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禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~
第十一章 聖教戦争
第十一話 和睦の加護
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漆黒の闇に上空を覆われたアケル中央部州セルベアード。
冒険者たちと共に『色なき者たち』を打破したガストン。
そこに姿を現した老人はハンネス・オルフェダリアと名乗った。
異様な圧力と殺気。
冒険者たちはその老人に呑まれていた。
月のない夜の帳。いや、炭を塗り込んだような透明感の無い漆黒が、中央部州セルべアードの一部空を覆っている。通り脇の街路灯は、薄暗くとも安定した魔石灯の明かりだと言うのに、風に揺れるロウソクの如く揺らめいていた。
ガストンの背後で固まっている冒険者や獣人族は、その灯の異変に不安を駆り立てられ、チラリとそちらを確認しながらも、目の前の人物に目を奪われていた 。
─── ハンネス・オルフェダリア
老人の口から出た名は、三百年前、この人界を救った勇者のもの。本来であれば一笑に付す、酒場の与太話であるはずが、そう名乗る老人の纏う圧力に誰もがそう信じ始めていた。
「あんたが、ハンネスさんかい。そりゃあ会えて光栄だ、俺の名はガストン。姓はだいぶ前に失った。バグナス領のギルドマスターをしている者だ」
「…………バグナス? ああ、そんな国が出来たんだ。申し訳ないね、ちょっと人界から離れていたものでね、よく分からないんだ」
そう言って髭をやや吊り上げ、目元を笑わせているが、その眉間に刻まれた深い苦労ジワのせいか穏やかな空気はカケラも感じられなかった。老人はそうして数瞬、ガストンの目を覗き込み、ほうと声を上げた。
「これは面白い。君、ガストン君と言ったかな? 極薄いようではあるけど、『光の神ラミリア』の加護を受けているね?」
「「「 ─── ッ⁉︎」」」
その言葉で周囲にいた人間族の多くは、ある事に思い至っていた。十六歳の『成人の儀』で守護神と本契約した際、その与えられる能力が、本人の実力と比べて高過ぎると起こる症状がある。
ほんの数分程度ではあるが、立ち眩みを起こしたり、呆然としてしまうなどの事例だ。それは新たな感覚が生まれるために、脳の内部に新たな感覚が構築され、一時的に意識が混濁するからだと言われている。
だとすれば、ガストンが受けた加護は、十数分に渡り、完全に意識が飛ぶ程の大きなものだと言える。『色なき者たち』との闘いで、彼が自失状態だったのは、そのせいだったのだろう。
かつて、アルフォンスがソフィアと再会を果たし、契約更新によって数時間眠りについたのと同様の症状である。
「え、うそっ、マジ? じゃあさっき執務室で見た夢は本当だったの⁉︎ え、やだ、ちょっとスゴイじゃん!」
やや錯乱気味のガストンが振り返って、皆んなの顔を見渡すが、その誰もがポカンとしているのみ。これは別にガストンの抜けた喋り方が、若作りしていて引いたとかでは無く、契約した神の名があり得ないものだからだ。
真の神の内、守護神契約をするのは、調律神オルネアとエルネアのみ。
守護神とは正しくは神では無い。真の神の力は、普通の守護神達とは比較にならない程に上を行くもの。オルネアの加護だけでも、それは人智を超えるものであり、一般人からすれば正にお伽話である。
守護神の力によって、与えられる加護も能力も、運命の重さも強大なものになる。その調律神の二段階上に当たる最高神の一柱が、人に直接加護を与えるなど考えられるものではなかったのだ。
興奮気味のガストンではあったが、はたと何かに気がついて、老人に振り返る。
「いや待て、俺はもう『和睦の神エイシャ』と契約してるぜ? ふたつも契約するなんざ聞いた事がねえが……」
ガストンの不安げな声に、老人は小首を傾げ、口髭を指先でなぞった。
「うん? 守護神との契約に、制限があるなんて初耳だけど。この三百年で高位神聖の世界のルールでも変わったのかい?」
「「「…………?」」」
「ああ、なるほど。今の君達の反応で分かったよ。守護神の加護を受ける程、運命は重くなるけど、強力にもらなるからね。あんまり、市井の者達に強くなって欲しくない、小賢しい人達でも居るんだろうね」
その言葉に、再び全員が黙り込む。守護神契約に制限などはない。しかし、今当たり前に世界で行われている守護神との契約は、十六歳の時の一回きりである。
そして、その儀式は『マナの結晶』に触れる事で完成されるが、そのマナの結晶を管理しているのは教会。教会はエル・ラト教以外も含まれるが、どの宗派の教会であろうと、その管理をしているのは国である。特に戸籍登録に関わる儀式である以上、その意向は国の方針に強く影響を受けるだろう。
「守護神はその多くが人類の想いの力で生きているからね。『もうこれ以上結ばれる契約は無い』と信じていれば、次の縁は起こらないだろうね。まあ、複数の契約を結べる程、運命の強い人は少ないからそんなには起こらないけど。しかし……。ははは、ホント、世界は相変わらずなんだなぁ」
老人は乾いた笑いを浮かべながら、少し顔をうつむかせた。漆黒の闇に包まれた空の下、目元に深い影が差して、その表情はうかがえない。その何とも表現のしようのない、老人の雰囲気に寂しさを感じ取ったガストンは、空気を取りなそうと努めて明るい口調で声をかける。
流石は『和睦の神エイシャ』の加護を受ける男、見事な空気読みと言えようか。
「し、しかし流石だな! 少し見ただけで契約してる守護神だの、加護の状態まで見抜けるとは。加護が見抜けると言やぁ、【天秤の戦乙女リリファス】の加護【天恵の眼】持ちが有名だけどよ。大抵は高給取りだぜ? いや、流石は勇者様だよ!」
ピシ……ッ‼︎
ガストンがそう言った直後、石畳の地面に立つ老人の足下から、数本の亀裂が放射状に走った。それに目を奪われた瞬間、漆黒の空がのしかかって来るかのような、強烈な重圧がその場を制した。
「……ぶな」
「えっ?」
「この僕を、勇者などと穢らわしい名でッ、呼ぶなあああああああッ!」
風が吹き荒れる。嫌に重たい魔力を帯びた風は、魔石灯の明かりを激しくチラつかせ、地面に伸びる影が四方八方に狂ったように蠢く。勇者の足下から、同じく伸びる影は、石畳の凹凸のせいか、巨大な黒い百足が暴れているようにも見えた。
「クッ! こ、こいつ、何か変だッ‼︎」
恐怖に飲まれた冒険者のひとりが、勇者に向けて槍を構え、叫ぶ。
「バカッ! 止せッ、刺激をするな ─── 」
ガストンが振り返った瞬間、冒険者が構えていた槍がパキパキと音を立てて、穂先から手元まで真っ二つに裂け始めた。
「ひ、ひいっ! な、何だよコレ! 一体何が…………⁉︎ ぐ、ぎぃやああああああッ‼︎」
「「「 ─── ッ‼︎」」」
槍に添えていた左手の指が、ポトポトと石畳に落ちて転がり落ちた。そして槍を握り締めていた右手は、親指の付け根から肘にかけて、バックリと裂けて鮮血を噴き出す。槍ごと、掴む腕までが斬られていた。
「お、おいッ! 早く指拾ってやれ! 誰か回復魔術出来る奴と、後ふたり、そいつを連れて逃げろッ‼︎」
「クソッ! な、何なんだテメェ! あ、頭おかしいんじゃねえのかッ⁉︎」
「だから止せッ! 敵意を向けるな ─── 」
声を荒げ、肉体強化の途中だった狼型獣人の胸がバックリと避け、鮮血と共に循環していた強化の術式が青緑色の光を漏らして抜けて行く。レオノラが回復魔術を掛け、即死は免れた獣人だったが、その傷は塞がり切ろうとはしなかった。
「この傷は……魔剣ですかッ⁉︎ ギルマスッ、その剣を絶対に受けてはなりません!」
勇者は一歩たりとも動いては居ない。ただ、いつの間に抜いたのか、漆黒の細身の曲刀の先をだらりと下げて片手に握り、俯いている。刃先を伝って落ちる血の雫が、ぽた、ぽたと石畳の地面を打っていた。
あの位置から剣は届かないはずだ。闘気を込めた気配も無ければ、魔術を使った痕跡も無い。その奇妙な凶刃に、誰もが立ちすくみ、思考はぐるぐると空回りを始めていた。
「……僕を勇者とは呼ばせない僕を勇者と呼ぶのは許さない僕は勇者なんかじゃない僕を勇者なんて呼ぶな汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしいッ‼︎」
「なあ、お前ら作戦があんだけどよ。俺の後ろになるべくくっついて集まれや」
ガストンの声に皆が応じる。指を失い腕を負傷した冒険者と、胸を斬られた獣人の手当てをしていたレオノラも、そのふたりと共にガストンの指示に従った。
「が、ガストンさん……? 何か手があるの? わ、私、何の手立ても……思いつかないんだけど……」
真後ろに立ったミリィが、目に涙を浮かべて震えている。その背中にリックが寄り、片腕で抱き寄せながら、頭を撫でた。
「あいつの狙いは分からない……けど。ここで誰かが止めないと。僕らじゃきっと勝てないけど、せめて主人……アルくんが来るまでは時間を稼がないとね」
「……ん? なんだリック。アルフォンスはこっちに向かってるのか?」
「うん。さっきアネッサさんが、アルくんに緊急要請を掛けにギルドへ行ったんだ。子マドーラは出払ってるけど、魔導通信板なら繋げられるからって」
「そっか、なら直ぐに来るかもな。流石は内のNo.1受付嬢だぜ。まずは一安心だな」
ガストンはしししと笑って、勇者に振り返る。彼はまだブツブツと呟いて立っているだけだった。
「な、なあオイ旦那ぁ、作戦ってなンなんだ? あの野郎をぶっ倒せる秘策でもあンのかよ?」
「ああ、任せとけ。
─── お前らは先に帰って、酒でも飲んでろ」
「「「…………?」」」
「ギルマス? 『先に帰れ』とは、どういう……?」
レオノラが言い終わるより先に、ガストンはにっかりと笑い、目の前にいるミリィに視線を落とした。
「ああ、こうすンだよ……【沈黙】!」
ミリィの額にペシッと魔術封じの魔術符を貼り付け、術を発動させる。続けてガストンはウエストバッグから取り出した、黄色い大粒の宝石を地面に叩きつけて割った。
「 ─── 魔導石に秘められし魔導の叡智よ! 時空・空間の理『転移魔術』を発動せよ!」
「「「 ─── ッ⁉︎」」」
「ギルマスッ! それは転移石じゃ ─── 」
レオノラの声が搔き消え、集まっていた一団が白い光に包まれると、ガストンを残して全員が消え去った。魔導石は特定の魔術を刻み込んだ、魔石の加工物である。何か緊急事態が起きた時の為に、ギルドマスターレベルの責任者に配られる、重要な魔道具の一種であった。
(こりゃあ後で上から怒られっかねぇ。まあ、緊急事態だからしゃあねえな。転位石の残りはひとつっきゃねえ。ある程度まで時間を稼いで、新時代の勇者様の降臨を待ちますかね)
冒険者や獣人達に義理堅い者が多い事を知っている彼は、唯一『転位魔術』が扱えるミリィの術を封じてしまった。それは、彼らが再びここに帰って来れないようにするためである。
「ふぅ、これでちったぁ静かになっただろハンネスさんよ。若けぇのはガヤガヤうるさくて、大人の話が出来ねえってんだよなぁ!」
「ふん、他のを守ったか。どうせなら君も逃げれば良かったのに。僕は君らに用事は無いんだよ」
「へへ。まあそう言いなさんなって。聞きてぇこたぁ山ほどあるしよ! それにお前さん。なんだか、楽しそうな面してるじゃねえか」
「ふふ。君は中々面白いね。光の神の目に止まったのがよく分かるよ。次代の為に、命を懸けて責任者の責務を果たそうとしている。そういう人、嫌いじゃないなぁ。あの頃、君が帝国のお偉いさんにいたら、きっとこんな事になんかならなかっただろうにね……」
また勇者は俯く。その肩が少し震えているようにも見えた。
ガストンクラスのギルド責任者は、聖魔大戦の真実を知らされている。更にアルフォンスからも詳細を聞いていただけに、ガストンは勇者を敵視し切れず居た。
同情、単に彼の加護の悲劇に思いを馳せてしまうのが半分。それらを加味しても、目の前の人物に感じる不安定さと、次元の違う力に、背筋は次から次へと冷たい汗を吹き出させていた。だが、ガストンは腰を据えて、その恐怖へと真っ直ぐに向き直る。
それは自分の頭に残る、全てを一度失った過去とを、勇者に重ね合わせていたのかも知れない。
「なあ、その言いっぷりじゃあよ、お前さん帝国だの教団だのには恨みがあるんだろ?」
「…………」
「そう怖え顔すんなって。俺はな、一応あんたが帝国に何されたのか真実を知ってる。どうだろうか、あんたも俺達と一緒に、俺達なりの帝国の潰し方に協力する気はねえもんかなぁ?」
「ふ、ふふ……。本当に君は面白いね。仲間を切った無法者を勧誘かい? そのお誘いは実に面白そうなんだけども、僕はそれに従う気はないよ。僕は帝国と教団と、そして身勝手な世界を、天界の神々ごと消し去ろうとしているんだから」
目の鋭さに変化は無い。しかし、その視線は確実な殺意を持ってガストンに向けられた。ガストンは苦笑して頭をボリボリ掻くと、長剣を握り直して、勇者を真っ直ぐに見つめる。
「……交渉は決裂だな。男が後にやる事ぁ決まってる。
─── ハンネス・オルフェダリア、このガストン様がお前さんの意思を砕くッ‼︎」
闘気と黄金色のオーラを纏い、ガストンは剣を構える。対する勇者は面倒臭そうに目を細めて、首を斜め後ろに傾け、目の前の敵を見下ろした。
※
「 ─── ガストンッ! 無事かッ⁉︎」
転位魔術が完了して視界を取り戻した時、思わずそう叫んでいたが、セルべアードギルドの中には誰も居ない。外から射し込む街路灯の淡い光の中で、俺達五人はその静けさに面食らっていた。
「ギルド内には誰も居ないようですね……。そう言えばこの情勢の中、ギルド支部としての機能を臨時で総督府に移しているそうですからね」
「アル様、アネッサはここだって言ってたの?」
「ああ……確かに中央のセルべアード支部からだった。他に移動したのか?」
その時。その場にいた五人全員が目を見開いて、その感覚に心奪われた。
フィヨル港で感じた、あの時の強烈な気配。
─── 勇者ハンネスが近くに……居る!
ティフォの角が青白く光り、背中から膨大な数の触手が飛び出すと、建物を透き通って広がって行った。
「オニイチャ ─── みつけた……」
ギルドを飛び出し、ティフォの示した方向の夜空が、明らかに質の異なる漆黒に包まれているのが見えた。
「色無き者達の気配は感じません。事態はすでに状況が変わっているようですね。勇者ハンネス。雪辱を晴らしますッ! 皆さん、どうか気を引き締めて下さいッ‼︎」
「誰一人欠ける事は許さない。皆んな、行こうッ‼︎」
飛翔魔術で夜空に舞い上がると、俺達はその漆黒の闇へと向かい、最大速度で飛び出した。
※
揺らめく街路灯の光の下、虚しく響く鋼の音は、長剣の音にしては間隔が極短く、忙しなく続いていた。ガストンの南部八極流の正統派な剣筋は、理に適った正確さと目まぐるしい速度で、確実に勇者の急所を狙い繰り出されている。
雄々しくも華麗に舞うような、その洗練された剣さばきは、揺れる街路灯の光の中で、腕が複数本あるかの如く残像を残していた。
滝のような汗が、目に流れ込んでも物ともせず、ガストンは上下左右、表裏、長剣の殺傷範囲を全て駆使して斬り込んでいる。
(クソッ! 全然届く気がしねえッ‼︎ これ程とは、これ程とは……ッ‼︎)
内心、そう叫ぶガストンとは対照的に、勇者は静かに目を閉じたままだった。時折一歩体重を移動する程度、体の軸を一切ぶらす事なく、逆手で持った曲刀の背で、嵐のような攻撃をいなし続けている。
剣身が長く重量のある長剣が、これ程速い間隔の音を立てているのは、ガストンの技量もあるが、それ以上に勇者のいなしが理由だった。最小限でガストンの刃を滑らせ、その勢いをコントロールする。これが力と力のぶつかり合いであれば、これ程速い間隔にはなり得ない。
己の実力を超えた高みに引きずり込まれ、ガストンは踊らされている
(あぁ、帰りてえ! もうイヤ、カキンと冷やした酒飲みてえ。もう使っちゃおうかな転位石……)
実際、ガストンの剣戟が始まってから三分程度であろうか。しかし、全身全霊の集中と、前身運動の激しい体力の消耗に、ガストンにとっては三十分にも一時間に感じられる極限状態であった。何故、彼がこうまでして、ひとり無謀な闘いに挑んでいるのかと言えば、これしかない。
─── アルフォンスが来るまでは、ここを離れられねえ……!
自分が居なくなれば、勇者は移動してしまうかも知れない。勇者の目的は、自分達ではないと言っていた。ならば、このセルべアードに何をしに来たのか分からない以上、せめてアルフォンス達が来るまでは引き留めて置きたかったのである。
そして、あわよくば少しでも勇者を消耗させて、アルフォンスに繋げようと考えてもいた。
「 君の剣は、どこかランバルドに似ているね」
「なに……? ─── ぐうぁッ⁉︎」
ただ黙って剣をいなす一方であった勇者の声に、ガストンの集中が途切れた瞬間。曲刀の刃先が、ガストンの踏み込んでいた左足の甲に突き立ち、地面に縫い止めた。
「ぐあああっ! クソッ、何を急に言い出すんだ、ぐ……ッ⁉︎」
思わず前のめりにしゃがみ込むガストンのあごに、勇者の膝が突き上げられる。神速の膝蹴りに、手の平を重ねてあごを守ったガストンの反射神経には目を見張るものがある。だが衝撃に体は後方に吹き飛ばされ、しかし左足先は、曲刀が突き刺さったまま。
その勢いに、足の肉が耐え切れず、ブーツごと二股に切り裂かれた。
二年前のバグナスギルドのアケル協力依頼、獣人族の有力者達とも親交を深めて来た彼は、数こそは絞っていても必要最低限の魔術印をマスターしている。浮き上がった身体は、格好の的にされると嫌がり、風魔術の魔術印を小さく指先で描き、わざと自分の体を遠くへ吹き飛ばす。
しかし、勇者は動かなかった。
ふう、とひとつ息を吐いてまぶたを開け、辛うじて受身を取って転身したガストンを、チラリと見やる。ガストンはその対応に面食らいつつも、即座に回復魔術の魔術印を描いて、裂けた左足を回復させた。神経の繋がる激痛に顔を歪め、バックリと裂けてしまったお気に入りのブーツを哀しそうに見つめる。
傷は治っても心までは治らず、恐る恐るになる左足をそれでもワザと踏み込んで立ち上がった。ブーツの裂け目からは、内部に溜まった血がグシュリと音を立てて噴き出す。
「僕は残念ながら、正統な剣術はマスター出来なかったんだよ。この三百年間、クヌルギアの……。あ、分かんないよね、ごめん。魔界の地の底で、延々と魔物相手に戦い続けて来たんだ。だから君のランバルドに似た剣術が、とても懐かしくてね」
「……さ、三百……ッ⁉︎ 戦士ランバルドに似てるってなぁ光栄の極みだが、それもそのはず、ランバルドの残した八極流は今や世界の剣術のスタンダードだ。騎士経験者のほとんどがそうだと思うぜ?」
「ははは! へえ、そうかぁ。あのランバルドがそんな有名人なんだね♪ ふうん、道理で君の剣技はつまらないと思ったよ。人物的には楽しいんだけどね、君もランバルドもさぁ……」
人には感情を揺さぶられる、怒りのポイントとなる言葉がある。その中でも最も急沸騰しやすいのは、己が信じているものを貶された時に起こりやすい。
ガストンにとってもそうであった。すでに失った過去、青春の全てを掛けた王国の思い出と、苦楽を共にした友の顔がありありと脳裏に蘇り、駆け巡る。すうっと汗が引いたかのように、ガストンの顔から疲れや焦りの色が消え、毅然とした表情で立ち上がる。
切り裂けてしまった片方のブーツを、忌々し気に見て、両方のブーツを脱ぐと、裸足でひたひたと勇者に向かって行く。足の甲を裂いたのは魔剣傷、未だ塞がり切らずに、地面には片足だけ血の足跡が続く。
「へえ、正統な剣術も憶えられずに、魔物相手にお山の大将気取ってたわけだ。つまらねえって言われっとな、流石に俺の信じた師や仲間を貶されたようで気に入らねえな」
「……ああ、済まないね。君の大事なものを傷つける気はなかったんだ。言い直すよ、君もランバルドも、弱いからつまらないんだよ」
「ああそうかい。ただよ、あんたはそのランバルドにも、剣を教わったんじゃあないのかい?」
「ランバルドに? ああ、最初に剣の握り方を教えてくれたのは、彼だったっけなぁ。一度も僕には勝てなかったけど」
その言葉の恐ろしさを、ガストンは自分の積み重ねた剣の道を鑑みて、嫌という程に理解した。如何に体格が優れようと、如何に身体能力が高かろうと、その武道に培われる技術と経験は、一朝一夕には覆せるものではない。真の神との契約が、どれだけ破格で常識外れな物なのか、実体験に重ねて理解したのだ。
「……へえ。そりゃあバケモンだなぁ、勇者様よう」
「その名前で ─── 」
勇者が目を見開いた瞬間、ガストンは勇者の顔目掛けて爪先で蹴り上げる。それを当たり前のように、勇者が最小限の動きで躱す瞬間、ガストンは爪先の指を開いた。
バッ……!
石畳の隙間に溜まった砂や泥を、裸足の指に挟むように仕込み、勇者の目に放ったのだ。如何に反射神経に優れようと、まぶたは眼球に迫る物に対して、保護しようと閉じてしまう。それこそ、目を閉じないように、地道な訓練を繰り返さねば抑える事の出来ない生物の条件反射。
如何にハンネスが魔物相手に修練を積んでいようと、そうした姑息な人間の闘いへの訓練は積んでいないはずだと、ガストンはそう推測していた。
ガストンがブーツを両方とも脱ぎ捨てたのは、バランスの為ではなく、この一手の為であった。
勇者が瞬きをした瞬間、ガストンは勇者のあご髭をつかみ、下に引き下ろす。そのまま、前に突き出た勇者の顔面に、ガストンは肘を振り抜く。
しかし、肘がヒットする瞬間、勇者の目が開き、楊枝一本の幅より狭い極小の隙間で避けた肘を振り切り、ガラ空きになったその脇腹に、勇者の曲刀が唸りを上げて切り上げられる。
グシ……ッ!
勇者の顔に驚きの色が走った。曲刀が殺傷力を発揮する間合いと速度を出す直前に、根元を素手で掴んだガストンは、そのまま曲刀を握る勇者の腕を捻りながら背負い投げを掛ける!
ズダンッ‼︎
勇者の体が小さく宙で回転し、地面に背中から叩きつけられた。
「 が……っ‼︎」
ハンネスは肺に掛かった圧力を、呻き声に変えて逃した。その瞬間、ガストンは腰のベルトにあった、長身のダガーを抜いて、勇者の喉元に突き立てる ───!
ドコォ……ッ‼︎
ダガーの先が勇者の喉の皮膚に、ごま粒ほどの深さに食い込んだ瞬間、勇者の脚がガストンの首に叩き込まれた。ガストンの巨躯が吹き飛び、地面を転がる。その回転を利用して、そのまま起き上がり、ダガーと、更に肉厚のナイフを抜き取って構えた。
「悪ィな、騎士辞めてからの方が、人生長くてね……。喧嘩にゃあ少々慣れてんだ」
勇者はその言葉に、仰向けに寝たままケタケタと笑い、緩慢な動作で起き上がった。
「あはっ、あははははは! すごい、すごいよガストン君! 勇者になってからの僕を、地面に転がせたのは、人間ではふたり目だよ! ひとりはさ、もう二度と会えないんだけどね……」
笑いながら泣いている勇者に、ガストンは何か勇者を憎み切れない理由を、理解出来たような気がしていた。
「情緒不安定だぜ勇者さま。ちったぁ休んだらどうだ? そのひとり目だってよ、今のあんたを見てたら、やり切れねえとは思わねえか?」
「ふん。……君にカルラの何が分かるっていうの? カルラはね、いつだって僕の味方で、いつだって僕の気持ちを理解してくれたんだ。ああ、もう面倒くさいな……。見たいんだろ? 勇者の闘い方、見せてあげるよ」
ガストンはその時、今までの闘いが全くもって、相手になどされていなかったと気がついた。
肉体強化、精神強化、魔力、闘気、神気。
桁が違うなどと言う生易しい違いではない。
例えば虫が龍を敵だと考えて、自分から闘いを挑むだろうか? 余りにもかけ離れた存在の差は、認識する事が出来なくなってしまう程、その次元が異なってしまうものだ。
目の前にいる、自分より頭二つ分も小さいであろう存在に、ガストンはこの場に居た事を、あらゆる立場を超えて呪った。
「ありがとう。久しぶりに楽しかったよ。本当にさ、君みたいな人が、アルザスに居れば良かったのにね……。ううん、それももういいかなぁ。どうせ皆んな死ぬからね、君はちょっと生きづらくなるかも知れないけど、最期まで見ているといいよ。僕なりの復讐をさ」
勇者が話し始めると同時に、先程まで噴き上げていた絶望的な『差』が、嘘のように消えていた。
「な、何を言って ─── 」
ボトッ! ズシャ……ッ!
何かが落ちる音がふたつして、急に体が軽くなったと思った瞬間、ガストンの視界が傾いて倒れた。倒れまいと反射的に力を入れたはずの右脚は、何の感覚も返さなかった。
「 ─── え? へっ、あれ……?」
「早く止血をした方がいいよ。してくれる人が居るならだけど」
「あ……ああ……っ、あああああああああッ!」
それが自分の喉から出ている叫び声だとは、ガストンは最初、分からなかった。
左腕と右脚が、寝転ぶ自分の目の前に、ふたつ転がっている。
回復魔術の印を結ぼうとするも、魔力が循環しない。気がつけば、手脚だけでなく、体の至る所に刺し傷が出来ていた。
「魔力はね、肉体を持つ者である以上、経路があるんだよ。そこをちょっと壊したんだ。人間にも通じるんだねぇ、初めて人にやってみたから心配でね。あ、心配は要らないよ? 傷口が埋まれば魔力も戻ってくるさ。今、君を殺したくないんだ。楽しそうだから」
一体どれだけの命を奪って来たのだろうか。三百年の間、それを続けて来た勇者には、普通の人間では辿り着けぬ、生命の取り扱い説明書のようなものが構築されている。
絶望。完全なる敗北……。
ガストンはウエストバックから、最後の転位石を握り締めて取り出した。
「ぐ、あ……っ! さ、流石だぜ……。俺にはどう逆立ちしても……敵いっこねえやクソッ!
…………へへっ、だがよ……ほれ。聞こえて来たろ?」
ガストンの言葉に勇者が小首を傾げ、耳を澄ませる。遠くから近づく、慌しい足音にガストンは笑った。
「人間はな、ズルイんだ! 俺が勝てなきゃ、もっと強え奴を呼ぶ。それでもダメなら強え奴で徒党を組むのさ! さあ、来たぜ……俺より強え…………」
「い、いやああああっ! が、ガストンさん! 一体何が……どうして……っ⁉︎」
頭を起こしていたガストンの口が、情け無く開かれていた。
「な、え? ちょ……っ! 何でお前がここに戻って来てんだアネッサッ‼︎」
「皆さんが、ガストンさんが心配で……っ! 正確な場所も分かっておかないと!
アルさんならよびましたからっ!
って、えっ……。このお爺さん……どなたです……か? 灰色の人たちは、どうなっ……?」
勇者の背後から少し離れた場所に、バグナスギルドNo.1受付嬢が、放心寸前の状態で立ち尽くしている。アケルギルドの職員は、本部に招集されて人手不足。緊急事態に備えて自ら動いた彼女の判断は、平常時であれば良かったのかも知れない。
しかし、今は平常とは遠くかけ離れた事態にあった。
勇者はガストンとアネッサを見比べてから、ニコリと笑う。
「ああ、君達にとって、お互いに大切な存在なんだね……
ねえ、大事な人が目の前で奪われる気持ちって、分かる?」
勇者の手の中で、曲刀の黒い刃が不気味な軋みを上げて、握り締められた ─── 。