Episode
禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~
第五章 妖精王の国
第一話 魔女狩り
密林国アケル北部に連なる、険しくそびえ立った山脈は、ダラングスグル共和国の北部を囲うように伸びている。北に隣接する、シリル連邦共和国と分断された形となり、ダランが今の遊牧民文化を保っていられる理由でもあった。
通称『世界の壁』
この山脈を南北に、かつては世界が南北に隔絶されていたが、アルザス帝国主体に貿易路が開拓された。それが『栄光の道』と呼ばれる、南のバグナスまで続く世界最大の貿易のルートだ。
その世界の壁から、北側の国々が『中央』と呼ばれている。
そんな名が付くくらいだからそりゃあ険しくて、普通は『栄光の道』で整備された、比較的標高の低い安全な西側から世界の壁を越えるらしい。だが、そっちから進むと、目的地のキュルキセル地方と、途中に寄る予定の『シモンのお使い』メルキア公国の遠回りになってしまう。
と、言うわけで、魔力で肉体強化と安全対策を万全に、最短ルートを強行突破。
俺達は現在、ダランの北西部の切り立った山岳地帯から『世界の壁』を越え、シリル領土に程近い場所まで来ていた。このままシリル国内を北上すれば、再び別の山脈へとぶつかる。それを越えれば、シモンの実家のあるメルキアがあり、その先は俺の実家があるとされるキュルキセル地方だ ─── 。
※
「ねえ、アル……? なんかこの国の精霊、変じゃない?」
シリルの国境を目指し下山を続け、やや拓けたなだらかな場所に出た時、スタルジャが不安気な声を漏らした。
「んん? いや、特に何も感じないが、どうかしたのかスタルジャ」
「…………気のせいかなぁ。なんかね、妙に人に慣れてないって言うか、あ、もちろん精霊は自由奔放なんだけどね? ちょっと人に無関心過ぎる気がするの」
無関心? 確かに彼女の言う通り、精霊は基本的には自由奔放で、それ程人に構おうとはしない存在だ。しかし、言われてみれば、こちらが働き掛けない限り、眼にも入っていないような素振りがある。ただ、語り掛ければ微弱でも反応はするし、環境の安定してない場所ならそういう事もあるしで、それ程気になる感じではなかった。
流石は霊的に高いエルフ族、そう指摘されなければ気がつかないような、些細な違和感ではある。しかし、スタルジャが気にしているのは、それだけではないようだ。何かを探るように、辺りを見回し始め、すぐ何かに気がついた。
「それとね、あそこの樹からだとおもうんだけど、嫌な感情が流れて来てるの。うーん、なんか凄く不気味なんだけど……」
彼女が指差した場所を見て、今度は俺でもすぐに違和感に気がついた。
もう陽のかげり始めた岩山の中、いやに暗く感じる場所がある。まるで、その樹の辺りだけ、夜を先に迎えているかのようだ。スタルジャが不審がるのもうなずける、唐突な違和感と不気味な存在感だった。
「菩提樹かな……? 確かに不気味な枝振りだし、何だ……霊体が妙に多いな」
その樹の周りには、無数の青白い鬼火が、時計回りにゆっくりと回り続けていた。樹齢は七、八百年は経ているだろうか、岩に囲まれるようにして伸びた巨木は、幹を大きくひしゃげさせ、辺りに大きな影を落としている。コブとヤニだらけの老木が、離れて見ている限りでも、怪しい雰囲気を醸し出しているようだった。
余程の澱みが無ければ、ああはならないだろうが、特に穢れたマナや魔力も感じられない。スタルジャが気にしていた、精霊の違和感とは関係は無いようだが、妖しげな何かを感じる風景だった。気にしなければ気にならなかっただろうけど、一度気にしてしまえば、放って置けない雰囲気だ。
「ん? オニイチャ、あそこ行くの?」
「ああ、何なのか気になるからな」
ティフォは心配だとかそう言う感じじゃなくて、変なものを気にするんだなぁ、といった不思議そうな表情だ。何かしら曰く付きの場所には、怨念や未練を持った魂が引き寄せられる事がある。しかし、ああして数百はあろうかという魂が、同じ動きをしているのは初めて目にする。
暗い色の巨木を、細く青白い光をたなびかせて回るそれらは、いくつも重なり合って巨大な環を作り上げていた。霊魂の作り上げた繭のようだと、そう思わせる程に、樹の大部分を覆っている。
「こちらが意識を向けても、何の反応も無いのは、確かに変ですね。何かひとつの行動に、縛られているような?」
ソフィアも異変に気がついたようだ。
悪霊や不浄で取り残された魂は、人の視線や意識に寄せられる事がほとんどだ。悪霊であれば取り憑いたり、取り殺そうと問答無用で近づいてくるし、未練ある魂ならば何らかの主張を聞かせようとして来る。しかし、あの樹の周りの魂には、そう言った気配が無く、ただただ樹の周りを回っているだけだ。
彼らはこちらに気がついている。
それでも回り続ける事から逃れられないようで、いくつかの魂は弱々しく思念を飛ばして来たが、聴き取る事は出来なかった。スタルジャが感じたのは、この微弱な思念の事だろうか。
その老木の近くまで寄り、周りにある岩の上に登った時、ひとつの魂が俺の体に触れた。
─── 痛い……痛い……もう許して……
こちらの問い掛けには答えず、ただただ同じ事を繰り返しているだけだ。思い切って、樹の根元まで降り、その幹を間近で見た時に寒気が走った。
相当に古い物であろう、夥しい数の太い釘や刃物らしき物が、びっしりと打ち込まれている。遠くから見た時に、コブや脂だと思ったものは、これらの影だったようだ。つまり、そう見えるくらい異常な量の、酷く錆びた小さな金属が、そこかしこに打ち付けられている。
乾燥した土地っぽいし、樹によって雨風から免れていたのだろうか?
釘や刃物は完全に錆びているが、辛うじてその形状を残す程度には、原型を留めている。その釘のひとつに触れた時、俺の頭の中にここで果てた者達の思念が、一気に流れ込んで来た。
─── 百合と陽光を象徴化した杖が、闇夜にいくつも掲げられ、その人垣に囲まれた多くの女性達
─── 周りの群衆は、白いローブを纏い、口々に彼女達を罵り、脅し、時に棒で打ち据え、石を投げつけていた
─── 『魔女め!』『魔女め!』『魔女め!』
─── 彼女らは歩かされる。寒空の下、冷たい水を何度も浴びせられ、歩かされる
─── 延々と罵声と暴力を受けながら、自分が『魔女では無い』と証明するために
─── 倒れた者から樹に打ち付けられ、歩ける者は、その死体の周りを延々と歩く
─── 光の神に守られし者なら、その加護で死ぬ事は無い、それを証明するために死ぬまで歩かされる
─── 矛盾、非道、非情、嘲笑……
─── 恐怖と、飢えと、寒さに、震える彼女達の心は、それにただ従う他はなかった
触れたひとつの魂から、それらの感情と痛みが伝わり、思わず下唇を噛み締めた。ここにいる魂全てが、同じく凄惨な最期を遂げた者達である事に間違いはない。
「聖魔大戦……いえ、もっと前ですね。相当に古い思念ですが、未だに彼女達は縛り付けられているようです ……
─── 百合と陽光の印、光の神を騙る信徒。これがエル・ラトの所業ですよ」
いつの間にか隣に立っていたソフィアが、杖を握り締めて、ギリッと音を立てた。彼女も同じ思念を見せられていたのだろう、狂気の群衆の持っていた杖の象徴から、エル・ラト教だと言った。まさかこれも、帝国が世界の宗教全ての管理をしていたその一環だったのだろうか?
エル・ラト教がキナ臭いのは、里にいた時から知ってはいたし、旅の途中でもそれは感じていた。しかし、どこか他人事だった気がする。だが、言われてみればそうだ。
他宗教の弾圧、敗戦国の弱体化に、生易しい規制で済むわけがない。
今ようやく、ソフィアが帝国とその教団を憎む理由が、身近な問題として認識出来た気がした。神の名を騙り、根拠の無い言い掛かりで同じ人間を虐殺するとは恐れ入るもんだ。隣のソフィアからは、空気を震わせる程の怒りが、神気となって噴き上げている。
マラルメに『神を騙るとは』と罵られた時、彼女は一体どんな気持ちだったのだろう?
自分までもが偽りの存在と言われるとは。そんな事が頭をよぎり、胸が締め付けられる。神としての彼女の苦悩を、普段あまり感じさせられる事が無いのは、未だ俺が完全な契約を済ませていないからだろうか。彼女の全てを背負えた時、彼女の全てを話してもらえるのか、寂しさにも似た感情に苛まれる。
昔、セラ婆に教わった事がある。
年代的に言えば、ソフィアの言う通り聖魔大戦より以前、三百四〜五十年前の話になる。かつて急速に広がりを見せたエル・ラト教は、最初期にはかなり血生臭い手段で、他の信仰を潰して回っていたという。異教徒の拷問、虐殺、暴虐……正義と教義の名の下に行われた蛮行には、枚挙の暇が無い。
当時はまだ帝国はその前身『アルザス王国』だったわけだが、その覇権は今よりも力に頼った方針で他国に手を伸ばしていたと聞く。
教団と組んで、それこそ強い圧力を掛けていた事だろう。その中でも凄惨を極めたのは、民間人の洗脳を利用した、身内狩りの施策だったという。
光の神に背く、異端者の炙り出し。
もちろん光の神ラミリアには、そんな考えも無ければ、それを認める事もしなかっただろうに。全ては人の成した事。この現世の営みを司るラミリアには、与り知る事のない人の治世の話であって、神が関与するような事じゃあない。
全ては人の騙りで、その欺瞞に振り回された、民衆の恥ずべき過去でしかない。
ただ、それを妄信して、迫害をしていた者は愚かだが、それにすがり、何の救いも得られなかった者達はどうだったと言うのか? それらは誰もが踊らされた者達ばかりだ。
三百数十年も昔に起きた過ちと呼ぶには、余りにも人の心理の偏り易さを物語る、悲劇でしかない史実。悲劇の結果に残ったのは、現帝国の前身である、アルザス王国と教団の繁栄だった。つまりは帝国がのし上がるための、戦略の一部でしかなかったわけだ。
確かシリルの前身は、かつて帝国から侵略を受け、強硬な宗教弾圧を受けた国でもある。言わばここは、険しい山と気候に守られた、その時代の爪痕を残した場所なのだろう。ちょうど国境の曖昧な場所で、ダルンもシリルも手を出しにくい土地だと言うのも、現存している理由か。
ズギュ……キュ……
生木に食い込み続け、同化し掛けていた釘を、力任せに無理矢理抜き取った。樹と同化仕掛けた金属が、薄暗い影の中で、悲鳴のような音を立てた。そうする意味があるかは分からなかったが、目に入る端から次々に、打ち付けられた過去の狂気を素手で抜き取っていく。
ほとんどは、つまんだだけで崩れ去ってしまったが、それでも構わずに続ける。
全てを抜く事が目的じゃない、それがここにあるのが間違いだと、彼女達に伝えたかった。その内、見ていた三人も一緒になって、釘や刃物の残骸を抜き取り、地面に捨てていた。
どれだけの間、そうしていただろうか。
すでにとっぷりと陽の暮れた、暗く薄ら寒い樹の下に、投げ捨てられた釘同士のぶつかる音だけが響いていた。ふと気がつけば、回り続けていた魂達が、空に留まってこちらを見下ろしていた。
口々に何かを囁いているが、余りに長く現世に繋ぎ留られた彼女達の魂は、すでに思念も薄れていて言葉を成してはいない。
「─── 【癒光】【浄化】」
肉体の無い彼女達に、回復魔術など意味は無いが、癒しと清めるための魔術を掛ける。魔術は言霊の行使に近いのだから、効果は無くとも、せめてこちらの気持ちが伝わればいいと思った。
青白い仄かな光を放つ彼女達の魂が、癒しと浄化の光に包まれ、菩提樹ごと黄金色の輝きを放つ。
「わあ……っ‼︎」
スタルジャがその光景を見上げて、息を漏らした。大きくひしゃげた巨木を埋め尽くすように、生前の姿を取り戻した、女性の魂がそこに佇んでいる。幼子から老女まで年齢の幅は大きいが、思春期を迎えた辺りの少女や、若い女性が多く目立つ。
「もう……苦しいのは終わった。ゆっくり休むといい」
一斉に魂達が微笑むと、風が葉を揺らすように、ザァッとさざめいた。それを見回すと、ひとりの女性の魂が近づき、俺の方に手を伸ばす。
柔らかな風と共に、本来この樹に咲く花の、甘く清々しい香りが流れて来る。長い髪の女性は、自らの魂を薄れさせながら、最期の力で何らかの術を使ったようだ。大地もそれを祝福したのか、精霊にもなり切れない、生まれたばかりの光の粒が集まり、俺達を包み込んで消えて行った。
彼女が俺に何をしたのかは分からない。ただ、体の中に何か温かいものが流れ込んだような気がした。彼女はほとんど消え掛けながらも、微笑んでこちらを見ている。
もうこれ以上この世に留まるのは、負担が大き過ぎるだろう。俺は微笑み返して、魔術を行使する。
─── 【浄霊】
冥府へのはなむけ、対アンデッドの魔術が、彼女達の魂を解放する。
黄金色に輝く、光の柱が辺り一面を照らしながら、空へと突き抜けた。初夏に咲くはずの、菩提樹の花の香りを、辺にふわりと残して、再び闇が戻る。
「魔女か……。もし彼女達がそうだったとしても、本来は精霊信仰の術師の事なんだよなぁ。欺瞞、レッテル貼り。これもエル・ラトの戦略か」
人の心理が一気に傾く時、そこには何かしら不安を煽る背景があり、きっかけひとつで堰を切ったように流れ出す。
『魔女狩り』は聖魔大戦より数十年程前の、飢饉と疫病が猛威を振るい、それらが少し落ち着いた後の事だ。余りに大きな事件の最中では無く、終息し掛けた所に起きたと言うのも、人間らしいと言えば人間らしいのだろうか。少しの考える余裕が、大きな恐怖によって、極端な方向へと動き出した。
「……精霊信仰の術師って、私たちランドエルフと同じって事……なの?」
「ランドエルフは人に不幸をもたらす、悪魔の使いなんかじゃないだろ? 精霊術師って、エル・ラト教とか創世神話の神を信仰してる団体からすると、少々邪魔に映っちゃうらしいんだよ」
「え? ど、どうして……?」
「神に祈っても起こらない奇跡を起こせるし、薬とか土地に根差した暦の知識にも強い。本来、信仰する対象が違うんだから別団体なんだけどな、創世神話系の団体からは、信者獲得をひっくり返し難い」
「それなら! それなら別々にすればいいのに。何も『魔女狩り』だなんて……!」
「信じ込ませたい神話とか、逸話が入りにくくなるからさ。現代宗教は単純に人々の幸せを叶えるものじゃなくなってる。政治的な側面が強いんだよ。だから悪いレッテルを貼って、精霊信仰が神々の怒りに当たる事だと、大掛かりで大袈裟にやったらしい。
人はひとりひとりは優秀でも、大きな流れになると考えられなくなるからな。よく知りもしない連中を中心に、あらぬ噂を流しただけでこれだよ」
スタルジャは薄ら寒そうに、自らの肩を抱いて、眉をひそめている。
「そんな理由でこんな事が出来るものなの? ニンゲンって怖い……」
「うーん、その通りで耳が痛い限りだけど、全員が全員そうじゃないし、いつでもってワケでもない。背後にあるのは、未来への不安と恐怖がある時に、そうさせようとする何かがあった……て感じだろうな。集団ヒステリーを利用した、侵略とか圧力みたいなのだったんじゃないかな……」
「あ……ごめん。アルもニンゲンだもんね。それに、私たちだって緑児って除け者にされてたんだもん、エルフだって同じかぁ。皆んなが進み出しちゃうと、止められないもんね……」
二人して溜息をついていると、ティフォが小首を傾げた。
「ん、人族だけじゃないよ? どーぶつだって、怖いのつづいたら、イライラして、なかま殺すよ?虫だって、しらない相手、殺すよ? そうしちゃうのは、かえられないほんのー。だから、人はたくさん、かんがえて方法さがす」
本能か。考えられなくなりゃあ、バカな事だって突き進んじゃうよなぁ。それに、どんなに他者の気持ちを学んでも、他者の気持ちに立つ事は、結局は出来ない。精々が慮る事ぐらいが限界で、それも考えられる余裕が無くなれば、邪魔にすらなってしまう。
「そう……だな、ティフォが正しいよ。だから、そうならないように考えて行くしかないんだろうなぁ。時代とか場合によって、考えなきゃいけない事も変わって行くしさ。世代が変われば、また常識も変わる。起きた事はショックだけど、ただそれを憎めばいいってやってたら、偏った人と同じだもんな……結局は、考え続けるしかない」
「ん、そう、だからオニイチャ。そろそろゴハン」
「ごはん関係ねぇよう。あ、でも確かに腹減ったな!」
あ、そう言えば野営をどうすっかも考えてなかった! シリルに入る直前から、霊媒師紛いな事やったり、人の偏りについて考えさせられたり。あんまり重くて、夕飯の事まで頭が回ってなかったわ。
「─── ぷっ! あはははははっ! そうだねそうだね、私たちが重く背負っても、仕方がないよね。いい考えだって、お腹空いてたら浮かばないもんね!」
「ん。それ、オニイチャはよ。きょうは塩、アブラ、アタリ強めのん」
「……食通の常連かよ」
なんか俺が専属シェフみたいになってんのが納得いかないけど、彼女の言う通りかも知れない。
「ん。でも、あの人たち、最後に救われて、よかったね」
歩き出した俺の背中に、ティフォの静かな言葉が、ポンと触れたような気がした。振り返ると、普段ジト目の彼女が、微笑みを咲かせている。
そこにいた全員が、思わず見惚れた。
笑顔を取り戻したスタルジャは、ティフォに駆け寄って抱き着き、頭を撫でたり頬ずりしたりしている。
スタルジャは俺達が言ったのもあるが、いつしか俺達三人を、様付けで呼ぶのを止めている。一緒に旅をしながら、一緒に色々話し合って考える内に、呼び方と同じく距離が縮まっていったからだろう。呼び名の変化はささやかとは言え、これも人同士の偏りを解消する、ひとつの方法だったりするのかも知れない。これもある意味レッテルの前向きな運用なのかもなと思った。
「はぁ……ティフォちゃんも、スタちゃんも仲良しで可愛くて。ぬああぁッ、ふたりの笑顔が尊いです」
ソフィアも悲劇に心揺さぶられていたからなぁ、エル・ラト教の事もあったし、じゃれ合うふたりの少女に癒されようとしている。これが神としての苦悩か……?
それを思いながら、彼女の後姿を見ていたら切なくなって、思わず頭を撫でていた。
「ソフィも可愛くて、尊い」
そう呟いたら、彼女は小刻みに震え出して、俯いてしまった。あれ? 泣いてる? 余計な事を言っちまったか……
ガバチョッ!
どうしたものかと固まっていたら、残像がチラつく程の勢いで抱き着かれ、胸元にぐりんぐりん頬擦りして来た。どうしたって離れてくれないし、ふたりは先に歩き出すし……。
仕方なく彼女をお姫様抱っこすると、ふしゅーふしゅーと興奮してはいるが、大人しくはなってくれた。
大人なのか、子供なのか、退屈しないなぁ。とか考えながら、女神を抱き上げたまま、野営出来そうな場所を探して歩き出した。
※ ※ ※
ガタンッ! ガシャ、ガラララ……ッ
猛烈な勢いで、鎧を着けた兵士が、石畳みの床を転げた。背後に吹き飛ぶ椅子と、宙をふわりと舞う膝掛け、絵に描いたように美しいこけ方。背中から倒れて、両足が天井に向けてピーンてなるのがスローモーションに見えたから不思議だ。
ここは山深い村の入口にある、シリルの国境。
あれから夕飯を済ませて、ふと麓の方を見たら、地図には無かったはずの場所に人里の灯りを見つけて移動して来た。簡素な柵の向こうに、国境警備の兵士が居眠りしているのを見つけ、声を掛けた途端にこの体を張ったリアクションだ。中々に感じ入るものがある。
金髪に碧眼、背が高く骨太、聞いていたシリル人の特徴そのもの。そのガッシリとした男が、目を見開いて小型犬のように縮こまって震えている。
「ひ、ひいっ! ま、まま、魔女か⁉︎」
一番前にいたソフィアを、指差してわななきおった。
怒るかな、斬り刻むのかな、怖いな怖いな……とそう思って彼女を覗き込むと、全く気にしていないどころか、上機嫌そのものだ。
あれから食事の用意を始めるまで、お姫様抱っこから降りようとしなかったが、降りてからはずっとこんな調子だった。つまり、話聞いてない。
「魔女? さっきそんな曰くのありそうな樹はあったが、この国には魔女がいるのか?」
「え? は? あれ……男?」
ソフィアの前に出て話し掛けると、兵士は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、困惑を極めていた。暖炉に当たって眠りこんでしまったのだろう、起き抜けの兵士の顔は赤く、未だ夢と現実の狭間にいるようだった。
「なな、なんだお前達は! 一体どこから⁉︎」
すぐ隣に剣があると言うのに、警備兵は相当慌てたのか、ほうきを構えて狼狽えている。俺は来た方を指差しながら、身分証明としてS級冒険者章を彼に見せようと懐に手を入れた。
「─── ひっ、飛び道具⁉︎」
何を勘違いしたのか、頭を抱えて床に丸まってしまった。何この人、ゲリラ戦の経験者か何かか?
混乱をきたした彼と話が出来るようになるのに、それから数分を要したのは言うまでもない。
※
「いやぁ〜! これは大変お見苦しい姿を! まさかこんな村に、外から人が来るなんて、思いもしてませんでしたから」
お前は何のための兵士なんだと、思わず突っ込みそうになるが、大人なので愛想笑いで返しておく。
今、鎧を着てなくて良かった。これで髑髏の鎧で現れたら、それこそ斬り掛られてたか、ショック死されていたかも知れない。まあ、国境とかだと、あの鎧じゃあ問題ありまくりだから着けないけどな。
兵士は緊張が解けたからか、ペラペラとよく喋る。
「ダラングスグルから、そうそう山越えする人なんていませんし、この村だって来る意味ないですからねぇ。俺なんて左遷もいいとこですよ、ほんと」
余程、今の待遇が気に食わないのか、ホント、勝手にべらべらと内情を話してくれる。本当に兵士なのかコイツはと思いつつも、情報が手に入るのは有り難いし、大した内容でも無いので問題もない。そこらの酒場でも、手に入りそうなレベルの、世間話といったところだろう。
どうやらこの検問所は、出来て五年にも満たないものらしい。隣接する村は古くからあったそうだが、地図にも載らない寒村だったのが、地方領主の褒賞に領地化されたのだとか。要は検問所としての機能も、そこに充てがわれている彼も、経験が浅いという事か。
「しっかし、S級の冒険者さん達が、何だってこんな所から入国を?」
「ちょっとした任務でな。メルキアに用事があるんだ」
帳簿に書き込みながら、兵士は『ほえ〜』と感心しつつも、それ以上詮索をしてこなかった。流石はS級章の力か、不審者どころか魔女扱いを受けていたのが、今はもうお偉いさん扱いになっている。
「あー、さっきは本当、すみませんでしたね。僧籍の貴女に対して『魔女』だなんて口走ってしまいまして……その」
「いいえ、構いませんよ。ところでその魔女の件ですけど、この辺りには魔女がいるのですか?」
世界中を飛び回るのに、僧侶の格好はかなり役に立っていたらしいが、なるほどここでもあらぬ誤解はされずに済んでいる。彼女が魔女について質問すると、兵士は少し恥ずかしそうに頰を掻きながら、目を伏せて口を開いた。
「いやぁ、ここにはもう、魔女なんていねぇんです。もう少し北の方には『西の魔女』なんてのがいるって、言い伝えはありますけどね。まあ、子供達に『早く寝ないと魔女が来るよ』なんておっ母さん方が使う程度の迷信ですよ」
そう言いながら兵士は、暖炉の薪を慣れた様子でいじり、火を見つめていた。と、何かを思い出したように、こちらへと振り返る。
「ただねぇ、この辺りの土地がちょっと……。ここらは昔、魔女狩りで捕らえられた人達が、まとめて処刑されてた土地なんすよ」
なるほど、魔女疑惑を被せた全員を、都市の教会で処刑していたら、処理も世間体も問題になる。一般の被疑者をいちいち拷問に掛ける程、人手を確保するのは骨だろうし、利用価値の無い土地で一気に片付けてしまえば良かったのだろう。
あの樹も、その名残だったか。
「まあ、こんな所に飛ばされた俺が格好つけてもしょうがねぇんで言っちまいますけど……。この国は一度、帝国にやられちまって、人も多く死んだし、打ち壊された神殿なんかもそこらにまだ残ってるんす。曰く付きの場所に送られるのは、役立たずだって相場が決まってましてね。ここにも出るって噂があるんですわ」
そう言ってソフィアを見るが、彼女はふーんという感じで反応は薄いし、ティフォは壁に飾られたハンティングトロフィーに夢中だ。
少し怖くなったのか、スタルジャだけは俺の腕にそっとくっついた。それを見て、何故かさっきまで関心ゼロだったソフィアまで、真似をしてくっついて来る。さっきのお姫様抱っこで満足したんじゃないのか……。
「なるほどな。まあ、アンデッド化してなければ、通常の霊体なんかより生きてる者の方が強い。三百年以上も経って思念が薄れてから、今更アンデッド化も無いだろうし、気にしないこった。
……ところで、この先は村なんだろ? こんな時間で済まないが、泊まれそうな場所はあるか?」
そう言うと、兵士は仮眠している同僚を起こし、村へ使いに走らせてくれた。こちらは野営する事もできるから、特に構わないでいいと言っても、兵士は慌てて半ば強引にそうした。領主はともかく、領地化して間もないこの地の村長はやる気らしく、普段から何かしら村の変化に敏感なのだとか。
外国人の冒険者、それもS級複数となると、大事になるだろうと思っての事だそうだ。それからすぐに村長が訪れ、慇懃な挨拶を受けた後、すぐに領主へ取り次いでくれた。
うーん、ここまで一生懸命にしてもらえるのは、少し気が引けちゃうなぁ。ともあれ、俺達は村長の取り計らいで、領主の屋敷へと招待される事となった。
※ ※ ※
シリル南端の村フォンアリア、シリル伝統の木組み建築の家が点々と並ぶ、小さな村だ。
検問所から見た風景では、建物と建物の間隔が広く、どうにも活気は感じられなかったのだが、いざその中を歩いてみて驚いた。
シリルは森林が多く、建築も木材を多用したものが多いと聞くが、この村の建築は古くからの伝統を守り継いでいるという。木材ひとつひとつの個性を活かし、柱や桁が自由かつ重厚に組み合わされ、外側からそれらが見えている。木材の間の壁は、様々に着彩された塗り壁になっていて、ひとつとして同じ外観の建物は無かった。
それぞれの家で独自の装飾や、塗装がされていて、煌びやかだが騒がしさも感じさせない、落ち着いた雰囲気がある。暗い中でも目を惹く、鮮やかな塗装で構成された家々の美しさに、思わず感心してしまった。
伝統が息づいている土地、ならではの情緒だ。
領主の屋敷も、それらの伝統にならっていて、最近建てられたものだとは思えない風格があった。と言うか、お屋敷クソ可愛いな。
さぞかし立派な主人がいるのだろうと思ってみれば、領主は思いの外に、若く人当たりの良さそうな好青年だった。
クアラン・エデルバイン。
王族に代々仕える、学者の家系にあたる彼は、独自の歴史研究の功績を納め、若くしてこの地域を拝領した子爵だそうだ。漢気溢れる大男が多く、産まれながらに軍人気質を持つ国だと聞いていたが、検問所の兵士とクアラン子爵のお陰で払拭されてしまった。
薄っすらと紫のさしたように見える白髪に、すみれ色の瞳。
肌は三十目前の男とは思えない程に、白く透明感があり、繊細な雰囲気がある。古き王家家臣の伝統だと言う、長い三つ編みがまた、可憐な少女を思わせる不思議な男だった。
「お初お目に掛かる。俺はバグナスの冒険者アルフォンス・ゴールマイン。夜分遅くにも関わらず、お招きいただきありがたい」
「いやぁ、はじめまして。僕はここの領主、クアラン・エデルバインです」
そう言って、子爵は丁寧にお辞儀をした。あれ、なんか立場が逆っぽいな。もうちょっと丁寧な口調にした方が良かったか?
「よくぞおいで下さいました、お食事は済まされていたとの事ですので、簡単に摘める物をご用意しました。どうかお寛ぎ下さい。ところでそちらのお方は?」
そう言うと、やや訝しげな表情で、ソフィアの方をチラリと見た。大抵は何処へ行っても、好意的な視線を向けられるはずの彼女が、男からのこういう反応は珍しい。
「お初お目に掛かりますクアラン卿、私もバグナスの冒険者で、名はソフィアと申します。お招き頂き光栄です」
「バグナスの……ソフィア……! し、失礼ですが、貴女はもしや『裁きの斬姫ソフィア』ですか⁉︎」
ソフィアは『人は勝手にそう呼びますが』と、苦笑して頷いた。前々から思ってたけど、ソフィアっていくつ異名を持ってんだ? どれも物騒なのばっかだけど、ソロ時代どんだけ猛威を奮っていたんだか……。
ただ、ソフィアの名を聞いた瞬間から、子爵の訝しげな感じが消えて、単純に彼女への驚きの顔に変わっていた。
「大変失礼しました。ご高名な貴女とは知らずに、不躾な態度を取った事、お許しください」
「いいえ。お気になさらないで下さい。それに、貴方が不審に思ったのは、この僧服でしょう?」
クアランは瞠目し、感嘆の声を漏らした。
「流石ですね。一体なぜ、そう思ったのかお聞きしても……?」
「まずはこの服は、どこにでもありそうな僧服ですが、エル・ラトの物ではありません。そこに訝しげな眼を、向けておられましたが、私が名乗った途端に、その色が消えました。私が僧服でありながら、何処の宗教にも属さない事は、有名ですからね」
ソフィアはくすりと笑い、暖炉の上に飾られた、ラミリア信仰の祭具を指差して続けた。
「それに卿もエル・ラト教を信仰しているように見せて、そうではありませんね? 祭具の配置はもちろん、他の調度品と比べての品質の差が低すぎる。何よりあそこには、念が込められておりません。信仰がおありでないならば、他の信者への目に向けたものでしょうが、それでも敬虔な振りをするならば、もっとそれらしくするでしょう。
失礼ですが、エル・ラト教に対する反意が、見え隠れしておいでです」
すらすらと、微笑みを浮かべながら、彼女はそう言い切った。全くエル・ラト教に興味の無い俺には、祭具の事なんか分からない。でも、信じてるフリするにも、嫌々かどうかは、出て来ちゃうものかも知れないなぁ。いや、それとも彼の心を読んだのか?
にわかに顔色を悪くした、クアランの額には、汗が滲み出ている。ソフィアの勘違いだったとしたら、この反応はないな。図星か。
「ああ、誤解なさらないで下さい。私はエル・ラトの信者でも無ければ、特定の神を崇める者でもありません。むしろ、卿と同じく、エル・ラト教には疑問を持っていますのでご安心ください」
「…………何故です? 何故、貴女はエル・ラト教に疑問をお感じなのでしょう。世界で最も大きな宗派ですよ?
それに貴女が今仰られた言葉は、あくまでも貴女の主観 ─── 」
ソフィアが人差し指を立てると、その周りに光の精霊が数体、愉しげに回り出した。
「うわ……っ」
その光景に目を奪われていた、クアランの足元からは、土の精霊が現れて、同じように彼の足元を回り出す。
「シリルの前身、かつて慈母神セラフィナを崇めた、ウィリンエデル王国。その王家の血筋に、学問の道を求め、王位を捨てた一族があったと言います。
─── エデルバイン家。精霊を愛し、精霊に愛されたすみれ色の瞳を持つ者達」
クアランは震える手で、精霊に手を伸ばし、飛び回る小さな光に目を奪われていた。それに戯れるように、地の精霊はくるくると飛び回り、彼の手に集まっている。
「……そう……その通り……。流石はS級冒険者ですね。確かな情報をお持ちだ。そして、教団に対しても仰られる通り、私は彼らを認めてなどいない。私はクアラン・エデルバイン。ウィリンエデル王家の護り手、妖精王の子孫なのですよ」
そう言って寂しげに微笑む彼は、今にも消えてしまいそうな、儚い妖精の如き浮世の雰囲気があった。