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Episode

禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~

第九章 適合者

第四話 拒絶

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いよいよ魔界へ出航する準備が整った。

他の婚約者より自分がアルフォンスと進んでいないという不安を抱えるスタルジャ。
アルフォンスはそんな彼女と二人で、
フィヨル港のマナ観測所を見学する。

マナや魔力のみが見える、
幻想的な観測用ゴーグルの光景に感動し、
二人は光を満たす世界を楽しんだ。

魔界での行動計画も整い、
スタルジャはアルフォンスと、
魔界最初の街フォカロムでのデートの約束を取り付ける。

絞り出した勇気と、
アルフォンスの嬉しそうな微笑みに舞い上がった彼女は、
観測所の付近まで飛び出してしまう。

その時、上空から強烈な魔力反応が迫っていた───。

 無音の暗闇の中に、ぼんやりと小さな灯りが、鼓動を打つように光を揺らしている。アルフォンスはただ、夢うつつのおぼろげな意識で、それを見つめていた。限りなく浅い思考力の中、その事に気がつけたのは、奇跡と言っても過言ではない程に曖昧な世界だった。
 あの光は弱く小さいのではなく、この闇が限りなく遠く深く、それが遥か彼方にまたたいているのだと。

(これは……世界。世界と世界の間の、ただただ遠い闇なんだ……)

 その思考が発端となって、アルフォンスは自分の意識がある事に、ようやく気がついた。

(俺は……俺はあの光を……知ってる……)

 まるでその意識に呼応するかのように、光は大きさと輝きを増し、光のチラつきをより鮮明にした。

(……あの揺れは……音……? 何か……音を出している……のか……?)

 その瞬間、光が突如膨張し、暗闇を真白に塗り潰した。同時に首の周りに、強い熱を感じて、アルフォンスは顔をしかめる。

─── ……ゲテ……

─── マダ……アナタ……ハ……

─── カナワナ……イ

 激しい耳鳴り、首周りを焼く熱感。しかし、アルフォンスはその声を、しかと耳にした。

 ※ 

「─── …………くん! ……アルくんッ⁉︎」

 夢から醒める瞬間のように、視界の光景と画質が、瞬時に切り替わった。『……え?』と目を瞬かせるアルフォンスにすがりつき、ソフィアが不安な顔で見上げている。

「アルくん? どうしたんですか、急に呆然として」
「今……のは、夢か─── 熱ッ‼︎」

 鎖骨の辺りを押さえ、身を屈める彼の上着に、みるみる焦げが広がる。

「そ、それはッ⁉︎ 守護印がまた反応してるんですね⁉︎」
「あ、ああ。今、多分俺はラミリアに呼び出されて……」
「アルくんの気配が隠蔽いんぺいされてますよ⁉︎ あの、また何を企んで……‼︎」

 ソフィアが盛大な舌打ちをした瞬間。強烈な圧迫感が辺りを襲った。

「「「─── ッ⁉︎」」」

 その時、その場にいたアルフォンスとその婚約者達、そしてロジオンが同方向に振り返る。

「─── 【着葬クラッド】ッ‼︎」

 突如として、禍々しい姿に変化したアルフォンスに、会議場にいたギルド職員達は、怯えて固まっている。

「オニイチャ、この気配……ヤバイ」
「職員達はここから絶対に動くなッ!」

 あの速度では、今から逃げようとしても間に合いはしない。かえって外に出る方が、彼らの場合は危険だと、アルフォンスは見越していた。その言葉に従うまでもなく、突如魔力と闘気を噴き上げた彼の覇気に、実力の無い者達は硬直していた。

「アルくん。ラミリア様は何と?」
「逃げろってさ。今の俺じゃあ、敵わないらしい」

 その言葉に、ソフィアの目が見開かれる。彼女は『光の神ラミリア』を知っているのだ。如何に傲慢ごうまんで、自分勝手な上司とは言え、ラミリアは嘘をつかない。まして、何のお膳立てもない状態で、アルフォンスに直接声を届けるなど、冗談やたわむれで出来る事ではない。光の神であれ、越権行為は適用されるのだ。

 ─── 天界に在る者は、是、人界に直接手を貸してはならない

神の掟を犯し、光の神ラミリアが今、その存在を賭けてでも危機を伝えようとしている!

「そ、それだけのリスクを押してでも、伝えなければならない危機。アルくんの気配を、わざわざ隠蔽いんぺいしなくちゃならない相手なんて、ひとりしか……!」

 ソフィアが驚愕の声を漏らした時、アルフォンスの顔の前に、黒い霧の渦が現れた。そこから聞き覚えのある声が発せられる。

『─── あ、アル! たいへん、ヤバイのがくるよッ‼︎』
「ミィルか⁉︎ 今お前は何処に……スタルジャはどうしてる……ッ⁉︎」
『防壁、昨日ふたりで来てたとこ! スタは、ここにいたみんなをにがして、ここでアレを食い止めようとしてる!』
「ば……馬鹿ッ、スタルジャが勝てる相手じゃないッ! 早く逃げろッ!」
『そういったんだよーッ! だけど、スタは『アルをにがすんだ』って……。ただにげても、おいつかれちゃうだろうって!』

 アルフォンスは転位魔術を発動して、その場から姿を消した。それを見て、ソフィアは会議場の扉を蹴破り、防壁の方向へと走り出す。ティフォは近くの闇に溶け込んで、直接アルフォンスを求め、姿を消した。エリン、ユニ、そしてロジオンがその後を追って、会議場から飛び出して行く。

 この場に居合わせた者達の中で、防壁の近くの転位魔術の座標を、正確に得ている者はアルフォンス以外になかった。
 これ程の気配、それを放つ存在の驚異的な力を、スタルジャが分からぬはずがない彼女はソレに勝てない、いや、ここに居る誰もが勝てないかも知れない。だからこそ、彼女は命を投げ打ってでも、アルフォンス達を逃す事を望んだのだ。彼女ならそうするだろうと、彼女を知るアルフォンスの婚約者達は、分かっていた。
 そして、アルフォンスがそれを許さない事も、分かっていたのだった。

 ※ 

 フィヨル港の街北端の防壁、その片隅にとある一点を中心に、黄緑色の光で描かれた幾何学模様のドームが街を覆うように展開された。強固な結界の膨張が大気を震わせて、空の至る所に青白い電光を走らせると、海峡の荒波すら押し退けて波音を立てた。地響きにも似た、重苦しい魔力の圧力の中、術式を完成させた緑髪のエルフはキッと沖をにらみつける。

 その背後で、青白い魔術の反応光が瞬くと、彼女は驚きの表情を浮かべて振り返った。直ぐに光の中から現れた、人影を見て哀しげにうつむく 。

「─── スタルジャッ‼︎」
「どうしてアルが来ちゃうの! 今のうちに、できるだけ遠くに逃げてッ! 早くッ‼︎」

 叫ぶスタルジャの言葉に反して、アルフォンスは彼女に駆け寄り、その体を抱き締めた。

「これだけの力を持つ相手だ、逃げても間に合わないし、転位魔術を使っても追跡されるだろうさ」
「でも、でも……! 私が時間稼ぎしていれば、あなたは助かるかも知れない!」
「それじゃあ、意味がないんだよ。スタルジャが近くにいないとさ」

 声を出すと鼻につんとした刺激が込み上げて、泣き出してしまいそうな気配を、彼女はグッと息を止めてこらえた。『そうだった、この人はそう言う人だった』。彼女はそう思い直し、束の間の温もりを少しでも強く感じるために、自分を抱く男の胸に顔を埋めた。そうして数回深く呼吸をしてから、アルフォンスの腕を離れて、暗い空を再び睨みつける。

 もう気配は目前まで迫って来ていた。アルフォンスは、夜切をその手に喚び出して握り、スタルジャは周囲に精霊の光球を無数に浮かべる。

「へへへ、そうだね。これはもう逃げられそうにないね」
「ああ、でも約束は約束だろ」
「約束?」

─── パッ……キイィィ……ン

 張られていた結界が、空に無数のヒビを走らせて、黄緑色の光を走らせて砕け散った。大質量の結界が失われ、街には寄り戻る大気に押されて、強風が吹き荒れる。

 アルフォンスは夜切を抜いて、ゆっくりと構え、その出現に備えた。上空にぽつんと浮かぶ人影に、アルフォンスは持てる全ての闘気と魔力を、怒涛の如く立ち昇らせる。人影はその圧倒的なアルフォンスの魔力にも、顔色ひとつ変えず、静かに降下して目前の宙に留まった。

 腰元まで伸びた白髪、胸元まで下がる白髭、深いシワの刻まれた顔に光る鋭い眼。前合わせの簡素な服は、細く繊細な体に見せるも、その下の肉体が持つ闘気は最早人とは思えぬ程だ。

(何だこの爺さんは……人間……なのか?)

 漆黒の全身鎧の下、アルフォンスの背中に冷たい汗が流れ、鍛え上げられた精神が掻き乱されるのを感じていた。

「─── アルくんッ‼︎」

 光の粒子を巻き上げ、ソフィアが上空から急降下して、アルフォンスの隣に降り立つ。その反対側に伸びた、彼の影の中からはティフォが浮かび上がり、赤黒い触手を広げて構えた。数秒遅れてエリンとユニの二人も、その場に駆けつける。
 老人は風に白髪を揺らめかせながら、ただ静かに彼らを見下ろし、鋭くも光の無い瞳で凝視している。睨み合うひとりと六人。牽制でも威嚇いかくでもなく、静かに、しかし際限なく膨れ上がる闘いの空気のみが、大気を震わせて唸りを上げていた。

「……こいつは……何なんだ……?」

 アルフォンスのつぶやきに、ソフィアは細く息を吐き、静かにそれを告げた。

「─── 適合者……もうひとりの……。いいえ、私のです」
「「「─── ッ⁉︎」」」

 明らかに動揺が走る。

「こ、こいつが……ハンネス! 何故、魔界を出られるんだ⁉︎」

 ハンネスが魔界に閉じ込められたのは、魔王の加護を与えられた体、それが持つ魔王の特性と人の身の限界にあった。魔王は魔界の膨大なマナを受け、魔界の全ての生命に分配するのが定めである。

 しかし、ハンネスの魔力の器は、契約者であるリディを封じられた事で、人のそれに成り下がった。膨大な魔界のマナの流入は、その器をむしばみ、魔界への分配をしなければその身が弾け飛ぶ。逆に魔界を離れれば極端な魔力の枯渇を起こして、ハンネスの存在は消失。
 かつて、剣聖イングヴェイの目論見により、この三百年間、彼を魔界に縛り付けた現実だ。魔界を離れてもなお、その肉体の崩壊を防ぐには、人界の適合者として受ける、魔力の総量の拡充が必要なはずである。

 つまり─── 。

「こいつがここに居るって事は……リディはすでに復活しているのか⁉︎」
「はい。間違いありません。この馬鹿げた契約の光の大きさは、人界の適合者として完成された者の証。私の前任者、リディは確実に─── ッ⁉︎」

『─── 【 拒 絶 】』

 ソフィアが言い掛けたその時、抑揚の無い声が響くと、赤黒い霧が街を覆い、世界の色を著しく失わせる。直後、その場に居た全員が、呼吸する事すら難儀する、重苦しい圧に押し潰された。

「…………ぐっ、う……っ⁉︎ こ、これは……神威……⁉︎」
「う、動け……ない……ッ!」

 かつて霧の女王エスキュラが、不死の夜王パルスルが使った、全てを拒絶するエルネアの負の感情。それを遥かに凌駕する、存在そのものを許さぬような、強烈な神威に体の自由を奪われていた。

「─── あなたが……わたしの…………」

 澄み切った声が響き、ハンネスとおぼしき老人の背後に、光の渦が舞う。その中心から黒い塊が現れ、一瞬にして人の形を成すと、誰もが声を失った。

 ソフィアと寸分違わず同じ顔、優れた芸術品のように整ったシンメトリーな造形、しかしソフィアとは似ても似つかぬ女。無感情に見下ろす瞳は、記憶の映像にあったソフィアと同じエメラルドではなく、この世の闇を凝縮したような漆黒。そして、そこにあるはずの豊かな白金の髪は、その一本も残さず生えていない。
 調律神オルネアの化身、先代の代行者にして、聖魔大戦の英雄のひとり。大魔導士リディ。彼女の言葉に、老人はピクリと反応して、ソフィアを見る。

「……あれが、リディの後任かい?」

 老齢の姿にそぐわぬ、澄み切った少年のような声が、白ひげの奥から発せられた。

「そう、ハンネス。あの僧服の女が……わたしの後任。オルネアの……
「へえ。じゃあ、もしかしてその隣の黒いのが、僕の後任かぁ」

 ハンネスの視線がアルフォンスを定める。

「やあ、適合者くん。はじめまして」

 眼はそのままに、ハンネスの口元が微笑みを浮かべた直後、アルフォンスの体に衝撃が走った。その瞬間、地面にぎ倒されたアルフォンスの体に、青白い炎と魔法陣が浮かび上がった。

「……【自動蘇生イムシュ・アネィブ】⁉︎ あ、アルく……⁉︎」

 黒い何かがくるくると宙を舞い、アルフォンスの傍に落ち、鈍い音を立てた。それは特殊魔鋼を鍛え上げた、炎槌ガイセリックの籠手こてに覆われたままの、アルフォンスの左腕。直後、漆黒の鎧、その胴に斜めの切れ込みが走り、おびただしい量の血が噴き出す。

「なんだ。この程度で死ぬのか。虫ケラだなぁ……ガッカリだ」
「いやあああッ! アルくん! ─── 【癒しの奇跡】ッ‼︎」

 ソフィアが半狂乱で回復の奇跡を放つも、アルフォンスの傷に、全くと言っていいほど反応はなかった。

 ボト……ッ! ボトボトボト……ッ!

 ハンネスの足元の石畳を、細切れにされたの肉片が、雨のように降り注ぐ。

「うっ……ぐっ!」

 ティフォが苦痛に顔を歪め小さくうめくのを、ハンネスはつまらなそうに眺め、溜息をついた。

「今のが攻撃のつもり……? 後任もゴミなら、その取り巻きもゴミか。興醒めだなぁ。それにしても、なんであいつ、生き返ってんの?」
「あれはおそらく【蘇生アネィブ】の変化系。予め、掛けておけば……死んだ直後に蘇る。術式はそんな意味合いだったわ」
「へえ、生意気だなぁ。でも、弱かったら意味無いよなぁ。何度でも殺されるんだし」

 ハンネスの鋭い視線が、再びアルフォンスに向けられた瞬間、何かがそれをさえぎった。それは背中から鮮血を散らし、アルフォンスに覆い被さる。

「す、スタちゃん───ッ⁉︎」
「「「─── ⁉︎」」」

 エリン、ユニ、ティフォが、声を上げる事も叶わぬ目の前で、アルフォンスの盾となったスタルジャが吐血して倒れた。

「へえ、あれはエルフか。お前の【拒絶】の下にいて、動けるとは中々に見所があるな。もう死んじゃうけど」
「何故……? 何故動けるの……矮小な木っ端のくせに……ッ!」

 己の神威を耐えられた事に怒り、身を乗り出そうとするリディを、ハンネスは睨みつけ、その動きを制した。

「おい。これはぼくが楽しんでるんだろ? お前は黙ってろよ」
「……ご、ごめんなさいハンネスッ! ゆるして、お願い……わたしを見捨てないでッ⁉︎」

 金切り声を上げ、激しく取り乱したリディが、ハンネスの腰にすがりつく。その胸倉を掴んで、ハンネスはリディを引き寄せ、唇を乱暴に塞いだ。

「……これでいいだろ? 五月蝿うるさいんだよ……お前は黙ってろ」
「…………」

 小さく震え、未だ怯え切った眼のまま、リディは命令通りに口をつぐんでいる。その彼女の表情を一瞥いちべつする事も無く、ハンネスはもう一度、アルフォンスの方へと向き直った。

「…………スタ……ルジャ……」
「………………あ……ア……ル」

 アルフォンスは息も絶え絶えに、己に被さったスタルジャに声を振り絞る。血まみれの手で、何とか彼女の体をずらし、ハンネスの留めの一撃から守ろうとしているようだ。しかし、彼女の細い腕が、瀕死とは思えぬ力で彼の体を抱き締め、それをさせようとはしなかった。

「……離せ。狙いは……俺だ……!」
「……ぜったい……い……や……」

 血に塗れた彼女の顔が、力無く微笑みを浮かべる。彼女は最期まで、自分を守り死ぬ気なのだと、その表情に悟った。

「……約束……した……だろ……?」

 約束、ハンネスが現れる直前と同じ、彼が口にした言葉に、スタルジャは不思議そうに眉を寄せた。

「…………フォカロム……で、デート……」

 彼女はその言葉に、眼を細めた。小さく『うん』と囁いた時、彼女の体が青白い【自動蘇生イムシュ・アネィブ】の光に包まれる。その白い肌が、黒ずんで褐色に染まるのに、アルフォンスは眼を見開いた。

 ソフィアが掛けた回復の奇跡にも、アルフォンスの傷は一向に癒える気配がない。この傷は魔剣と同じく、魂を囲うもう一つの体、幽星体アストラル・ボディごと傷つけている。更にはリディの【拒絶】が、あらゆる魔術を阻害し、回復の効果すらも低減させていた。
 つまり、如何に【自動蘇生イムシュ・アネィブ】しようとも、傷は癒えずに、再び死の淵に落とされる。

「……ダメだ! スタ……寝る……な! 戻って……こ……い」
「……だ…………い……す…………き……」

 スタルジャの体が、青白い業火に包まれる。全ての魔力を使い果たしてでも、彼女を生かそうとするアルフォンスの、狂ったように連発する【自動蘇生イムシュ・アネィブ】の反応光だった。その青白い炎の光が、ハンネスとリディの顔を、下から青く闇夜に浮かび上がらせている。

 無感情な眼。心通わす様子が見られない、ふたりの共通点。その目に移る青白い炎の光が、突如、紅い炎の光に塗り替えられた 。

ァアア─── ッ‼︎」

 石畳を溶かしながら駆ける、紅蓮の焔に身を包んだ、白いスーツ。アルカメリア冒険者ギルド協会本部長、魔界に名を馳せた不老の男。

 炎帝ロジオン・サーヴァス。かつて愛した者達への想いを、今この男が怨讐おんしゅうの業火に換えて、勇者ハンネスの前に立ちはだかった!

 ※ ※ ※

「……くっ! このガキ……ッ」

 禍々しい黒い炎をまとった魔剣の一閃が、紅い炎をすり抜けた。紅蓮の炎は瞬時に人の姿に戻り、勇者の肩口を幅広の短剣で焼き貫くと、肩の一部を消炭にして散らす。苦痛に顔を歪める勇者、しかしその傷は、瞬く間に再生された。

「チッ! 勇者の奇跡【超再生】か、なんとも面倒臭えなクソッ! てめえみてえな、お坊ちゃんには、勿体ねえ加護だよなぁッ‼︎」

 剣を振り被るロジオンの胸を、勇者の魔剣が貫くも、その姿が搔き消える。逆に勇者はうめき声を上げ、前によろめいた。搔き消えたロジオンの姿は炎の幻影、本体は背後から勇者の背中を斬りつけていた。

「どうしたぁッ! てめえ、勇者なんだろうがぁッ! 魔王さんに……フォーネウス王に手を掛けた、てめえの奇跡ってやつを見せてみろッ‼︎」

 それまで魔剣を抜く事すらしなかった勇者を、ロジオンが追い詰める。

「……クソッ! その名で呼ぶなぁッ! ぼくを『勇者』と汚らわしい名で呼ぶなぁッ‼︎」

 不可視の斬撃が、五月雨さみだれの如くロジオンを襲うも、炎の揺らめきの音を立てて通り過ぎた。

 その斬撃は【斬る】奇跡。アルフォンスの会得した、数少ない『オルネアの聖騎士』の加護の内のひとつ。すでにハンネスは、アルフォンスの知らぬ、いくつもの奇跡を行使している。
 【神雷】【神疾】【神眼】【超再生】─── 。しかし、炎と実体を老獪ろうかいに使い分け、ハンネスの力を最小限に抑えるロジオンに、その奇跡は届かなかった。

「あれ……が…………オルネアの聖騎士パラディン……。完全な……契約の……奇跡…………」

 ハンネスの思わぬ苦戦に、リディは動揺したのか、わずかに【拒絶】の奇跡が弱まっている。やや体力を取り戻したアルフォンスは、スタルジャに【自動蘇生イムシュ・アネィブ】と回復魔術を掛け続けながらつぶやいた。その言葉にソフィアは唇を噛み、己の不甲斐なさを、ただただ歯痒く思っていた。

(アルくんがちゃんと契約を得られていれば、絶対に負けないのにッ! 私が、神の代行者として……未熟なばかりに、彼を危険に晒してしまった……!)

「ソフィ……やめ……な……!」

 エリンの声に、ソフィアは悔しげに眼を閉じる。わずかに動く指先で、ソフィアは自らの太腿に、斬り刻む奇跡を掛け続けていた。その痛みで、少しでも自分を奮い立たせ、リディの呪いを凌駕するために。

「神の使う奇跡は、その想いの力。今の私に……リディの奇跡を……打ち払う覚悟の強さが……足りないんですッ! 恨みでも憎しみでも苦痛でも、私には今、アルくんを守るための……想いの力が!」
「ソフィ……」

 エリンはソフィアの想いを知り、無力感にさいなままれているのが、自分だけではないと噛み締めた。エリンは魔力を肉体強化に注ぎ込み、全身の筋力を膨張させて、至る所から血を噴き出しながらも限界を超えんとする。全身を赤褐色の体毛が覆い、顔が人のそれから、豹そのものの形へと変貌した。

 密林の王者、その風格を成す、鋼の肉体が唸りを上げてリディの【拒絶】を振り払う。

「─── 獣化!」

 セオドアの獣化と同じく、エリンは己の内に眠る獣の力を、強引に引き出したのだ。

「ソフィ、きっとそれじゃだめ。あなたはアル様の守護神。あなたが奮い立たせるのは、あなた自身じゃ……ない。アル様と共に生きる覚悟……じゃないかしら」

 エリンは目元を優しく細めて、ソフィアに微笑みかけると、石畳の地面を踏み割って勇者へと飛び掛かる。その後ろに、白と黒のシルエットが、追従するように現れた。魔導人形のマドーラとフローラ。
 三条の殺意が迫るのに気がつき、勇者はリディに向かってえた。

「何やってんだリディッ! ぼくを助けろッ‼︎」
「─── ッ‼︎ は、はいッ!」

 リディはずっと己を押し留めていた。この世で何よりも大きな存在、契約者ハンネスが『お前は黙ってろ』と、そう言ったのだから。目の前でハンネスが傷つくのを、彼女は血涙を流す思いで、激情に打ち震えて眺めるしか出来なかった。しかし、今、その禁が解かれた。

─── 【 我 が 前 に 平 伏 せ 】

 重苦しく、狂気に満ちた言霊が、赤黒い波動をもって紡がれた。【神の呪い】は、ロジオンとエリン、マドーラとフローラの四人はもちろん、その場にいる勇者以外全ての者達を地面へと押し潰す。

「ハンネス……もう良いでしょ? このまま、全部滅ぼしてしまえばいい」
「いや、それじゃあ天界には行けないだろ? どうしたって聖剣は必要だ。ぼくはこの世界を、天界ごと消すんだから」

 勇者の魔剣が、ロジオンのうつ伏せの背中に振り下ろされた。リディの呪いに支配されたロジオンの肉体は、その炎の呪いを停止させていたのだろう。肉体を炎化できずに、背中を斬り裂かれ、血飛沫を上げていた。

「やめ…………ろぉおおおッ‼︎」

 アルフォンスが渾身の力で立ち上がり、勇者へと魔力の波動をぶつける。塞がり掛けた傷口が開き、石畳を打つ血液の音と、外気との温度差で湯気が立ち込めた。

「何故……? 契約も出来てない、ただの人間が……わたしの呪いに……抗える」
「ふん、腐っても適合者か。こりゃあ、お前の後任がカスなんだな? あのデカブツ、ここで確実に殺した方が良さそうだ。でも、その前に、ぼくと同じ適合者なら、ぼくの百万分の一でも、苦痛を味合わせてやりたいよねぇ」

 勇者は顔を片方の手で押さえ、口元を歪めてわらうと、足元のフローラを魔剣で突き刺した。呪いで声すら出せぬその背中に、突き立てた刃を、何のためらいもなく搔き回す。

「…………止め……ろおぉぉッ‼︎」

 アルフォンスの魔力が、黒い暴風を起こし、リディの呪いに抗おうとする。しかし、その足を前に一歩進める事すら、敵わない。

「あれ? この子じゃないのかぁ。一番大事な子は誰かな? それともこっちの黒いのかな?」
「…………殺すッ! お前は絶対、俺がこの手で殺す……ッ‼︎」
「あははは、いい声で鳴くなぁお前。それそれ、そういうのだよ……。大事な人が奪われたって、何もできやしない自分を、心の底から怨むんだよ! こんなのが、神の与えた運命なんだろ? お前の叫び声、涙の一粒まで神への供物なんだよッ‼︎」

 呪詛じゅそを撒き散らし、勇者はマドーラの背中に、魔剣を突き立て抜き刺しを繰り返す。

「……供物……だと……?」
「ああ、何だお前、まだ知らないのか? ぼくたちの喜び、憎しみ、怒り。全ての感情はマールダーへの供物なんだよ。そのために、ぼくたちは生かされ、何も知らずに生まれ変わり、また苦しんで死ぬのさ! 苦痛に立ち向かう魂の光を、永久に捧げるために、何度だって悲劇を与えられてね」

 その言葉に、感情を揺さぶられたアルフォンスは、リディの呪いに押し潰された。

「あはははッ! 聞きたく無かった? 言っちゃった、教えちゃったよー♪ ああ……たまらないな、その表情! まるで目の前で、カルラを殺された時のぼくみたいだよ」

 勇者は魔剣を引き抜き、マドーラの隣に倒れていたエリンへと、その切っ先を向ける。

「でも、まだまだだ。ぼくはこの世の太陽を殺されたんだ。その苦しみを三百年も、あのカビ臭い魔王城の中で、抱き締めて来たんだ。さあ、次はこの獣人の女の子だ。ぼくの苦痛の億万分の一でも、味わってみてくれよ……」
「………………ッ!」
「あはは、いー顔♪ この獣がそんなに好きかい? そいつはやり甲斐があるよねぇ─── 」

 ヴゥ……ンッ!

 勇者が魔剣を振りかざした時、夜空に薄紫色の閃光が走り、凄絶な速度で何かが勇者を吹き飛ばした。すぐさま襲いかかるリディをも吹き飛ばし、その巨大な存在は、天に咆哮ほうこうを上げる。

 白い体に黒い虎縞模様、長い首を流れるように伸ばすと、鎖を擦り合わせるような強固な鱗の音が響き渡った。アルフォンスの手によって聖戦士となった、風の境界フィナウ・グイの守護にして、エルフに育てられし龍。その身に、数多のエルフの魂を宿す。

─── 神龍ディアグイン

 三百年の呪い、そして【時間停滞】の魔術から解放された巨龍が。それが洞窟で遭遇した時よりも更に強大な姿で、勇者の前に立ちはだかった。

作者のつぶやき

亜空間に封印されていたはずのリディの復活。

美の女神とも形容される、その整った容姿のはずが、何故か心を震わせない。
魂の入っていないガラス細工の人形のようであり、感情のない瞳、抑揚のない言葉。
そして、あるはずの美しい白金の髪がなく、スキンヘッドの状態で降臨する。

感情を持たされずに顕現した化身のリディ。
感情を持ち顕現した化身のソフィア。

同じ『調律の神オルネア』の化身でも、そのOSの違いで全く印象が違う。
これを表現するのは、中々に楽しい作業でした。

リディ自身、封印を解くのに、筆舌に尽くす苦痛があったはずだし、ハンネスとの関係は三百年前と変わらず歪なまま。

人界の調律には、その文化が高まるほど至難の業になるでしょう。
むしろ感情を持って顕現したソフィアには、その環状が雑音となりかねないノイズとも言えます。
しかし、余りにも過酷な運命の調律には、感情がなく真っ直ぐな分、挫折した時に極端な選択を取るのかもしれません。

そりゃあ髪も抜けるよね(本当の理由は知らんけど)。

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