どんな模様だったのか。頭の中では、薄ぼやけた白い文鳥の影が浮かぶだけ。
物置に来ると、いつもそれを思い出しかける。物置の中の埃っぽい空気の中に、文鳥のにおいが漂っている気がする。僕は物置の前を通る時、それが気になって、つい覗き込んでしまうんだ。
お母さんは、僕がこの物置に入るのを嫌がる。いろんな道具とか、重たい物が詰め込まれているから危ないって。いつまでも子供扱いで困っちゃう。
お昼寝から起きると、お母さんはどこかに出かけていた。きっと買い物だと思う。僕はチャンスだと思って、物置の中に入ってみた。
中は埃臭くて薄暗い。たくさん物が積まれていて、何だか息苦しいけど、僕はこの狭い感じも好きだ。しばらく目をつぶって、中のにおいを嗅いだ。
やっぱり鳥のにおい。乾いた羽根の粉っぽいにおい。古くなった餌のにおい。それが空気のどこかに混じり込んで、僕の頭の中に、あの白い文鳥の影が浮かんだ。
僕と文鳥は仲良しだったと思う。……そんな気がする。
僕がお昼寝していると、いつも楽しそうにさえずる声が聞こえた。……そんな気がする。
ほら、どこかで短く鳴く声が聞こえてくる。……そんな気がする。
ゆっくりと目を開くと、さっきより鳥のにおいが強くなった。やっぱりうちには文鳥がいたんだ! お母さんに聞いてみても、いつも首をかしげるだけだったけど、僕はちゃんと憶えているんだ。頭の中の白い影も、段々と形になってきた。
もう一度目を閉じると、頭の中にくっきりと文鳥の姿が浮かんできた。体が真っ白で、綺麗な赤いクチバシに、そのアカが染み込んだような桃色の脚。ほら、こんなにもしっかり思い出せるんだ。絶対にいたんだよ!
目を開けて、積み上げられた物を見上げると、奥の方に古びた鳥かごが見えた。僕は思わず近くの箱に飛び乗って、底に向かって近づいて行った。そうして近くでよく見と、銀色のカゴにうっすらとついた白い粉みたいなザラザラ、すっかり空になって白くぼやけた餌入れ、外されて中に立てかけられているとまり木。間違いない! 文鳥がいた跡がこんなにも残ってる!
そうしたら、頭の中に文鳥の歯切れのいい鳴き声が、今度ははっきりと響き出したんだ。僕はもう完全に思い出せた。白くて可愛い文鳥の小さな目、小刻みに羽ばたいて、あちこち首を回す姿。
どうして忘れていたんだろう? あんなに仲良しだったのに、どうして?
それに文鳥はどこに行っちゃったんだろう? たくさん思い出せたのに、文鳥がどうなっちゃったのか、どうしても思い出せない。首をかしげて踏ん張ってみても、やっぱり思い出せない。
そうしたら、今度は文鳥とは違う、他の事を思い出しちゃった。
文鳥がいた頃、僕には仲良しなお友だちがいたんだ。目が大きくて、人懐っこい年下の女の子。とても元気で、いつも僕の周りを走ったりしていたっけ。
あの子はどうしたろう? いつの間にか会わなくなっちゃった。引っ越ししたのかな? 死んじゃったんだっけ?
やっぱり思い出せないけど、あの子の顔はしっかり思い出せる。かけっこをしたり、かくれんぼしたり、楽しかったなぁ。
あれ? 僕は文鳥のことを思い出したかったのに、どうしてあの子のことを思い出したんだろう。でも、急にあの子の色んな事を思い出しちゃって、頭の中はあの子がぐるぐる出てきて、文鳥がどうなったのか考えられなくなっちゃった。
なにかあの子と関係があるのかな? じゃあ目一杯、あの子の事を思い出してみよう。そうすればあの子の事が頭の中で大人しくなって、文鳥を思い出そうとできるかもしれない。
あの子はたしか、後ろの家に住んでいたな。お母さんに連れられて、近くの三角公園でよく会ったんだ。ちょっと僕より年下だったけど、あの子はすぐに僕に懐いて、一緒に走り回ったんだっけ。あの子のお母さんも優しい人で、よく僕の頭を撫でてくれたなぁ。
そうだ、思い出した。あの子はお引越ししちゃったんだ。僕はあの子にお別れをして、すごく悲しい気持ちになっちゃったんだ。
あの子は元気かなぁ。大きくなったのかな。そう言えば、あの子のクセは治ったのかな。お気に入りのおもちゃとか、大切なものをどこかに隠しちゃうやつ……。
……隠す?
そうだ! 僕はあの子とのお別れが悲しくて、もうひとつの大切だったお友だちの文鳥を隠しちゃったんだった!
……どこに?
ここだ、この物置に隠したんだ! ちょうど隅に置かれてた、柔らかそうな絨毯が巻かれた中に、優しく包み込む様に文鳥を隠したんだ!
辺りを見回すと、あの時のまま巻かれた絨毯が荷物の間に立てかけられてる。僕は絨毯を引っ張り出して、その中を調べた。
中からは真っ白な文鳥が出てきた。もうすっかり干からびて、綺麗だったクチバシは白っぽく、脚も枯れ枝みたいになっちゃって丸まってる。
かわいそうな事をしちゃったな……。僕、文鳥がずっといてくれたら良いと思ったんだ。なのに僕はすっかり忘れて、文鳥を死なせちゃったんだ。
その時、お母さんの帰ってくる音が聞こえた。
僕は急いで物置から出て、お母さんの元へと走っていった。
「ただいま。良い子にしてた? ペス」
「わんっ!」
僕はもう文鳥の事をすっかり忘れて、お母さんに目一杯にしっぽを振って喜んでいた。