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禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~
第七章 キュルキセル地方
第十四話 資格
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三百年前の聖魔対戦の真実。
魔王の『死の福音』とされる人類への宣戦布告は、
アルザス王国の暴挙を止めさせ、
勇者一行を守るためだった。
経済と国力を立て直し、
その覇権を広げるために、
一方的な魔界侵攻を目論むアルザス王国。
魔界のマナを一身に受ける魔王の前に、
人界の力など刃が立たない。
しかし、その魔王の策も虚しく、
アルザスは次の手に出る。
勇者の最愛の存在、カルラへの魔族疑惑と処刑宣告。
魔王は手を尽くしてそれを阻止しようと試みるも……
最愛のカルラを処刑された勇者ハンネスは、
その悲しみと怒りの奔流の中、
魔王フォーネウスに呪いの偽聖剣で斬り掛かった。
その凶刃に、
王太子オリアルとその妻エルヴィラへも倒れる。
勇者の狙いは『天界の門を開く』こと、
人類の半分を抹殺し、
聖剣ケイウェルクスを使うために。
そのための無情な凶行が始まった。
魔王の体が、床に崩れ落ちた。斬られた跡からは、ドス黒い影が風に揺れる草叢のようにざわめき立ち、その体を侵食して行く。その体の暗部には、無数の眼球が浮かび、ギョロギョロと辺りを見回している。
偽聖剣。女騎士を始め、極光星騎士団の勇士に与えられる呪いの刃。囚人服を朱に染めた勇者は、頰に浴びたそれを拭い、濡れた手の平を無感情に見つめていた。
『あ……ああ……』
部屋の片隅で、姉さんが俺を抱きしめて、喉の奥を悲鳴にも出来ずに鳴らしている。その二人へと、勇者は剣をゆっくりと振り上げながら、近づいていった。
『よ、止……せ……止せ……ッ‼︎』
父がか細い声でうわ言のようにそう繰り返すが、勇者は足を止めず、俺と姉の前に立つ。視界は父の体から揺らめく、呪いの影で黒く染まろうとしていた。
『ゆ、勇者…さま……? どうして……どうして……?』
『ぼくはね。魔王にならなきゃいけないんだ。その為にはまず、魔王を殺して魂から“クヌルギアの鍵”を継承しなきゃいけないんだよ。それには、ぼくの周りに、ぼく以上の魔力を持つ者がいちゃ、いけないんだ』
チャキ……ッ
上段に構えた勇者の手で、偽聖剣が鍔鳴りを起こす。必死に俺を抱き寄せて、守ろうと背中を向ける姉さんの肩口から、ただ真っ直ぐに勇者を見つめる俺の姿。
『ごめんよ、イロリナ。君は何も悪くない。けど、流石は魔王の孫だね、君は魔力が強過ぎるんだ……。アルファードくんもね』
ズバァン……ッ
突如囚人服の背中が弾け、勇者の体が吹き飛ばされると、壁に打ち付けられた。
『そうは、させないのである』
振り切った曲刀を鞘に戻し、閉じていた眼に鋭い光を走らせて、倒れる勇者を見下ろす男。剣聖イングヴェイが、その剣鬼の如き形相で立ちはだかっていた。義父さんの名を、父は呻くように口にしたが、そのほとんどは声にはなっていない。浅く速い呼吸が、父の傷の深さを物語っている。
勇者はよろめきながら立ち上がると、全身から闇が溢れ出し、その中の無数の眼で義父さんを凝視する。
『イングヴェイ……。じゃま……をしない……でよ……』
闇から腕のシルエットがざわざわと伸び、闇の剣をそれぞれが握りしめると、義父さんに襲い掛かる。
……キンッ
次の瞬間には、剣聖の再び納刀する音が、小さく鳴っていた。
『吾輩、剣聖イングヴェイ・ゴールマイン。剣にて挑むは、無謀に過ぎるのである』
闇の腕がバラバラと、根元から切れ落ちて行くと、勇者を包んでいた影が慌てたように彼の中へと戻って行く。糸が切れたようにうなだれる勇者の背後に、音も無く大きな影が立ち上がる。それは、全身を朱と闇に染め上げた、魔王の姿だった。
刹那、勇者がそれに気がつくよりも速く、衝撃が彼の体を揺さぶった。勇者の胸を、その背中から魔王の手が貫き、黒い霧の塊を握り締めている。
『……負のエネルギーか。こんな……もの……』
『いかん! 止すのであるフォーネウス! その体で力など使えば、いくら其方でも……‼︎』
『─── 【属性反転】』
魔王の体のあちこちから、経路を断たれた魔力が吹き出し、勇者の体内に魔術の反応光が発せられた。勇者を捕らえていた呪いの闇は一瞬にして消え去り、魔王の腕が引き抜かれた胸の穴は、何事も無かったように再生される。勇者は意識を失い、床に倒れる。
『……オリ……アルは……もう……無理か、エルヴィラも……長くは持つまい……』
『しゃ、喋るのは止すのである! 今、回復魔術を……!』
義父さんの回復魔術が、部屋全体を覆うが、勇者に斬られた傷には何の効果もなかった。
『…………無駄だ……呪いの傷は……癒せん……。イングヴェイ……我が友よ……。後を……頼む……魔族の…………未来……』
『馬鹿を言うでない! しっかりするのであるフォーネウス! まだ眠るでない!』
魔王は俺の方を向こうとして、力無く顔を戻し、浅く速く苦しげに呼吸をしながら、ふっと微かに笑みをこぼした。
『……呪い……アルファードには……分かっていた……のか……。ふ、ふふ……末恐ろし……い子だ』
『フォーネウス! 寝るでないフォーネウス!』
『……おお、ハンナ……ずいぶんと……待たせた……』
震える手を上げかけて、大きく息を吐き、魔王の体から力が抜けた。力無く落ちたその手を、義父さんは両手で握り締め、声にならぬ声を上げていた。
……ォォ……ォォオオォォォォォ……
魔王の胸から、青白い発光体が尾を引いて浮かび上がり、父の方へと飛び出す。
『これが、クヌルギアの……鍵……か』
視界が一瞬明るくなるも、父の弱々しい呼吸は、今にも事切れそうだった。それでも魔王継承の証は、彼に何らかの力を与えたのか、振り絞るような声で義父さんに語りかけた。
『イングヴェイ……私の魂を、抜き取れ……』
『何を馬鹿な事を言うであるかッ!』
『アルザスは……人界は……どう動くか分からん。私はもう……長くはない……。イロリナには……破壊神は……倒せぬ。アルファード……を、次の魔王……に』
『それまで、クヌルギアの鍵を、其方の魂に縛り付けて置けと?』
視界が震えながらも、確かに頷いて揺れる。
『……すでに……呪いは……私の魂の一部を……焦がした。全てが腐る前に……。お前なら…………斬れる……! 残った魂を、その時が……来る……まで……封印……』
『……承知した』
義父さんは懐から雨蛙の石人形を取り出し、父の近くに置いた。そして、曲刀を抜き、目を閉じて精神統一をはかる。
そして気合い一閃。視界が微かに揺れると、父の視界が浮遊するように動いた。義父さんは呪術を掛け、視界と蛙の石人形とを、光の鎖で繋ぎ止める。
視界が大きくブレて、石人形に飛び込むと、灰色一色に変わってしまった。雨蛙の中に魂が吹き込まれたのだろう。義父さんの声が、嫌にこもった感じで響いた。
『な、何と……! 済まぬオリアル、鍵が!』
視界は黒くフェードアウトして、途切れてしまった。
※
『─── 目覚めたであるか? うーむ、目覚めたのかどうか、これでは全く分からんであるな……』
『……む、何だ……イングヴェイ……? な、なんだこれはッ‼︎』
義父さんの手の平の上で、父が目を覚ましたようだ。音の聞こえ方が、嫌にガサガサした感じ。ひどく困惑しているのか、視線がキョロキョロと定まらず、こちらが酔いそうになる。どうやら小さな部屋の中にいるらしい。
『何だも何も、雨蛙なのである。吾輩渾身の作品、名付けて雨蛙』
『名付けてないぞ! ぐっ、距離感が掴めんし、動けん! 私は封印されたのではないのか⁉︎』
『この石人形に魂を縛り付けたのである。魔王が崩御した今、魔界の行く末はアルファードに掛かっておるのである。その進退をどうするか、今知恵を絞れるのは、オリアル皇太子殿下。其方だけであるからな』
『父上が……。エルヴィラは⁉︎ イロリナとアルファードはどうなった⁉︎ 勇者はどうなったのだ‼︎』
義父さんは淡々と説明を始めた。どうやら父が目覚めたのは、あれから四日後の事らしい。勇者は義父さんの入念な呪術を掛けられて、拘束されたまま、地下牢に入っていると言う。
『イロリナ殿下とアルファード殿下は、無事なのである。イロリナ殿下は、かなり憔悴仕切った様子であるが、昨夜から食事を摂れるようにはなったであるな。アルファード殿下は、まだ状況が分からぬのか、いつもより大人しいが落ち着いているのである』
『ふたりは無事だったか……』
『フォーネウスの事は申し開きの言葉もない。もっと早くに、吾輩が駆け付けておれば……!』
義父さんはカルラの処刑を知らず、その時まで彼女の釈放を求め、顧客であった中央諸国の有力者達に掛け合っていたそうだ。カルラの処刑を知り、アルザスに飛んだが、すでにカルラは処された後。勇者が城内で暴れ、兵士と交戦した事で、首都は大きく混乱していたと言う。嫌な予感がして、魔王城に飛翔魔術で飛び込んだのが、あのタイミングだった。
『父上……。 いや、剣聖が居なければ、より事態は深刻だった……感謝の言葉もない。ところで、すまないが、エルヴィラは、どうなった』
『手は尽くしたのであるが、あれ以上はどうしようも無かった。今は隣の部屋に……』
『そうか……先に逝ってしまったか、エルヴィ……。ん? “あれ以上は”と言ったか?』
義父さんに運ばれ、隣の部屋に行くと、母さんは寝台で眠っていた。
『これは……生きているのか? 呼吸をしていないが……』
『時を止めているのであるよ。思った以上に奥深くに呪いを送り込まれ、魂を抜く事も、切り取る事も叶わず。時を止め、呪いを解く方法を探すしか、今は方法はないのである』
『─── ッ‼︎ 感謝するッ! イングヴェイ・ゴールマイン、心よりの感謝を……う、ぐっ、うぅ……!』
母さんの枕元に父を置き、イングヴェイは侍女達と共に部屋を出て行った。
『エルヴィ……許せエルヴィ……! お前を生涯守るとの誓いを、こんな形で破る事になるとは……』
父さんは語り掛けた。どれだけ母さんを愛していたのか、どれだけ母さんから幸せをもらったのか。そして最後に、父さんの心に決めた誓いを聞かせていた。
カチャ……
そこへ俺が扉を開けて入って来た。とてとてと歩き、両親の近くまで近寄ると、寝台の上を背伸びをして覗き込む。何故か手には、小さな箱と枕を持っている。
『……ん、ぱぱ、まま、でる?』
そう言って、父の方へと振り返って、眉をひそめている。
『ぱ、パパって、分かるのか……⁉︎』
『うん。ぱぱ、まま、でる?』
父の困惑がこちらにまで伝わってくるようだ、二歳の子供だと話せるのはこれくらいが限界なんだろうか。二歳の俺は、小首を傾げて『分かんねえのかよ』みたいな顔をしていた。
『あ、ああ、おんもに出たいのかい? ママはね、ちょっとねんねしてるんだ。パパもこんなんだから、ちょっと動けないな……ははは。後で誰かお友達を呼んであげよう』
『でる、ない?』
『うん、ごめんねアルファード、今、パパたち、ちょっと無理かな』
そう言うと、俺は部屋から出て行き、入れ替わりに義父さんが入って来た。
『お? アルファード殿下、いつの間にこちらへ来たであるか。吾輩、ずっと廊下にいたであるが』
『ああ。外に出て遊びたいらしいんだがな。これでは何ともしてやれん……。気を遣わせたようで、悪かったな。人払いしてくれたのだろう?』
義父さんは、曖昧な表情で手をひらひらさせ、こちらへと向き直る。
『ふむ、それもあるのであるが、もうひとつ、聞かれてはマズイ話があるのであるよ』
『……もう驚く事もあるまい、何だ?』
『クヌルギアの鍵の事である。今、オリアル殿下の魂に備わった鍵は、半分しか無いのである』
『なにッ? 失敗したのか⁉︎』
そう言えば、さっきの記憶の最後に、そんな声だけ聞こえていた。
『いや、よく分からんのである。殿下の魂より呪いを切り離すのには成功したであるが、その瞬間に鍵が二つに分かれたのであるよ。ひとつはそのまま殿下に定着し、もうひとつはイロリナ殿下へと飛んで行ってしまったのである』
『イロリナに……? 何故だ……』
『あくまで吾輩の想像であるが。おそらく、オリアル殿下の魂を削った時、鍵は魔力量を誤認もしくは、死と勘違いしたのかも知れぬ。しかし、未だオリアル殿下にも魔力があったが故に、イロリナ殿下を選定したが、選ぶに選べず』
『そんな事があるのか? いや、この魔界でも鍵の継承中に、魂が切られた者など居なかったであろう。これは一体、どうなるものだと言うのだ』
コンコン
ノックの音が響き、侍女が廊下から声を掛けてきた。
『お話中、恐れ入ります。ランバルド様とテレーズ様がお見えになりました』
『む、あいわかったのである。出来れば内密に話せる部屋を願いたい』
『畏まりました。すぐそのように』
義父さんが、何とも言い難い顔でしばらくうつむき、考え込んでいる。再び侍女がやって来て、部屋の準備が整ったと聞くと、義父さんは父を連れて部屋を出て行った。
※ ※ ※
『そ、そんな馬鹿なッ! あいつに限って、そんな馬鹿な事!!』
『事実なのである。起きてしまった事は、もうどうしようもない。嘆くより、どうするかを考えるべきであろう』
その言葉に、動かしようのない事実を悟ったのか、立ち上がっていたランバルドは、椅子に崩れ落ちるように座わり込んだ。
『しかし、聖剣とその使い方まで知っておるとは、どうにも裏でそそのかした存在が臭うであるな』
『我が王族でも、天界の門の話は伝わるには伝わっていたが、与太話だろうと、特に気にも止めてはいなかった。実在したのだな、聖剣ケイエゥルクスなどと言う神器は』
『ふむ、吾輩も手に取ってみたのであるが……。あれはいかん、何も望まぬようにせねば、簡単に心奪われてしまうのである』
『それがどう鍵になると言うんだ? 勇者は世界の半分を殺すなどと言っていたが』
『『─── ッ⁉︎』』
『ふぅむ、そこまでは吾輩も、お師さんから聞いていないのである。何でも太古の昔に、ヴァンパイア一族が創ったそうであるが』
『ふたりは何か聞いていないか? 勇者から、もしくは勇者に近づく者に、それらしい人物は?』
ランバルドとテレーズは、静かに首を横に振るだけ、部屋には沈黙が流れた。
『─── ! そこにいるのは誰であるか?』
『ご、ごめんなさい……。テレーズ様達がお見えだと聞いて、わたし……』
『おお、イロリナ。無事で本当に良かった!』
『え⁉︎ その声はお父様! 生きて……⁉︎ どこです? どこに……⁉︎』
姉さんの慌てふためく様子に、ランバルドとテレーズは微妙な顔をしている。彼らも最初にその姿を見た時は、呆然としていたのだが。姉さんは、ここまでの話をかいつまんで説明され、顔色悪く俯いてしまった。
『イロリナ、お前が無事でいてくれて、私は救われた思いだ。しかし、今は生きている私達が、何とかしなければならないのだ。母さんの事は、私達が何とかする、今は少しでも希望が持てるようによく休みなさい。……顔色がすぐれぬぞ?』
『あ……これは……。わたしの中に入った鍵が、物凄い魔力を出しているみたいで。苦しいの……』
『む。私の中の鍵は、それほどでは無いが。やはり、この魂では不完全であったか』
『いや、そうではなかろう。殿下の魂は、欠けてしまったとは言え、魔力の器が大きいのである。イロリナ殿下の場合は、器の大きさが鍵の生み出す魔力に、見合っていないのであろう。時間を掛けていけば、少しずつ慣れてはいくであろうが、限界はあるであろうな』
過ぎた魔力は毒にしかならない、魔力の器と言っても、正しくは一時保存する魔力の保有量の事でしかない。悪精の治療のように、魔力は体の内側から傷つけてしまう側面がある以上、保有量以上の魔力は放出する以外にないはないだろう。そうでもなければ、姉さんの体は遅かれ早かれ、崩壊しかねない。
『剣聖様。わたしは今後どうすれば良いのでしょう? 私には魔王になるのは、到底無理です』
『ふぅむ、恐らく現在鍵に耐え得る器の持主は、勇者とアルファード殿下のみであろう。生きたまま鍵を移すとなれば、危険は伴うであろうが何とかなるであろうが。ただ、それにもアルファード殿下の、十六歳の成人を待たねばならぬ』
『十四年後……。アルが加護を受けて、強くなるまでですか』
『イロリナに溜まる魔力は、魔術化するなり、どうとでもなろうが……。十四年は長い。それまで魔王不在とは、魔族全体への影響が懸念される。魔王を通して分配されるはずの魔力が無ければ、民のみならず、魔界全体が衰退しかねん』
『……そうなれば、それこそアルザスがどう動くか分かりませんね。今アルザスは権力と名声に血眼になってますから』
『『『うーん……』』』
魔王を継ぐ者がなければ魔界は衰退、第一候補者だった王太子は肉体を失いリタイア、王太子妃も動けない。
『何よりまず、魔界の民への公表だな。魔王崩御……は、魔力の供給が途絶えるだけに、すぐ悟られてしまうだろう』
『それなのであるが、今現在、殿下の状態はここにいる者にしか教えてないであるよ。アルザスと魔界の民、この両面に利のある状態は、どうであるか判断がつかなかったのであるからな』
『城の者達には何と?』
『アルザスの刺客によって、魔王、王太子、王太子妃の三名が害され、魔王と殿下は極秘の場所にて治療中と。口止めはしたであるが、漏れても良いようにするには、これくらいかと』
『この局面で、それだけの判断とは恐れ入る、これ以上ない処置だ。剣聖イングヴェイ、重ね重ね、心より感謝する』
『ただ時間を稼いだに過ぎないのであるよ。目下の難題は魔王の存在で─── ッ⁉︎』
『『『─── ッ⁉︎』』』
その瞬間、全員が目を見開き、同じ方向に振り返った。
『こ、この魔力は……魔王じゃねえか! 何だ、生きてたんじゃねえか親父、冗談にも程があるぜ?』
『確かにこの質は魔王! しかし、それはあり得ないのである、魔王の魂は確かに潰た。なればこそ、クヌルギアの鍵は継承されたのであるからな……』
全員が見守る中、扉が開いた 。
『何だ……アルじゃない。驚かさないでよもう』
部屋に入って来た俺が、義父さんの後ろに駆け寄って、怯えたように扉の方を見ている。
『これはアルファードの魔力ではない! 何者かが近づいて来る! 皆、気を抜くな!』
父の声にハッとしたランバルドとテレーズが、剣を抜いて構えた。
ひた……ひた……ひた……
静まり返った部屋に、廊下を裸足で歩くような音が、微かに響いている。突如視界が揺れたと思ったら、置物の父さんを俺が抱えて、義父さんの後ろに再び隠れる動作だったようだ。
ひた……ひた……ひた
部屋の前で足音が止まり、何人かの息を飲む音が聞こえた。
カチャ、ギィ……キィィ……
扉が怯えるような軋みを立て、ゆっくりと開く。そこには、全身に禍々しい魔力を纏った、囚人服の少年が立っていた。
『ハ、ハンネス……ッ⁉︎ お前、一体どうやって……。親父の呪術を破ったってのか!』
『…………』
『そんな事よりハンネス、貴方は一体どうしてこんな馬鹿な事を! リディは一緒ではないの? 仲間でしょ、ちゃんと説明しなさい!』
『…………』
ランバルドの声にも、テレーズの声にも、勇者は反応せず、ただ入口に立ってこちらを見ている。
『勇者殿、その魔力は一体どうした事であるか? まるで其方、魔王のようではないか』
義父さんの声に、勇者はニヤリと口元を歪めて笑い、大仰に両腕を広げてみせた。
『ぼくは選ばれたんだよ。最も大事な条件を手に入れたんだ』
『最も大事な条件? まさか……!
─── エルネアの加護を受けたであるか⁉︎』
『『『─── ⁉︎』』』
勇者は顔の前でゆっくりと手の平を握っては開き、恍惚の表情を浮かべていた。その仕草に、ドス黒い魔力が溢れ出て、部屋を包み込んで行く。
『その通りだよ。ぼくは魔界の調律者の資格を得たんだ。後はそこにいる鍵の継承者を殺し、クヌルギアの破壊神への、挑戦権を得る』
『な、何だよそれ! お前が魔王なんかに選ばれるわけがねえ! お前は勇者だろ、世界の希望の勇者なんだろッ‼︎』
怒鳴るランバルドに、勇者は不快な表情を見せ、スッと手を差し向けた。
『……お前、うるさいな。ちょっと、死んでなよ』
吐き捨てるような言葉と共に、ランバルドの剣と鎧の一部が弾け飛び、床に押し潰された。
『ぐ、うぐあああああッ⁉︎』
『ちぇ、意外と頑丈だなぁ、勇者だった頃から、ぼくに一度も勝てなかったくせに。それともまだ、ぼくに魔王の力が馴染んでないのかな?』
『ラ、ランバルドッ‼︎』
テレーズが両手に小剣を構え、ランバルドの前に立つ。その額には、大粒の汗が流れている。しかし、勇者はそんなふたりには目もくれず、裸足の音を響かせながら、こちらへと向かって来た。
ガ……ギィィ……ンッ‼︎
義父さんの剣が、勇者のかざした手の少し手前で、強烈な金属音を立てて止められた。
『ぬ、ハンネス殿、この吾輩を素通り出来ると思ったであるか?』
『……まいったなぁ』
勇者は頰を掻き、溜息混じりにそうこぼすと、義父さんに向き直った。
『今は全く負ける気がしないよ。なぁんだ、勇者なんて全然大したもんじゃなかったんだね。魔王の力は素晴らしい』
にこりと勇者は笑う。その直後、義父さんの体が、後ろに弾け飛んだ。辛うじて剣で受け止めてたのか、マントの切れ端が宙を舞い、遅れて義父さんの頰に無数の傷口が開いた。
『ふむ、生涯一度たりとも、フォーネウスを本気にはさせられなんだが……。相手にとって不足無し、吾輩の剣の真髄、とくとお見せするであるよ』
重心を下げ、マントの下に剣を持つ手を隠し、義父さんは細く息を吐いた。
『本気の剣聖かぁ、怖いなぁ。でもこの感じ、あなたが聖剣ケイエゥルクスを隠し持ってるんだね。じゃあ、殺すしかないかぁ』
義父さんの顔に汗が一筋流れる。直後、部屋を閃光が走り、猛烈な火花が弾けた。アハトが見せた剣技を遥かに凌駕する、俺の記憶にあった義父さんの姿。いや、それ以上だろう。俺の知ってる義父さんは、達人然とした剣士だったけど、それに獰猛さが上乗せされている。
しかし、勇者はそれを難なく素手で受け流し、不可視の斬撃を、何の予備動作も無く義父さんへと放っている。辛うじて義父さんも、それをさばいてはいるが、明らかに傷が増えているのは明白だった。段々と傷の数と深さが増し、義父さんの動きが鈍り出している。そこへ、ランバルドが助太刀に入るも、何故か義父さんは彼の背中を蹴って、姉さんの方へと吹き飛ばした。
『……ってぇッ‼︎ 何しゃがんだクソ親父! 人が折角助けてやろうってのに!』
『邪魔なだけである。後三十枚くらい、皮が剥けたお前だったならお願いするである。お前はそこで、テレーズ殿とイロリナ嬢をお守りしておれ』
ドウ……ッ
勇者の拳が義父さんの腹を捕え、宙にその体が突き上げられた。
『話す余裕なんか、あるの? どちらにしろ、彼らじゃイロリナを守るには、薄過ぎるんじゃないかなぁ。ああ、本当にすごいね、歴代魔王の闘いの記憶が、どんどん流れ込んで来る……!』
『くっ、化け物め……。あまり時は与えられぬであるか……!』
『ええ? その台詞はぼくの方でしょ? カルラの仇、ぼくはそれほど待つ気はないんだよッ!』
勇者体が一瞬にして義父さんの懐に入り、肘で鋭く腹をかち上げた。義父さんの体が宙に放り投げられ、受身も取れずに床を転がった。
『何やってんだ親父ッ! さっきから動きが鈍いぜ⁉︎ 本気出せよッ‼︎』
『はは、何? この期に及んで、まだ出し惜しみしてるの? それにさ、ぼくが来てから、ずっと何か術式を練り上げてるみたいだけど、ぼくには魔術はもう通用しないよ?』
『魔術……? 親父何やってんだ! 親父の魔術じゃ、魔王に通用なんざするわけねぇだろがッ‼︎』
『フッ、確かに魔王には、であるな。
───イングヴェイ・ゴールマインの名において、千星万陽の刻砂に、不流不動の鍵を掛けん! 【時間封縛呪】……‼︎』
『『『─── ッ⁉︎』』』
義父さんが発動させた術式は、勇者をすり抜け、進んでいく。その後ろにいた姉さんとランバルド、テレーズの三人に展開し、光の球体に閉じ込めた。
『 魔王に魔術は効かぬが、魔王でも触れ得ぬ結界くらいは、作れよう。こう見えて吾輩、ハイエルフ。結構、術には自信があるのである』
『おいッ、ふざけんなクソ親父! 何で俺たちまで封印されてんだよッ⁉︎』
『可憐なイロリナ殿下を、お一人で時の理から外すは、気の毒であろう? まあ、そこにおったのが運の尽きと、諦めるのである』
ギィィ……ンッ
怒りに目を吊り上げた勇者が、貫手で襲い掛かるのを、曲刀で受け止める。殺気に赤黒いオーラを漂わせる勇者に対し、力で押されながらも、義父さんは涼しい顔で笑みを浮かべた。
『良いのであるか? 吾輩を今亡き者にすれば、この魔術は完成され、別次元に飛ばされるである』
『くっ、この狸じじい!』
『ほっほっ、強くなった途端に口が悪くなるとは、伸び代に疑問を感じるであるな♪
─── 無駄よ。これで其方は、イロリナ殿下より、クヌルギアの鍵を奪う事は叶わぬ』
怒りに我を忘れた勇者は、苛立たしげに足を踏み鳴らし、パートナーの名を怒声混じりに叫んだ。
『リディッ‼︎ 少しは役に立てッ‼︎ こいつを何とかしろ!』
魔王の力のせいなのか、それとも怨みのせいなのか、俺とソフィアとの関係では考えもつかない言葉だな。
『ハンネス……お待たせ』
抑揚も覇気もない、異様に澄んだ声が響いて、勇者の背後に人影が現れた。
─── 大魔導士リディ、ソフィアの前任者、調律神オルネアの化身
儚くも悲しげなエメラルドグリーンの瞳が、虚ろな光を滲ませて、イロリナ達を見つめていた。