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Episode

禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~

第八章 アルカメリア冒険者ギルド本部

第十八話 魔王

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月の極大化現象『ネイの福音』。その最大がおとずれた夜。
セオドアとアースラは己にかけられていた術を解き、
一体の怪物へと成る。

最強の魔公将プラグマゥ。

その美しい姿とは裏腹に、
アルフォンスは身体の奥底から湧き上がる恐怖を感じていた。

 草原を覆う膨大な魔力が、光の透過を阻害して、巨大な満月を微かに滲ませる。その揺らめきは、震え泣いているようにも、歓喜に打ち震えているようにも見えた。上空と大地との狭間に生じた圧の差が、大気に結露を呼んだのだろうか、滲んだ月の周囲に紅い光の輪が浮かび上がる。

─── 凶兆

 古来より、月に紅い光環が生ずる現象を『血月暈けつげつうん』と呼び、マールダーでは忌み嫌われて来た。単に、大気にかかる薄い霧状の雲が起こす、プリズム現象に他ならないが、数日内に天候が荒れる予兆でもある。しかし、得てしてそんな天候の折りに、天地を返すような動乱は起こるものであり、転じていつしか力を持つ者が禁忌とするようにもなったのだ。
 ……奇しくも、遥か遠き日にこの地で起きた、一国の崩壊にも現れた事から『王殺しのしるし』として恐れられている。

 その血月暈の下に対峙する、ふたつの影があった朝の陽光を集めたような、白く輝く髪を膝まで垂らし、微笑むその両眼に輝く紅い瞳。簡素なローブのような、白い衣にも染み一点無く、天人の如き幽玄とした佇まい。最強の魔公将プラグマゥ。

 対するは、闇を集めたような漆黒の髑髏どくろ。全身から発するドス黒い魔力は、周囲の悪霊を寄せ集め、青白い鬼火を漂わせている。頭上にいただいたいばらの冠は、冥府の覇者の威厳すら讃えるように、見る者の魂を根底からおびやかす。人界の適合者にして、魔王の血を継ぐ男、アルフォンス・ゴールマイン。

「ああ……。この時をどれほど待ち侘びた事か……」

 目に涙すら湛え、プラグマゥは歓喜に胸を震わせて、アルフォンスに微笑みかける。慈母の如き柔らかな眼、中性的で欠点が何ひとつ見当たらぬ、美しい顔を持つ青年。そうとだけ口にすれば、何ら脅威を感じられない。しかし、弱き者が一度それを目にすれば、臓腑ぞうふの奥底から沸き起こる、言い表しようのない恐怖に打ち震えているだろう。種として、力も知性も遥かに上回る生物を前に、本能が全力で危機感を訴える。

 だが、アルフォンスはそんなプラグマゥに近づき、手を差し伸べる。プラグマゥはひざまずき、両手で包むように、漆黒の手にすがった。

「セオドアとアースラだとはいえ。一応、初めまして、だな」
「フフフ。そう言う律儀な所も、大好きですよボクは」
「んん……セオドアが言ってるって思うと、何だか背中が痒いが」
「あははっ、ボクはセオドアとアースラであって、どちらでもありませんよ? 男であり、女であり、そのどちらでもない。全ては貴方の思うままです」

 そう言って見上げるプラグマゥの視線に、髑髏どくろの顔がやや戸惑い気味に震えた。

「そ、その言い方は、問題が無いか⁉︎ それに、俺はお前ともし主従関係に至ろうとも、お前の思うように生きて欲しい。それが俺の『思うまま』だ」
「ああ、やっぱり貴方は、貴方様こそが、ボクの魔王さまたるべきお方です! だから、貴方様のお求めになる姿形になりたいと願うのは必然であり、幸福です」
「や、やりづれえ……」

 ちらりとプラグマゥは、離れて見守っているソフィア達に目を向けしばし考えた後、アルフォンスに向き直ってニコリと微笑んだ。

「うん、それがいい。そうすれば、主従関係が更に深いものになる! さあ、父様! 早速殺し合いましょう!」
「今、何を打算した⁉︎」
「え? だってもう五人もいるのだから、六人になったって、それ程変わらないでしょう?
あそこに加われば、ボクは身も心も─── 」
「バカ言え。おい、バカを言えバカ」

 プラグマゥは『ひっどーい♪』と、手を叩いて笑っている。その笑顔の美しさに、アルフォンスは色々と概念が崩れそうな不安を覚え、思わず頭を振っていた。

「フフフ。全く脈無しってわけではないようですね。まあ、たわむれはこれくらいにしておいて」
「戯が過ぎると、掻っ捌いてセオドアとアースラに戻すぞ……」
「辛辣だなぁ〜♪ 我が君は。……さあ、ボクを解き放って下さい」

 立ち上がったプラグマゥは、そう言って笑顔のまま数歩後ろへ退がる。アルフォンスもまた、それを見届けた後、深く静かに呼吸を整えた。
 再び、草原に漂うふたりの魔力が膨れ上がり、さざ波のように緑の海原が揺れる。プラグマゥの四肢に、紅い魔法陣が浮かび上がると、全身から黄金色の魔力が揺らめいて立ち昇った。対してアルフォンスは大きく脚を開き、夜切を肩に担ぐように構え、身を低く保つ。

 ふたりの闘気が渦を巻き、干渉し合う様が、押し倒される草の形で浮き彫りになる。そうして静かに、月下の死合いの火蓋は切られた。

 ※ 

 呪物の鎧に、極限まで強化された腹筋が、ミシリミシリと唸りを上げる。岩盤を蹴り割らんとする踏込みを、ただ前に進み、愚直な剣の一振りに注ぎ込んだ。人の知覚など遥かに及ばぬ、神速の打ち込みが、涼やかに微笑むプラグマゥの肩口へと吸い込まれる。

 ギャリィィ……ン!

 紅い魔法陣を手首に透かせたプラグマゥの手刀が、渾身の死閃を難無く払い、空に火花を散らす。直後、それを遥かに凌駕する速度で回転し、繰り出されたプラグマゥの肘が、アルフォンスの腕をかち上げた。前のめりの重心、必殺の一手を読まれたアルフォンスは、その衝撃で上体をふわりと持ち上げられる。

 ドウンッ!

 その一刹那せつな空隙くうげきを縫い、舞うように回転したプラグマゥは、掌底をアルフォンスの腹部へと突き込む 。

「ぐッ⁉︎  ─── がはぁッ‼︎」

 全体重を一瞬の衝撃に乗せた掌の一撃。漆黒の鎧を纏うアルフォンスの大きな体が吹き飛び、草叢くさむらを掻き分けるように滑って転がる。その様を見て、当のプラグマゥは、驚きに目を丸くしていた。

「流石です。確実に内蔵のみを破壊する一撃だったはずですが、その衝撃を吹き飛ぶベクトルに変えるとは」
「ガハッ! ハァ……ハァ……ぐっ、心配すんな、ちゃんと内臓もイッてるぜ? 大したもんだ」

 憎まれ口を叩くアルフォンスだが、それは心の余裕からではない。発声する事で呼吸を整え、少しでも魔力を自動回復へと集中させるための足掻きである。
 握り固められた拳での一撃は、点の破壊力を生むが、掌での一撃は深部へとダメージを伝える。瞬間的に腹部をひねり、掌底が伸び切る直前に当てさせる事で、アルフォンスは内にこもる衝撃の質を変える事で、即死を逃れていた。プラグマゥはそれに気づいてか、ニコリと微笑み、闘気に服をたなびかせて静かに構える。

(やっべぇ! 全く勝てる気がしない)

 闘いにはいくつかの勝筋というものがある。力の差、速度の差、技量の差、闘いの組立て方に、気迫の差。それらが戦術的に噛み合って、有効な結果を積み上げ、勝利へと状況を変える。

 開戦早々、アルフォンスは、己の技が面白いようにいなされる事に愕然としていた。単純に『剛』の面では、アルフォンスとプラグマゥに、それ程大きな差は開いていない。それだけでも、人であれば驚愕に値する事であろう。だが『賢』の部分に、圧倒的な差が開かれてしまっているのを、アルフォンスは痛い程に感じていた。

  闘いの技術、物理的な現象の理解、それらの知識から弾き出される、冷静かつ残酷なまでの正確な一手。

 十年に及ぶ里での特訓は、アルフォンスに各部門に於いて、仙人の如き技術と経験を授けた。しかし、賢剛王の魂には、途方も無い闘いの記憶が刻み込まれている。それは表面的な記憶ではなく、闘いの呼吸に通じる動作の抽斗ひきだし

 如何に魔術で強化しようとも、人型の存在であり、武器の物理的な殺傷範囲がある以上は、何処かに法則性と限界があるものだ。賢剛王はその知識と経験を、更に魔力で知覚と思考力を底上げする事で、強大なアドバンテージを築き上げている。

「─── 【氷刃レウ・ラフェン】ッ‼︎」

 瞬時にアルフォンスの前に、無数の氷の刃が浮かび、爆発的な速度で射出される。それらが迫る中、プラグマゥは人差し指で何かをなぞるように宙に躍らせ、氷の刃の進行をピタリと止めた。

「─── 【書換アリスグリフ岩槍タス・ランケ】」

 術式の書換え。瞬時にして主導権を奪われた氷の魔術が冷気を噴き上げ、石の刃へと置き換えられると、アルフォンスへと襲い掛かった。

 剣で挑めば、魔力に硬化した四肢で防がれ、魔術で挑めば瞬時に書き換えられる。高度な魔術戦は、術式の運用技術が大きな鍵となるが、その点に於いてもアルフォンスの部が悪い。そもそも魔公将は精霊に近く、魔力と関わりの強い存在であり、魔力による現象操作は彼らにとっての営みのようなものだ。そのプラグマゥに単発の魔術を仕掛ければ、逆にやり返されるのは当然なものである。
 だが、氷の刃を発動してすぐに踏み込んでいたアルフォンスは、視線で石の刃の術式をなぞった。

「─── 【書換アリスグリフ熱波トン・グレース】ッ!」
「…………ッ⁉︎」

 上空に発せられた冷気と湿度。突如、石の刃が姿を消し、地に向かって吹き下すように、熱風が巻き起こる。直後、鈍い音と共に、濃霧が出現して辺りを飲み込んだ。視界を奪われ、一瞬だけ棒立ちになるプラグマゥの背後から、青白い妖刀が霧をいて振り下ろされた 。

 ガギィ……ン!

 振り向きざまに、両腕をクロスさせて受けたプラグマゥを、刃の根元で押込むように吹き飛ばす。空中で開いたその体に、アルフォンスは全身全霊の剣技を放つ。

「─── 【斬る】ッ‼︎」

 アルフォンスの姿がブレた直後、不可視の斬撃の五月雨さみだれが、プラグマゥの防御結界を砕く。白い服の破片を散らし、その体が大きく弧を描いて宙を舞った。

「……くっ、浅いッ!」

 苦しげにアルフォンスがこぼした瞬間、プラグマゥは空を蹴って、瞬時に間合いを詰める。即座に反応して、横ぎの一閃で迎撃するも、更に加速したプラグマゥの腕で刀の根元を抑えられた。その視界の下から、プラグマゥの神速の掌底がアルフォンスへと襲い掛かる 。

「っらあッ‼︎」

 避ける事を諦めたアルフォンスは、むしろ夜切を握る腕に力を込め、プラグマゥを押し込んで掌底のコースをずらす。腕が振り上げられた瞬間、その体の捻れを起爆に、膝蹴りが迫る。アルフォンスの手から夜切が離れると、瞬時に両手に白いシルエットが現れ、プラグマゥの膝を受け止めた。

 ククリの双剣、明鴉あけがらす宵鴉よいがらす。その小さくも肉厚な刃が、アルフォンスの手の中で、歓喜の風切り音を上げて乱舞する。プラグマゥはその武器の変化に、やや重心を後ろに下げて構え、破壊力重視の体捌きから速度と対応力重視の戦いへと切り替えた。

 草原に鳴り響く、高速の斬撃音。

 拳をいなして斬りつければ、蹴りがあご先をかすめ、その脚を刺しに行けば、返すかかとが頭部を狙う。両手に握る双剣、肘、裏肘、膝、足刀、背足、底足、踵……時に肩での当身、そして関節技、投げ。猛獣の如く荒々しく、そして、真剣の刃を渡るが如く静かに研ぎ澄まされた、殺意と殺意の応酬。

 アルフォンスは剣技を好むが、その実、何れかが優れ劣ると言う事はない。戦闘技術とは、ひとつを極めれば、他の技術の真理をも掴みやすくなり、相対的に全ての技術に還元されていくものである。だからこそ、彼は今対峙している魔公将の、底知れぬ強さに背筋を冷やしていた。

 プラグマゥの体術は、単にそれのみの技術ではない。極端に言えば、魔術を極めた術者同士の戦いは、距離も速度も関係が無くなり、むしろ強化した肉体による白兵戦に辿り着く傾向にある。近く、無駄なく、確実に殺す技術の結集。プラグマゥには、あらゆる戦いの記憶が刷り込まれ、その真理を運用しているのだとアルフォンスは深く再認識させられていた。

(『解放してやる』という想いに囚われ過ぎた……。相手は魔公将、魔王最強の配下にして、最強の魔族じゃないか! 小手先の技量なんて通用しない、頭を冴えさせろ、そして……頭に頼るな!)

 とうにアルフォンスの視界から色は失われ、音も消え去り、ただ己の鼓動と呼吸音のみが頭の中に流れている。その感覚は、かつて軍神ダーグゼインとの修練の中で、初めて師の膝を地につけさせた時の、静まり返った境地だとぼんやり思い返していた。

(分かる。プラグマゥの呼吸が、筋肉に走る電気の命令が見える)

 このストレートをいなす、そうしたら、こいつは手刀で鎖骨を叩き折りに来る。暴風のような猛攻の中、アルフォンスの心理状態は、台風の目の如く静まり返っていた。

 思考するのではなく、分かる 。
 それは曲を楽しんでいる時に、次の小節の展開を欲するように、極自然に湧いて来る。命を奪い合うという血なま臭く、狂気じみたやり取りの中に、それは自然と二人を突き動かしていた。

 プラグマゥの拳が、あご先を捻り込まんと突き出された瞬間、彼は湧いて出た理解に従ってそれをククリ刀でいなす。その流れた腕の動きが、腰の回転に繋がり、反対の腕が持ち上がる。

 鎖骨割り。視界の上から打ち下ろされる、コンパクトな手刀での打ち下ろし。腕、胸、肩、背中へと動きを連結させる鎖骨は、重要な役割を担う反面、強度が低く折れやすい。この部位を損傷すれば、肩から下の動きを失い、上体の運動を大きく阻害される。アルフォンスが身につけているのは、特殊魔鋼製の全身鎧、もちろん鎖骨周りもカバーされている。

 だが、彼は知っている。今闘っている魔公将は、鎧の性能を凌駕する力と技術を持った、常識外の存在だと。

 ドゴォ……ッ‼︎

 手刀が振り下ろされるより速く、アルフォンスはプラグマゥの肩を掴み、膝で鳩尾みぞおちを突き上げていた。

「…………グッ! ぅ……がッ⁉︎」

 初めて賢剛王の口から、苦痛の声が漏れた。掴んでいた肩を突き飛ばし、強引に間合いを作り出したその腕には、白いシルエットと共に魔斧ケーリュニヴルが紅い光を放って現れる。魔斧の狂気がアルフォンスの生命力をごっそりと奪い、替わりに強烈な破壊衝動と、人体の耐久力を無視した力が流れ込む。

「っぁああああぁぁぁぁッ‼︎」

 体勢を立て直し、踏み込み掛けていたプラグマゥは、その異様な力の高まりに脚を留める。斧の殺傷圏内限界で構え、アルフォンスの攻撃に即対応出来る体勢を整えた。それに気づかぬのか、アルフォンスは魔斧を振り上げ、渾身の力で振り下ろす。すでにプラグマゥは、振り下ろされる斧のコースを見切り、カウンターを放たんと神速の足運びに踏み切った 。

 ズバンッ、ズバババ……ッ

 白く長いシルエットが、プラグマゥを捕らえ、更に五条の斬撃で追い打ちを掛けた。その距離は斧の殺傷圏外、振り下ろされたのは魔槍フォスミレブロ。胸元五ヶ所を大きく窪ませて、プラグマゥは地面に打ち付けられると、その衝撃で引き千切れた草が舞い上がる。

 魔斧に引き出された、極限を超えた膂力りょりょく。その最高潮にある時、アルフォンスは瞬時に魔槍へと持ち替えていたのである。だが、同時にアルフォンスの両腕、その骨が反動に耐え切れず、砕ける鈍い音が轟音の中に響いた。もうもうと上がる土煙りの中、アルフォンスは両膝をつき、苦痛に顔を歪めながらも安堵の息を吐く。

「く……っ、手応えは……あった……」

 回復魔術を己に掛け、体力は取り戻すも、大きく消耗した気力は目眩を呼ぶ。魔槍を杖にフラつく体を起こすと、バラバラと今なお土埃の降る、抉れた大地を覗き込んだ。

─── 主様まだ気を抜くなッ、奴は後ろ……

 魔槍の声が脳裏に響き、槍に誘われるまま振り返ろうとした刹那、アルフォンスの兜が、血飛沫と共に宙を舞った 。

 ※ 

─── ガッ!

「止めないでソフィ! あたしがアル様を……」

 飛び出そうとしたエリンの腕を、ソフィアの手が掴んでいた。うつむいたソフィアの目元は、白金の前髪に隠れ、その表情はうかがえない。

「私たちは……見るだけ。アルくんを信じ、彼の成すことを見守る。……それが、彼との約束です。
─── 破ると言うのなら、例え貴女でも、私は全力で止めますッ!」
「で……でも! …………あっ」

 だが、その掴む手の力強さに、エリンは彼女の想いの強さを感じ取って立ち止まった。そして、ソフィア自身が、今一番苦しんでいるのだと、その震えから理解してしまった。エリンはソフィアの手に手を重ね、彼女を抱き寄せるようにして隣に並び直す。

「ありがとう……ソフィ。あたし、婚約者を信じられない、バカ女になるとこだった」
「いえ、こちらこそ、ありがとう。エリンちゃんのお陰で、少し冷静になれました……」

 そう言って、ふたりは再び視線を前に向けた。
 愛する者の闘いを最後まで見守る為に。

 ※ 

「…………くっ……あ……」

 鮮血のほとばしる頭を持ち上げて、アルフォンスはよろめきながら立ち上がった。顔の左側、目の下からこめかみに掛けて、深い二本の傷が大きく口を開いている。意識は薄く、己の鼓動にすら体を震わせて、今にも崩れ落ちそうな状態だった。
 彼が立ち上がるのを見届け、プラグマゥは静かに口を開く 。

「悟り、境地、領域 。数多の英雄達が辿り着いた高みを、わずか二十年の齢にして達するとは、貴方は本当に末恐ろしいお方です。まだ貴方は『クヌルギアの鍵』をただ半分得ているだけだというのに……」

 透き通った声が、この惨状と相まって、痛烈な恐怖心すら煽る。アルフォンスはそれを聞いているのか否か、目を閉じてうつむいたまま、深く肩で呼吸をしていた。プラグマゥはその様子に、そっと目を閉じ、哀しげな表情で続ける。

「おそらく、貴方以上の存在は、これまでの適合者の中にもいなかったでしょう。ただ、貴方は人として長く過ごし過ぎた……。人ではボクを殺せません」

 そう言って、プラグマゥは自分の手を見つめ、二〜三回、確かめるように握っては開いた。

「さっきのは……斬撃。最初……から、剣を受ける……おまえの……手足……は、鋼の音……が…………して……い……た」
「はい。魔公将は魔力から生まれた存在、魔術で現象を操るように、拳の生む衝撃を細く鋭く刃物のように置き換えるくらいは造作もありません」

 プラグマゥは本気など、全く出してはいなかった。最初から決めようと思えば、いつだってアルフォンスの命を刈り取るのは、彼にとって簡単な事だったのかも知れない。その事実が、アルフォンスの胸に大きな闇を落とす。

「ボク程度を倒せなければ、貴方は魔王になる事も叶わない。それは、この世の終わりを意味します。ハンネスなどに、貴方を殺させたくはない。殺すなら……このボクが……」

 ドクン……ッ

 再びアルフォンスの世界から音が消えた。すでに閉じられていた目の中を、更に深い闇が覆い始める。

 死 。いや、その闇の世界にアルフォンスは覚えがあった。それはそう遠い過去では無く、彼にとってそれ程重要な記憶でも無かった。

─── 鬼族の里、豊作を祈願する祭りの最中、ひょんな事から試した妖術

 妖術は己の内に作り出した神格に語り掛け、己に降ろす鬼族独自の魔術系統。その己の内に巣食う神格に語り掛けるプロセスで、彼はその闇を経験していた。自分の中にいる、巨大な闇の存在を。

「─── ⁉︎ (魔力の質が変わった……?)」
「「ハン……ネス……。それは……ぼくが……コロスんだよ……?」」

 アルフォンスの声に、抑揚の無い子供の声が被さっていた。プラグマゥはその変化に、身動きを取る事すら出来ぬ程、自失して立ち尽くした。その変化とは声だけでは無い。急激に溢れ出した禍々しい魔力でも無い。

  アルフォンスの中から迫り来る、己よりも遥か上位の存在の気配。プラグマゥは腹の底から沸き起こる震えを、堪える事すらせず、ただただ凍りつく胸の締め付けるまま間抜けな声を漏らしていた。

「あ……ああ……貴方様は…………!」

 プラグマゥの声に、アルフォンスは目を閉じたままピクリと反応し、ゆっくりと前に突き出した腕を横に振った。

 ボトッ

「え……? あ、う、うあ……ぐああああッ!」

 唐突にプラグマゥの腕が引き千切れ、鈍い音を立てて転がると、草原の一部を朱に染め上げた。魔力までもが放出され、痛覚をコントロールする事も出来ず、絶叫を上げてうずくまる。その血飛沫がアルフォンスの頰に降り掛かり、唇に流れ込んだ。

 ズオ……ッ ズズズズ……

 長大な紫水晶の角が伸び、闇が背景から溶け込むように、顔の輪郭に漆黒の染みが滲み出す。草原が闇に覆われ、月の明かりすら呑み込まれ、ただただ漆黒の世界へと染め上げられた。ゆっくりと開かれる両眼の、血のような紅い光だけがふたつ、煌々と浮かんだ

「ハ……ハハ……ハーハハハハハハハ‼︎」
『あはっ、きゃははははははははは‼︎』

 歪んだ嗤笑ししょうと、無邪気な童の如き済んだ嗤声わらいごえが重なり、闇に渦巻く。その中にボゥっと赤熱した両手が浮かび上がると、無数の紅い光の渦が闇夜に現れ、妖しく揺らめき出した。その明かりに照らし出される、邪神の如きシルエット、そして恐怖に呼吸すら忘れたプラグマゥの見開かれた眼。浮かび上がる両眼の光が細められ、切り裂くような殺意が溢れ出す。
 ……と、その時、闇を突き刺す、凛とした声が響いた。

─── オニイチャ、人は食べちゃダメだよ……?

 間延びしつつも、確かに響いたその声の存在感に、怪物は手の平で顔を覆った。ワナワナと震え、肩で呼吸をしながら、呻くように呟く。

「プラグ……マゥ……逃げろ……!」

 あの童の声は被さっていない、アルフォンスの声が確かにそこにあった 。凍りついていたプラグマゥは、その声にピクリと動き、美しく可憐に微笑んだ。

「父様……ずっとこの時を待っていました。その力こそが……。いえ、その力で……
─── ボクを殺して……下さい!」

 煌々こうこうと輝いていた両眼の片方が、フッと光を失い、戸惑うようにプラグマゥを見る。その力強くも憂いのある瞳に、プラグマゥは深く静かにうなずいた。アルフォンスは苦しげに目をつぶり、やがて深く溜息をつくと、真っ直ぐにプラグマゥを見つめ、片手を大きく上に掲げる。

 直後、頭上から昼の太陽のような光が射す。光の神ラミリアの加護、今持てる最大限の破壊の力を、呼び起こした 。

「─── 【光在れ】……!」

 ※ ※ ※

「神獣さまは落ち着かれたか?」
「ああ、ようやくお眠りになられたよ。しかし、神獣さまがあんな少女の化身だったとは。未だに戸惑うな」

 風の境界フィナゥ・グイ族長の屋敷の前で、ふたりのエルフが見張り交代の連絡がてら、月を見上げて話をしていた。森の外からやって来た人間は、自分を予言の魔王である事は否定したものの、呪いに蝕まれた神獣を確かに救ってみせた。彼は皆の礼を聞くのも早々に、再び風穴へと向かい、旅立ってしまったのだ。

「絶対、あの人が漢そう・・だと思ってたんだがなぁ」
「ああ。でも、彼が魔王だとするなら、人界から現れるはずが無い。魔力は遥かに人間離れはしてたけどな」

 里の瘴気は完全に晴れ、今は神獣の張る強力な呪力の壁と、アルフォンスの作り上げた聖域に守られている。これなら人間族に攻め込まれる心配も無ければ、風の境界フィナゥ・グイの民の力も徐々に回復して行く事だろう。

「満月か。道理で魔力が騒ぐと思ったら、今日は『ネイの祝福』の一番厚い夜だったか?」
「ああ。色々と起こり過ぎて忘れていたな。相変わらずこの月は、時間を忘れて見上げてしまう」

 頭上を覆う巨大な月の姿に、ふたりのエルフはしばし言葉も無く、吸い込まれるような面持ちで見惚れていた。

 ガチャッ!

 突然、族長宅の扉が開き、族長のハロークが慌てて飛び出すと、柵に手をついて月を見上げた。

「ど、どうしました族長?」
「───しずかにッ、お前達は感じぬのか?」

 そう言ってハロークは、里の北に見える、一際大きな岩山の方を指差した。首を傾げていたふたりのエルフが、ピクリと耳を動かした時、里中のエルフ達が族長と同じく外に飛び出して北の空を見上げる。煌々と輝く月の脇に、青と赤の一等星が微かに揺らめいて、その存在を謡っているかに見えた。

─── ファニルと二ブルの星が並ぶ時、ファルブ山に光登り、むくろの魔王が風をもたらす

 誰かがアマーリエの予言を口にすると、息を飲む音が相次いで上がる。

「あの巨大な魔力は何だ……? あの人間のものか?」
「……あ、あんな禍々しくて、常軌を逸した膨大な魔力、人間なんかが出せてたまるか!悪魔か、邪神か、いや……そのものじゃないか!」

 『魔王』その言葉に皆が振り返った瞬間だった。昼の太陽を思わせる、巨大な光球がファルブ山の上空に現れ、ゆっくりと山の向こう側へと降下して行く。

 直後、閃光によって白く平坦な世界へと、視界全てが塗り上げられた。

 眼をくらませたエルフ達の、呻きにも似た悲鳴が上がると、足元から突き上げるような地響きが起こる。空が絶叫するかの如く、上空そのものが大きくたわみ、猛烈な光の柱が天を焦がした。

「ふ、伏せろォッ! 衝撃が来るぞ! 近くの者は樹にしがみつけッ! 吹き飛ばされるぞッ‼︎」

 ハロークの叫び声に、騒然となるエルフ達の声が掻き消され、ファルブ山の向こうから衝撃波が同心円上に発せられた。爆音、轟音、音などと言う領域を遥かに逸脱したそれは、世界を揺るがす破壊の衝撃でしかなかった。
 森を覆う結界が、青白く輝き、放電すら起こす。それが複数回繰り返された後、衝撃波が揺るがす音が、遥か遠くに去って行くのを彼らは聞いた。

 ……やがて状況が落ち着くと共に、そこに居た誰もがそれを理解していた。

─── 魔王があの中心に、現れたのだと

 エルフ達は誰が言い出すでもなく、慌てふためいて出発の準備を始める。約束の主を迎えに行くために。

作者のつぶやき

アルフォンスの渾身のガチバトル。
しかし、未だ勇者でもなく、
魔王の資格は『クヌルギアの鍵』の半分だけ。

最後の一撃は、
戦況をひっくり返した、
彼の中に存在する『何か』を抑え、
自らが加護を受けたラミリアの奇跡。

自分が仕留めるという、
ギリギリの意地。

それが『アマーリエの予言』の風景を形作ってしまうという皮肉。
ここまでが運命の筋書きだったとすれば、
アマーリエにはこの先、
何が見えていたのか。

ここで物語は半分という辺りになります。

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