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禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~
第九章 適合者
第五話 神と適合者と
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フィヨル港に姿を現した、
勇者ハンネスと調律神の化身リディ。
全時代の調律者ふたりは、
その完成された契約の力で、
アルフォンス達を圧倒する。
リディの神の呪いとも言える神威『拒絶』は、
あらゆる行動を拒否し、
魔術を封じ、指の一本さえ動かせない状態を強いた。
ハンネスの持つ魔剣【闇に吠える者(ツゥエル・フ・スカーレ)】の斬撃は、
幽星体を破壊し回復魔術を阻害する。
斬撃を受けたアルフォンスは、
その初撃で【自動蘇生】が発動された。
つまり即死である。
それを殺し尽くそうと留目を放つのを、
スタルジャが身を呈してかばう。
アルフォンスは倒れ、
スタルジャは倒れ、
ロジオンは倒れ、
ソフィア・ティフォ・エリン・ユニはその身を神威で封じられた。
その絶望の縁で、
大気を突き破るようにして現れたのは、
神龍ディアグインだった───。
ごう、と一陣の風が吹く。通り過ぎた後には、張り詰めた静寂が訪れ、より一層気温を低くした。
白い虎縞模様の巨龍は上空で身を縮め、海から反射した薄暗い月明かりに、青白くその姿を照らし出されている。静まり返った空で、睨み合う神龍ディアグインと勇者ハンネス、そして調律神の化身リディ。先程の風が連れて来たのか、空の天井が下がるかの如く、大粒の雪が隙間なく降り始めていた。
神龍の眼がちらりと陸上のアルフォンスを捕えると、再び勇者へと向き直り、瞳を金色に輝かせた。
グルルロロロ……
空を揺らす喉の唸りが、人魔海峡の潮騒を、押し潰す。
神龍は怒っていた。ようやく目覚め、己の主人を求めてみれば、その主人が命の危機に晒されている。そして、母であるサラティナと、愛する者達とは魂で繋がっているとは言え、その温もりと香りを感じる事は永劫に失われたのだ。
また、人間が大切な人を、奪おうとしている。
その怒りに冷気と闇の霧が渦巻き、湿度の高い海峡の空気を、濃密な霧へと変える。霧は海水と触れた途端に、巨大な氷柱を作り出し、神龍の周りに氷城の如き風景を生んだ。睨み合いの中、リディはひとり、今起きている異変に焦りを覚えていた。
何故、こいつにも、わたしの【拒絶】が効かない?
リディは困惑する。最初に【拒絶】を打ち破ったのは、緑髪のエルフの娘だった。他者の行動の一切を拒絶する世界の中で、黒い髑髏の男をハンネスが葬るはずが、その奇跡を振りほどいて盾となった。
そして、炎の子ども。ハンネスに『黙っていろ』と言われ、動揺していたのは確かだが、それでも【拒絶】は発動されていたはずだというのに。まるで当たり前のように動き、ハンネスを追い詰めていたのだ。
そして、この虎縞模様の龍種。【拒絶】の奇跡はおろか、神の呪いまで掛かっていると言うのに、神の代行者であるリディですら目で追えぬ速度で空を駆けた。とは言え、ここまでハンネスに立ち塞がる者達に、有効な手立ては取らせずにはいる。その確かな結果が、リディにわずかな心の揺れを生む。リディは神龍に向けて手を掲げ、再び【拒絶】の奇跡で動きと能力を消し去る事を試みた。
キュンッ!
直後、神龍の音すら置き忘れた速度の突進、それをリディは杖を構えてさばく。大質量の巨体が、超高速で移動するその衝撃波と風圧、そして鋼の如き鱗がミスリル銀製の杖をヤスリのように削る火花と振動が続いた。
「─── リディ!」
ハンネスが叫んだ瞬間、神龍は空の何もない空間を、そこに岩壁でもあるかのように四肢で掴んで急停止する。そして、それを足掛かりに蹴り、鋭角に跳ね返ると、ハンネスへと急襲を掛けた。凄絶な低温の冷気をまといながら。
「ハンネスッ! 正面から受けてはだめッ‼︎」
「─── ッ⁉︎ せああああぁぁぁッ‼︎」
ハンネスは上段から真っ直ぐに振り下ろして、空と海を両断せしめる巨大な斬撃を、白い残像と化して迫る神龍に放つ。直後、神龍の脇腹へと、一瞬にして大きく回り込み、魔力で強化した爆発的な加速の突きで狙う。
キュキュンッ‼︎
初弾の斬撃が直撃する瞬間、音速を超えて直進していた神龍は、そのままの速度で直角に曲がった。急転回した宙には、押し潰された空気の壁が、白く巨大な円盤を描く。人智を超えた高速移動が、やや遅れてパァンと弾ける空気の音と共に、強烈な衝撃波を起こした。
「ああッ! ちょこまかと、うざったい!!」
「ハンネス! 深追いは思う壺! 足元を見てッ!」
神龍を追って飛び出し掛けたハンネスが、真下に寄せ集められていた霧に気が付き、大きく距離を取って後退する。その直後、先程までいた場所を霧が上下から飲み込むと、青白い閃光と共にその一帯が氷山に閉ざされた。
「誘われていたか! トカゲのくせに、老獪な魔術師みたいな闘い方だ……!」
「あの龍種、何やら魂に宿してる。あれを龍だと思ったら……危ない」
会話をしている最中も、一抱えもあろうかという氷の刃が、ふたりを狙って連射される。音速で縦横無尽に駆け回りながら、正確に迫り来る氷のブレスは、ふたりへと吸い込まれるようにあらゆる方向から放たれていた。そうして空中を蹴り、バウンドするように初速を上げ、神龍の速度は更に増して行く。
凍結の術式が組み込まれた氷の弾は、かすめた瞬間から周囲の水分を巻き込んで固まり、ふたりの自由を確実に奪っていた。
「クッ! さっきから、神威が発動しない! ……おいッ、リディ、何とかしろッ‼︎」
「…………あの龍。何故わざわざ、手間の掛かる攻め方を……?」
「はぁッ?」
「あれだけの凍結の呪力……。ここは海上で、いくらでも有利な状況をつくれる。やろうと思えば、この周囲一帯だって、氷漬けに出来るはず。それなのに……何故、点で攻めるの? ここまでの闘い方を見ても、それくらいの知性は持っているはずなのに」
困惑する中、更に速度を上げる神龍の攻撃は、最早終末の嵐の様相を呈している。その超々高速移動の最中、神龍がちらりと防壁の一部を見たが、ふたりはそれに気づけるはずもなかった。
※
─── 防壁、アルフォンス達の近く
神龍の壮絶な攻勢を、未だリディの【神の呪い】で縛り付けられていたアルフォンス達は、ただ見上げているしか出来なかった。アルフォンスの出血は止まらず、それでも彼は周囲に倒れたスタルジャ、エリン、ロジオン、マドーラにフローラの延命のため、片っ端から魔術を展開し続けていた。
先程から降り出した雪が、早くも薄っすらと石畳に積もり、彼らの流した血をその白い地面に強調している。
「…………神龍…………か」
「どういうわけか、さっきから、少しずつですが……。リディの奇跡の力が、落ちて来ています。あの龍が……何かを……?」
失血と冷えに、アルフォンスの呼吸が浅く、早まっている。ただ、まだ身動きは取れずとも、それでもまだわずかに状況は好転していた。神龍が現れた直後から、少しずつだがリディの呪いと奇跡が、弱まりつつあったのだ。ソフィアの言葉に、ユニは指先がかすかに動かせる事に気が付き、全員の回復と解呪を試みる。何も出来ず、涙を流し続けていたユニは、補助魔術を展開して、全員の生命力の底上げを図っていた。
と、その時。海上から微かな魔力の塊が飛来して、アルフォンス達の目の前の石畳の地面に、大きな魔法陣を描き出すまるでその魔法陣の存在を隠すように、神龍の攻撃の手が、突如として激しさを増した。
「これは……【転移召喚】の術式ですね」
【転移召喚】とは、予め術式を施してあるものを、その場に喚び出す魔術である。アルフォンス達の使う【転移魔術】は、その上位に当り、座標さえ掴めていれば何処にでも移動できる。しかし、術式の複雑さと、必要な魔力が桁違いである。対して【転移召喚】は、術式の難度も、必要魔力も小さい。
つまり、魔術発動の反応も少なく、気付かれにくいメリットもある─── 。
「な、何か……来ます……よ!」
微かに魔法陣が光り、その中央に黒いシルエットが無数に浮かんだ。やがて間も無く、黒い影は二十程の、人の姿へと変わった。その内のひとり、杖をついた老婆がアルフォンスに気がつくと、目尻に涙を浮かべて恭しく一礼をする。
「…………あ、あなた……は……」
「おお、魔王しゃま……おいたわしや! 今、わしらがお助けしますでなぁ……!」
そう言って老婆は、瞳に魔力の光を灯して、アルフォンス達を見通す。鑑定の魔術だろうか、程なく彼女は『ふぅ』と難儀そうにため息をついて、腕組みをした。
「ふむ、これは神族の呪いだね? 術者が離れるまで、回復もできやしないねぇ。それなら、時を稼ぐまでさな。ハロークや、皆さんに【時間停滞】をお掛けするよ! エリアは補助をおし」
老婆の指示、それを受けて初老の男が、他の者達に振り返る。
「ラーマ婆、頼んだぞ、我らは集団詠唱に入る! お前達ッ! あの不届き者どもに、我ら風の境界のエルフの力、見せてやろうぞ!」
「「「─── オウッ‼︎」」」
風の境界のエルフ達が、予言の君主『骸の魔王』を救うために、人族最高とされる魔術の才を発揮する。
※
猛烈な氷の刃の吹雪。その中心でハンネスとリディは皮膚の表面に、溶けぬ氷で覆われていながらも、致命的な一撃は未だひとつとして受けては居なかった。リディの加護『超知覚』に高められたハンネスの感覚が、凍結の魔弾のわずかな隙を見つけ、躱し続けていた。
(陸に新手の魔力反応。気づかないとでも……思っているのか)
研ぎ澄まされた感覚は、ハンネスにエルフ達の出現と、魔力のわずかな高まりをも把握させている。神龍の猛撃の裏で、大気が張り詰めて行った。
「大気中のマナが活性化してる。霧で上手く隠しているけど、相が帯電を始めた……? ハンネス、雷撃魔術がくるわ」
「ふん。この規模、超上級魔術の集団詠唱って所か。トカゲに隠れて、こそこそと卑しい奴らだなぁ」
「─── 術式は【天轟雷】。でも大丈夫。人の使う魔術くらい、奇跡を使わなくても消せるもの」
契約が完成しているふたりには、神聖の高いエルフの魔術も、取るに足らないものでしかないようだ。
「あの龍に【拒絶】の奇跡は効かない。何故動けるかは……分からない。でも、最初に構えた時、明らかに嫌がっていた」
ハンネスはニヤリと口元を歪め、一歩前に出ると、闘気を跳ね上げる。
「ぼくが盾になる。お前は何としても、あの足を止めろ」
黒い炎と黒煙を上げ、魔剣が甲高い音を奏でる。氷の刃を紙一重で躱し、体に付いた氷が大きくなるのも厭わず、ハンネスは腰溜めに魔剣を構えた。
「─── 泣き叫べ【闇に吠える者】」
ハンネスの言霊に、魔剣は赤熱し、黒い炎が閃光を放つ。体に凍りついた溶けぬ氷が、蒸気となって霧散すると、ハンネスの眼が鋭く光る。
一閃。雪降りしきる海上の空が、白い光に塗り潰され、霧と冷気ごと神龍を上空に吹き飛ばした。閃光に目を眩ませて身をよじる神龍は、天を斬り伏せんとする斬撃へと、空を蹴って飛び込んで行った。
グオオオォォォ……ッ‼︎
切り裂かれる大気が、斬撃の後ろに、爆発的な空気の渦を生む。下手に逃れればその渦に捕まり、ハンネスの追撃を許すと、神龍は見抜いていた。斬撃が目前に迫った時、神龍は一切の力を抜き、渦巻く空気の隙間へと体を預けて逃れる。渦の作り出す真空波が、美しい虎縞模様の体を斬りつけ、血煙を曳いた。
神龍の足が、渾身の力で空を蹴り、ハンネスへと急加速する。自ら空気の渦に飛び込み、再加速する事で、ハンネスの斬撃を凌いだのだ。追撃に飛び出していたハンネスは、まさか神龍が向かって来るとは思わず、目を見開いて身構える。
そのわずかな隙をつき、神龍は主人から授けられた、新たな力を解放させる。大きく開かれた口に、光属性の術式が集められ、胸元を黄金色の輝きに膨らませた。
─── 聖なる龍の吐息
地上最強種の龍種が誇る最大戦力。その破壊力は、魔力に大きく依存する。神龍の魂に宿る、数多のエルフの魂が、その魔力を瞬間的に莫大なものに引き上げていた。天界にまで轟くと言われる、龍の息吹がハンネスに向けて、放たれようとしていた。
だが、その時。凛とした声が、闇夜を切り裂くように紡がれた。
─── 【 我 が 前 に 平 伏 せ 】
調律神の代行者リディが、神の呪いを行使した。さしもの神龍も、ブレスに力を集中している最中では、その呪いを弾く事は出来ない。神龍の目が見開かれ、喉元まで溜めた光の粒子が暴発し、遥か上空の雲に巨大な穴を開ける。口から細く光の線を漏らしながら、神龍は飛ぶ力さえ奪われて、落下を始めた。
ザン……ッ!
その隙を逃すはずも無く、ハンネスの斬撃が、落下する神龍の胸元を斬り裂いた。朱の飛沫を上げながら、神龍は人魔海峡の渦へと、飲み込まれる。
「あは、あははははッ! これでぼくの邪魔をするものはいない! 適合者、次はお前の番だッ!」
勇者の嗤笑が、静まり返った夜空に木霊した。魔力を乗せたハンネスの声が、海上から離れた陸のアルフォンス達に、直接言霊と共に響き渡る。自分と同じ苦しみを与えたいと考える彼の、精神的な苦痛を期待した演出であった。
「適合者君、申し訳ないけど。昔の自分を見ているようで、ムカムカしてくるんだよ」
顔の半分を手の平で押さえ、笑い出すのを必死に堪えるような表情で、時折指を噛みながら言葉を紡ぐ。
「だからね、是非ともそのオルネアの化身の前で、殺してやりたいんだよね。ただ、オルネアの化身、お前はダメだ。下手に殺したら、また次の化身が降臨して来ちゃうからね。オルネアの目の前で、何も出来ずに、神の恩着せがましい仕組みを恨め。そんなものを背負わされた運命をさッ!!」
ハンネスはアルフォンス達に向かって、空中に足音を立てて歩きながら、剣先を向けて吼える。
「目の前で愛する者を、大切な者を奪われるぼくら虫ケラの気持ちを、ほんの少しでも理解しろよクソ女神ッ‼︎ 全てが終わったら、天界でお前の本体を無茶苦茶に汚して、生まれて来た後悔の中で殺してやるからな─── ッ!」
いつの間にか、雪が止んでいる。アルフォンス達の反応が無い事に、ハンネスは絶望しているのだと判断し、にこやかに無邪気な顔で空を見上げた。
「百八十年、百八十年だよ。リディを虚数空間から引っ張り出して、このクソ女神の力に頼るのも吐気がするっていうのにさ。延々とこの日を夢見て、クヌルギアで血反吐に塗れた日々を過ごして来たんだ」
その言葉に、リディは絶望の色を浮かべながらも、唇を噛んでハンネスの後ろに立つ。
「それもこれも、三百年前のあの日、ぼくのカルラを……。ぼくの生きる唯一の望みを、目の前で奪われた、あの時に誓った事さ! さあ、これからぼくはお前達に絶望を与え、剣聖イングヴェイを殺して、聖剣ケイエゥルクスを取り戻す」
再び魔剣が黒い炎をまとい、ハンネスは口元を歪めて、大きく構える。
「ぼくがね、この世界を神々の呪縛から救ってあげなくちゃならないんだ。邪魔者は皆殺しにするからね? その後、世界の皆んなを殺して、神から解放する」
かつて適合者として、世界を調律した男の、純粋そのものの言葉。彼がその遂行に、一片の迷いがない事が、その澄み切った声に表れていた。
と、その時。彼の背後で俯いていたリディが、何かに気がついて顔色を変えた。
「ハンネスッ! ここから今すぐ逃げて───ッ! これは雷撃魔術なんかじゃないッ!」
「……ッ⁉︎」
防壁の向こうで、集団詠唱を終えたエルフ達が、魔術の反応光に包まれる。族長ハロークは、その魔力の中心で霊樹の杖を高らかに掲げた。
「「「─── 【神殺しの荊】……!」」」
※ ※ ※
─── 時は遡り、数日前の満月の夜の、風の境界の里
ファルブ山で起きた、光球の大爆発の衝撃が過ぎ去り、地に伏せ物陰に隠れていたエルフ達が恐る恐る空を見上げた。上空には未だ揺れる大気のうねりと、吹き戻す風の空鳴りが、そのエネルギーの規模を訴えているように聞こえる。
「主人さまぁッ!」
族長の家から、ひとりの少女が飛び出して、北の空を見上げる。その姿に気がついた里の人々は、その場に平伏した。白いワンピースの寝巻きの少女は、そんなエルフ達を他所に、空の向こうを臨む瞳をキラキラと輝かせている。
黒髪と白髪が、交互に混じる長い髪に、とび色の瞳。浮世離れした白い肌は、白磁のようにきめが細かく、どこか儚さを感じさせる雰囲気が漂っていた。
「神獣さま。ファルブ山に光が灯りましてございます。我らはこれより、骸の魔王アルフォンスさまに、忠誠を立てに向かう所存にございます」
「もー! ハローク、行くなっていったり、行くっていったり、ディアわけ分っかんないっ!」
全身で『ぷんすか』を体現する少女、風の境界の神獣こと、神龍ディアグインにハロークは眉毛を八の字に下げた。
「で、ですから。予言に従いますれば、ファルブ山に光が現れた時に、骸の魔王さまが現れるとの事でしたので……。アルフォンスさまが、そうであるかは、まだ確定しておりませんでしたから」
「ディアは分かってたもん。主人さまと魂で繋がってるんだよ? 主人さまのこと、みーんな知ってるもんね!」
ハロークの『ももも、申し訳ございません』の終わりを待たず、ディアは樹上の渡廊下の柵を飛び越えて地面に降り立った。
「あっ、お待ち下さい! まさかお一人で行くつもりでは⁉︎」
「いーっ、だ! ディアが飛んでった方が、はやいもん! はやく主人さまのとこにいって、ディアのパパになってもらうの!」
「ああっ、ずるい……いや、いけませんぞ! 骸の魔王さまは、我々の王にもあたるお方!」
すでに下からは、走り出す彼女の、草を踏む軽やかな音が響いていた。だが、その足音がすぐに止まり、代わりにおぼつかない足音が向こうからやって来た。
「あ、ラーマおばあちゃん。おばあちゃんと一緒ならいーよ? ディアのせなかに乗っていく?」
「ありがたいねぇ、でもね神獣さまや、さっきから妖精たちが何かを教えようと騒いどる。ちょっと待ってくれないかい?」
「もー、その『しんじゅーさま』は止めてってば」
ラーマはふぇっふぇっと笑い、ディアの頭をなでると、目を閉じて耳をすませる。
「─── うーん、どうやら風の妖精たちは、少し先の未来が見えたようだね」
「みらい?」
「ラーマ婆よ、妖精の予見が出たのか⁉︎」
背後に立つハロークに、ディアはつんとそっぽを向き、ラーマは眉間にシワを寄せて腕組みをする。
「この声は、ファルブ山の方からだね歳は取りたくないもんさね、声が遠くてよく聞き取れないんだよ……ただ」
「「ただ?」」
ラーマは眼を開き、鋭い眼光で空を見上げる。
「─── 血だ。雪の海に血が流れるよ魔王しゃま、危ないかも知れないね」
「……ッ⁉︎ そ、それならディアが!」
走り出そうとするディアを、ラーマは杖を伸ばして遮った。
「未来は変化し続けるもんさね。ディア、あんたがひとりで向かうと、あんたも死ぬるよ」
「「「……ッ ⁉︎」」」
集まって来た里の民たちも、その言葉に愕然と立ち尽くす。
「ら、ラーマ婆、ならば一体どうすれば!」
手の平でハロークを制して、ラーマは再び耳を傾け、ニヤリと笑う。
「こりゃあ、総出で行くしかないみたいだねぇ」
※
─── 二日後、ファルブ山付近
草原に突如現れた扉から、ディアが飛び出し、それに続いて次々にエルフ達が姿を現した。皆一様に汗だくで呼吸が荒く、風穴を抜けて来た風景を味わう余裕無く、草原に倒れ込んだ。その後も後続が出てくる度に、草原に倒れる光景が繰り返され、最後は神輿にラーマを乗せた男たちが飛び出す。彼らは魔術による肉体強化と、風魔術による加速を繰り返し、夜通し駆け抜けて来たのだ。
「おばあちゃん、ついたよ! 妖精の声は⁉︎」
「しっ、今聞いとる……」
ざぁっ、と風が吹いた。その風は何処からやって来るのか、彼らを囲うように渦巻き、強く、しかし、優しく戯れるようにその場に渦巻く。
「流石は魔王しゃまだねぇ。自由を愛する風の妖精たちが、こんなにも必死に、身を案じるなんてねぇ。でも、これはまずい。……これは……余りにも……」
「あいては、神さま……なの⁉︎」
「ディア、あんたにも見えたのかい!」
ディアはどこか寂しげに、にこりと微笑んで、自分の胸を抱いた。
「ディアの中には、おばあちゃんの弟子の、ママがいるんだもん。それに、ディアの中のみんなが、たくさん教えてくれるの」
「おお、サラティナ……」
一層穏やかに風が吹く中、エルフ達が次々に立ち上がる。汗と埃に汚れた身は清められ、疲労の刻まれた顔に精彩が戻り、目にはエルフ特有の自信に満ちた光がこもっていた。
─── 風の妖精達が、大地の精霊達が、彼らに立ち上がる事を望んでいる
ラーマはその光景に涙した。三百余年もの間、風の境界の民は、元の聖地から離れた故に、その力を弱める一方であった。その民達に今、風の眷属の祝福が、戻ろうとしていたのだから。
「ハローク、魔導書を守って来た族長の子よ。相手は守護神を連れた、厄介な敵だよ。どうすりゃいいのか。あんたなら、あんたのその血が、分かっているはずさね?」
「もちろんだ……ラーマ婆。今こそ禁呪を解く」
太古の昔、種族間の戦乱の世があった。その時、神聖が高く『魔』に賢しいエルフたちは、最も恐れられた戦闘種族であった。彼らエルフが恐れられた理由、それは『神に手が届く』とさえ言われた、魔術の叡智。しかし、それら封神の秘術の多くは、余りにも大きな業であると、彼らは自ら禁じて来たのである。
人類は等しく、何かしらの守護神の加護を受け、その与えられた才で運命を歩む。その守護神を失えば、単なる人として、虚ろな存在へと成り下がる。
─── 【神殺しの荊】
ハロークの口から告げられた禁呪。神気を蝕み、呪力の荊で守護神の神聖を封じ、加護の繋がりを阻害する悪しき業。かつて彼らの祖先が編み出し、自ら封印したその呪術が、ハロークの手によってその術式を解放される 。
「だがラーマ婆、この秘術は関わる術者が、完全に無防備になる。誰かが時間を稼がねば、全滅の憂き目とあいなろう」
集団詠唱は、その術式に関わる者たち全てが、トランス状態となって、意識を統合する難易度の高い詠唱方法である。
「─── ディアがやる」
凛とした少女の声に、彼らは古き風の境界の民たちの声を、確かに聞いた気がした。