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禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~
第七章 キュルキセル地方
第十六話 ワールドワイド
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ケファンの森最奥『方星宮』で、
父と対面を果たしたアルフォンス。
父オリアルの記憶映像を閲覧し、
三百年前の聖魔戦争の真実と、
クヌルギアス一族に起きた悲劇を知った。
勇者ハンネスの狙いは、
魔王を継承し、
膨大な力を利用して世界の半分を破壊すること。
そうして『天界の門』を開くことだと分かるも、
その目的の真意は掴めていない。
義父であり剣聖のイングヴェイにより、
姉イロリナ達は時を止める封印で守られ、
聖剣ケイウェルクスは隠された。
幼きアルフォンスにかけられた呪術は、
三百年の封印により、
その呪力を失った。
未だ5歳くらいまでの記憶を取り戻せないまま、
それでもアルフォンスは家族の風景を目にし、
そして父と義父の意思を受け止め、
魔界を取り戻す決意をする。
その意思に感銘を受けた父オリアルだが、
続けてアルフォンスに命じたのは、
己と母エルヴィラの殺害だった───。
テラスの外は、延々と続く闇と、血管のように張り巡らされたマナの気脈が朧げに光る世界が広がっている。この方星宮は地下に存在しているが、現実の土の中と言うよりは、違う次元に存在しているのだろう。土の中の閉鎖的な世界ではなく、普段気にもしていない地下世界の、地上より遥かに広大な世界。それはどこか、自分の存在の小ささを感じさせて、孤独にも似た寂しささえ感じる。
─── 両親を殺せ
まさか自分の実の父親に、そう言われるとは思わなかった。父親からクヌルギアの鍵を受け取るため、ってのは百万歩譲っていいとしよう。母さんを殺すってのは、どうにも納得がいかない。理由は明日、母さん本人に会いながら、話す事になった。
今日は余りにも、色々知り過ぎた。一晩で気持ちが落ち着くかと言えば、まあ無いだろうけど、落ち込んでるわけでもない。やっぱり何処か実感は湧かない所もあるが、それ以上に使命感と言っていいのか、仄かだが確実に突き動かされる何かが心の底に出来上がった。……これが、家族への想いってやつなんだろうか?
頭の中を、何かが思いついては流れ、また何かが浮かぶ。眠れずにテラスに出て、この地下世界の幻想的な風景の下、ひとり物思いに耽っていた。そうして、塔の外周を歩いていたら、片隅に人影を見つけた。
そうか、はっきりさせなきゃいけない事、もうひとつあったな。
「よう、ソフィ」
「……アルくん。……落ち着きました?」
チラリと、ソフィアの視線が俺の角に向いた。これもあるけど、まあ、彼女が聞いてるのは、角の事だけじゃないよな。角に意識を向けると、フッとそれが姿を消す。ティフォとかがペタペタ触って来るのに困っていたら、これが出来るようになってしまった。
「うん。角は隠せる事も分かったし、こんなデカいのに重さがないんだよ。むしろ、膨れ上がった魔力が安定して、落ち着いてさえいる。俺の過去については……まあ、実感が湧かない所も多いから、それ程、揺れてないってのが、正しいかな」
ソフィアは微笑むように、口元を少し上げて、遠くの景色に視線を戻した。その仕草に、触れたら壊れてしまいそうな儚さを感じながらも、彼女と今話さなきゃいけないとそう思えた。
「ソフィのお陰でここまで来られた。ありがとう。少し話さないか?」
「……! お、お礼を言われるとは、思っていませんでした……。はい、お話し……しましょう」
そう言って、こちらに向き直ったソフィアの深緑の瞳が、不安げに揺れている。少しの間見つめ合って、俺は話を切り出した。
「俺の運命はようやく分かった。何かが変わった気がするし、何も変わらない気もする。なぁ、ソフィ、君は何を恐れていたんだ?」
「……ッ! わ、私……私は……」
苦しげに下唇を噛んでうつむき、やがて何か決意のある表情で顔を上げる。その顔色は、やはり何処か青ざめて見えた。
「適合者の役割は、勇者が言っていた通り、英雄であると言うわけではありません。調律者とは、その時代の傾きに一石を投じ、直接もしくは間接的に、流れを正常に導く存在です。だから、本人も自覚が無いまま、あっさりと調整を終える事もあれば、苦しみ抜き、その死をもって終える事だってあります」
「…………」
「恨まれる事だってあるんですよ『こんな運命、望んでいなかった』って」
本体と共有する記憶は薄い、そう彼女が教えてくれた事がある。分かりやすい痛手より、おぼろげな苦手意識の方が、恐怖心を煽る事もある。もしかして、彼女が俺との距離感に必死だったりするのは、それなのだろうか。
「調律はその時代によって、難易度が大きくかわります。でも、段々とその難易度は、上がり続けてるんですよ」
「どうして?」
「人が……人の社会が大きく、力を持つようになったからでしょうね。生み出される流れが大き過ぎて、ひとりの調律者では、無謀な抵抗にもなりかねないんです」
勇者ハンネスも、そうだったのかも知れないな。大国の作る流れに、ひとりではどうしようも無かっただろうし、その流れは一度止めたって、またすぐに他の波が起こるだろう。
「私の使命は貴方に、帝国を潰させる事です」
「…………」
「無辜の民も巻き込まれるでしょう、貴方が悪鬼の如く、忌み嫌われてしまうかも知れない。帝国を敵に回せば、人界に貴方の居場所が無くなってしまうかも知れない。それだけじゃなくて、魔界の事情まで、あなたの肩にのしかかっているんです!」
そこまで言って、ソフィアは俺の両肩を掴み、数回、口をわなわなとさせて顔を伏せた。そして、叫びにも似た、彼女の気持ちが吐露された。
「私はあなたと出会って、あなたさえいればいいと、本気でそう思えてしまった! 本当は調律なんて、どうだっていいんです! あなたを選び、力を与えて置きながら、私はあなたが傷つくのが怖い!」
「……ソフィ」
「私は調律の神失格です! この時代のうねりだって、人の世がそう望んで進んだ結果じゃないですか! 私はそれと貴方をどう天秤に掛けても、貴方といる時間を……選んでしまう……。私は……調律神、失格です……」
すっと、彼女の手が離れた。半歩後ろに下がろうとする仕草に、俺は今彼女を逃したら二度と会えなくなる気がして、思わず抱き締めて胸に彼女の顔を押さえつけた。
「ありがとう。ソフィ、俺も本音を言うよ。俺は……俺だって顔も知らない人々まで、救おうなんて使命感はさらさらない。それは魔族の事も同じだ。やっぱり、自分に関わる人達の事以外は、分からないんだよ」
「…………」
「でもさ、ソフィ。そんな俺だって、君と歩き出してから魔公将と戦ったり、獣人族やエルフ族、シリルなんかをさ、少しは変えられたんじゃないかって自負がある。救うって結果を求めたんじゃない、目の前の必然を追ってたら、こうなったんだ」
「それは……貴方が真っ直ぐだから。私にはもったいない、稀代の適合者だから……」
「違う。俺は真っ直ぐなんかじゃないよ。目の前の難題に、ただいくつもの答えを考えて、当てはめて来ただけだ。それを背負ってたつもりもない」
「じゃあ……どうして、私との契約を煩わしく思わないんですか? 私の契約が無くても、貴方には魔王の系譜たる力があるんです。私との契約が不完全にならなければ、貴方はもっと強かったかも知れない!」
今度は俺がソフィアの肩を掴んで、真っ直ぐに顔を見つめる。
「リディってさ、ソフィと同じ顔だけど……。ソフィの方が何億倍も可愛いよな」
「へっ? ……はわっ⁉︎ な、なんでこんな時に、そそそ、そんな事を……!」
「いや、口説いてるわけじゃなくてさ。リディと勇者の関係を見たらさ、きっとふたりは一緒に運命を背負う覚悟なんて、してこなかったんだろうなって。ソフィが俺に可愛い顔を見せてくれるのは、俺達の足並みが揃ってるからだろうって思ったんだ」
「…………そう……ですね……」
「俺はさ。さっきも言った通り、運命は背負うけど、その結果にしばられる気は無いよ。それにソフィが調律の神だからって、側にいたいわけじゃない。契約の力が欲しくて、君を望んでいるのでもない。
ソフィ、もう君が隣に歩いていないなんて、想像すら出来ないんだよ」
「─── っ ‼︎」
「……な? 君と同じなんだよ俺も。それにさ、時代と共にうねりが大きくなってて、難易度が高いってんなら、それこそ結果ばかり見てない方がいいだろ? だからさ、ずっと一緒にいられるように、目の前の事をひとつひとつ、客観的に終わらせてけばいいんだよきっと」
そして俺は、彼女へ自分の意思を、はっきりと告げた─── 。
「ソフィ、俺は君との運命を、共に背負う覚悟が出来てる」
とん、とソフィアが俺の胸を叩くように、白い手を添えた。
「……わ、私はおっちょこちょいです」
「おう」
「私は……すぐに調子に乗ります」
「おう」
「私は自分の策に溺れる事が多々あります」
「おう」
「私は、パニクると、何しでかすか、私にも分かりません!」
「おう」
「あなたのことばかりで、使命を煩わしく思うような、ポンコツ調律神ですよ!」
「どんと来い」
「人類よりあなたを選ぶ、浅い、あっさい、愛しか持たない狭量な女ですよ!」
「だから一緒にいたいんじゃねえか」
「─── な……はッ、あ、あぅぅ……!」
真っ赤になってうつむく彼女の頰に手をそえた。うん、俺だって真っ赤だよ、こんな時に不慣れだってのも、格好がつかないよなぁ。でも、今踏み出さないと、俺の気持ちが嘘になる。
「ソフィ……キスしていいか?」
「は、は……ふぁ……!」
抵抗は無い。上目遣いの瞳を戸惑わせ、戸惑うように俺の頬に手を伸ばしていた。
重ねた唇に、彼女の唇が戸惑う。でも直ぐに熱がそれを溶かして、いつしか無心に、そのつながりを求め合った─── 。
「初めて……です」
「うん?」
「初めてあなたから、口づけを求めて……下さいました……」
俺の胸元を指で弄りながら、上気した艶やかな唇でそう言った。ん、改めて言われると、非常にくるものがある。
「これからは、ちゃんと責任が取れるからな。……正直、今までだって誘惑凄かったんだぞ」
「ふ、ふふふ♪ やっぱりアルくんは真っ直ぐじゃないですかー。もう今なら人界だけじゃなくて、魔界だって楽園に調律出来そうです」
「ぷっ、ほんと、すぐ調子に乗んのな」
もうソフィアの顔には、何の陰りも見えなかった。そうしてふたりで笑っていたら、彼女はまた俺の胸に顔を埋めて呟いた。
「はい。だって、そんな私でもいいって人が、いてくれましたから」
彼女との繋がりが強くなったのだろう。膨大な魔力の膨らみと、意識を変革させていくあの浮遊感にも似た感覚がやって来ていた。以前のように意識を失う事はなかったが、彼女とお互いに意思を示し合わせられた喜びと、ようやく並び立てたのだという高揚感が合わさり、心地よささえ持たせていた。
マナの気脈が生み出す幽玄とした光を、俺達はしばらく、ただ身を寄せ合いながら眺めていた。この空間に感じていた孤独感は、いつの間にか消えている。
※ ※ ※
地下へと続く階段は、途中から石を組んだものに変わり、湿気た空気が充満していた。螺旋階段の続く深い空間に、アハトを先頭とした俺達六人と、父蛙を抱いたツヴァイ(2)、最後尾にフンフ(5)の足音が反響する。この階段は入口の階段とは違い、終わりがあるようだ。帰りを思うと気が重くなる所まで降りると、最下の床が見えて来た。
『こちらだ。この扉の奥に、エルヴィラ様は居られる』
アハトが立つ隣に、重々しい鉄の扉があり、外から鍵とかんぬきが掛けられていた。
「こんな……所に? それに何だって外から鍵なんか。母さんは時間が止められているんじゃないのか?」
『エルヴィラの刻は、今から二十年近く前から、ゆっくりと動き出している。イングヴェイの死が原因か、負のエネルギーの膨張が術を弱めたのか……』
父の声は、どこか張り詰めたものがあった。アハト達もまた、剣気を漲らせ、いつでも抜ける状態になっている。
『アルファード殿下、決して気を抜かれぬよう、心して臨まれよ』
ガチリと大きな音を立て、扉につけられていた鍵が外された。
カチャ……キィィ……
ひとりでにドアノブが回り、扉がゆっくりと開いて行く。その瞬間、俺の体を漆黒の鎧が、勝手に覆っていた。この部屋には、危険な何かが起きている。
アハトが俺を見てうなづくと、先に部屋へと足を踏み入れた。部屋の中央に、青白い光がぼんやりと灯っているのだろう、窓ひとつない部屋の中はぼんやりと明るくなっていた。
「か、母さん……⁉︎」
部屋の中央に置かれたベッドに、黒髪の女性が腰掛けて、こちらを見ている。微笑みを浮かべるその顔は、記憶の映像で見た母親そのものだった。白い寝間着に身を包み、長い髪を片側に腰元まで流し、ぼんやりと光を放っている。やや垂れ気味の優しげな瞳は、俺と同じ赤色の光をにじませ、俺をニコニコと見つめていた。
「母さん……なんだよな? 俺だよ、アルファードだ。会いに来たんだ……」
─── ……アル……ファード……?
その名を不思議そうな顔で呟き、また笑顔に戻ると、母さんは俺の方へそっと手を差し出した。
─── ふふふ……アルファード……
この人が俺の母親……。何て優しげに笑うんだろう。自分には無いものと、そう信じ込んで来た、自分を作った存在の大きさに胸が温かくなった。
『─── 危ないッ‼︎』
アハトの声で我に返った瞬間、俺の前に飛び出した彼の体が、横に吹き飛ばされ壁に打ち付けられた。
「…………⁉︎ アハト!」
『ぐっ、心配いらぬ! 心を落ち着かせ、しかとその眼で検めよッ‼︎』
検めろ? 母の方に視線を戻し、言われるがまま注意深く見ようとした瞬間。視界がカチリと入れ替わるように、現実の光景が目に飛び込んできた。部屋の中央に転がる、まだらに黒ずんだ巨大なイモムシのような塊。その表面がぶくぶくと、夥しい数の人間の苦悶の顔が、浮かべては入れ替わるのを繰り返していた。
─── アルファード、アルファード、アルファード……
俺の名を呼んでいるんじゃない、その音をただ繰り返しているだけだ! 優しげなあの顔は幻か? いや、俺の求める理想の姿を、母さんに巣食う負のエネルギーが見せたのか……。
『アルファード! もうエルヴィラは、エルヴィラではないのだ!』
「何んだって ッ⁉︎」
『以前より悪化しておる! 一度退…… 』
ドギャ……ッ
部屋に足を踏み入れていた俺とアハト、父蛙を抱いたツヴァイ全員が、入口側の壁に吹き飛ばされた。イモムシから、無数の手足が伸び、触手のように振り回す音が、部屋の中をヒュンヒュンと鳴っている。
バタァンッ!
全員廊下に出て、扉を締めかんぬきを掛け直す。急転直下の出来事に心臓がバクバクして治まらない。
「ど、どど、どう言う事だ!」
『まだ多少は話せるかと思ったが……。もう完全に呑み込まれてしまったか……』
後を追ってくる様子も無く、部屋の中は静まり返っている。俺達はそこで座り込んだまま、父から母さんの話を聞く事にした。
『エルヴィラの時が動き出してしまった事は、部屋に入る前に言った通りだ。それより以前から、負のエネルギーがじわじわと増えていた』
やがて負のエネルギーは、時間が止まっている母さんの肉体を媒体に、破壊を繰り返すようになってしまったそうだ。
『考え得る限りの手は尽くしたが、あれを取り去るには魔王の力でも無ければ不可能だ。周囲への精神汚染が酷くてな。最早、地下に閉じ込めるしかなかったのだ』
精神汚染か。あの部屋で見たものは、現実の光景じゃなくて、白昼夢のような一層ぼやけた世界だったような気もする。そして魔王の力。記憶の中の魔王フォーネウスは、負のエネルギーに侵食された勇者から、いとも簡単に本体を引きずり出していた。確かにあの力があれば、母さんを助けられるかも知れないが……。
「人体の時間を止める程の封印、それを侵食するだけのエネルギーだ。もう、そんなに長くは持たない」
『お前が魔王になるには、勇者を殺し、エルネアの加護を受け、鍵をそろえた後にクヌルギアに潜り、破壊神を倒す必要がある。時間があとどれほど掛かるか、想像もつかん』
「じゃあ、ここで何とかするしか……」
『……もう、エルヴィラの魂は、侵食されているのだ。取り払おうとすれば、魂が持つまい』
石で作られた、小さな雨蛙。表情が分かるわけはない、でも、段々とその奥に閉じ込められた父の気持ちが、分かるようになって来ていた。
『数年前、エルヴィが急に語りかけて来たのだ。あの時も散々暴れ、全員で拘束の魔術に成功した後だった。記憶が、心が食われ掛けているとな……。あれは、心優しく、気高い女だ。己の所業も知っていたらしくてな。……泣いていたよ』
「…………」
『泣けぬ体と言うのは、存外に不便なものだ。心を洗い流さねば、苦しみはいつまでも、心に染みつく。あの時の言葉が忘れられぬのだ……。
─── 殺して下さい……とな』
このやり切れない気持ちは、どこへ向ければ良いのだろう。両親に再会出来たと言うのに、俺には記憶が無く、父の姿は見られず、母は闇に食われ死を望んでいた。
この三百年、父はどれだけ母を救おうと、動けぬ体で心を痛めて来た事だろうか? そして、やっと声が聞けたと思ったら、その愛する妻からは安楽死への願いだ。
『イングヴェイの分身は、我々夫婦と主従契約下にある。彼らでは殺せぬ、動けぬ私では殺せぬ。動くもの全てに攻撃を仕掛けるあれが、動かぬ私には、眉ひとつ動かさぬ。己の妻に認識すらされぬとは、皮肉なものだ』
それで、俺に『殺せ』と言ったのか。怪物になっても、その奥底では母さんの意識が残ってる。でも、下手に闇を抜き取れば、スカスカになった魂は、急速に失われて行くだろう。それは魂の消滅。輪廻の理から外れる事を意味する。
『アルファード……。頼む、母さんを……殺してやってくれ』
また、蛙の姿にダブって、父の顔が見えてしまった気がした。
「もう一度入る、俺ひとりでいい。アハト、扉を開けてくれ」
髑髏兜を被り直し、立ち上がると、ソフィア達もそれに続いた。
「私達も入ります」
「……分かった。心に侵食される可能性もある、皆んな気をつけて」
五人は深く頷いて、それぞれ闘いの準備を始めた。その様子を、父は無言で見ているようだった。いや、涙が出るなら、泣いていたのかも知れない。
『頼んだぞ。母さんが苦しまないように、楽に……してやってくれ……』
「…………」
アハトがそっとかんぬきを外し、ドアノブに手を掛け、俺の合図を待っている。俺は扉の前に立ち、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「 キツイよなぁ……流石に」
扉が開け放たれた瞬間に、俺達は一気に中へと踏み込んだ。
※
部屋に入るなり、ティフォの触手が無数に放たれ、膨大な闇の手を弾き飛ばす。その根元からソフィアの神威が斬り刻み、部屋に黒い霧が舞い散った。即座に増殖する腕を、エリンが稲妻で焼きつけ、ユニが足下に拘束の魔術印を描いて床に縛り付ける。スタルジャの振るう魔槍が、五条の光を曳いて、本体の闇を削り落とした。
だが、闇は泡ぶくを立て、一瞬にして盛り返し、余計に大きく膨れ上がる。
倒せないのは威力の問題じゃない、この闇が吸い上げた、負のエネルギーが膨大なんだ。偽聖剣の残した傷跡が、どうしてこんなにも負のエネルギーを寄せ集めたと言うのか。
「アル様! このまま、どんどん削って行けばいいのね?」
「ああ、こいつ自体は大した事は無い、エネルギーは膨大だが、いずれは─── 」
その瞬間、部屋いっぱいに膨れ上がった闇の腹に、大きな亀裂が入って巨大な口が開いた。
『『『─── ヴぁああああああッッッッッ‼︎』』』
鼓膜が弾け、途轍も無い重低音に、意識が刈り取られる。直後、ソフィアが結界に闇を閉じ込め、音を遮断したが、脳が揺れて回復魔術へのイメージが作れない。その隙を突いて、黒い手が襲い掛かろうとするが、結界に阻まれて難を逃れた。
流石に音までは、想定していなかった。状況が違えば、かなり危険な局面だ。
「うー、まだ頭ガンガンするの。こいつ、知恵があるの。エネルギーの塊なのに」
特にユニとエリンは、種族柄この攻撃が堪えたようだ、ふたりとも眉間にしわを寄せて頭を振っている。
ん? エネルギーの塊なのに、知恵─── ?
それって、魔力溜まりで生まれる、迷宮みたいじゃないか……。
「アルくん! 結界がそろそろ破られます! 闘いに集中を!」
「なあソフィ、このエネルギーを一箇所に集められないか?」
「まとめて消すつもりですか?」
「いや、魔王は闇の核を掴み出していただろ? でも、この膨大な闇の量じゃあ、何処にそれがあるか分からない。それなら……」
思いついた事をソフィアに告げると、彼女は驚いた顔をした後、深く頷いて微笑んだ。
「ふふふ、本当にこれはキツイですね」
「ああ、俺は欲張りなんだよ。引寄せる方法、何かないか?」
「あなたは私の契約者、稀代の適合者なんですよ?」
彼女は今まさに破壊される結界に備えて、仕込み杖を構えながら、凛とした声に言霊を乗せて言った。
─── あなたが望むのです。あなたが渇望した事象が形となる、それが奇跡なのですから
俺が渇望する事?
このエネルギーを、思い通りの結果を引寄せたい─── 。
─── 引寄せる
─── 引寄せる……
─── 引寄せるッ!
何故か頭の中に、爺さまの魔王が、顔をくしゃくしゃにして笑っている姿が浮かんだ。
その時、結界が破れる甲高い音と同時に、ユニの拘束魔術を引き千切って、闇が飛び出す。ソフィア達が動くのを視界に収めながら、俺は夢想に近い意識下で、手の平を突き出していた。
「─── 【掌握】!」
ああ、この感じ……【斬る】を会得した時と、同じだなぁ。そんな事が頭をよぎっている目の前で、闇が動きを止めて震え出すと、中心に向かってみるみる圧縮されて行く。部屋全体を覆っていた、仄暗いエネルギーまでもが渦を巻きながら、その中心へと引寄せられていた。
「おお、オニイチャ、新技かっこいー!」
「わ、わ、わー、どんどん小っちゃくなってくよ⁉︎ な、何したの⁉︎」
いつの間にか、隠していたはずの角が、額の両脇で赤紫の光を放っている。新たな奇跡の獲得に未だ朦朧とする意識。その中で目一杯の言霊を乗せて、圧縮された漆黒に語り掛けた。
「母さん、そこにいるんだろ? 母さんの部屋まで行くよ、そこまでの廊下を、千星宮の廊下を渡って行くよ。憶えてるだろ? 魔王城の居殿だよ」
その呼びかけに、闇はびくりと反応すると、また変形して行く。球形に固まっていた状態から、薄い長方形の板状へ、ぶるぶると震えながら姿を定めた。
「これって……迷宮の入口……⁉︎」
「魔力溜まりが、魔物とかを媒体に迷宮を生むだろ? 長くこのエネルギーに包まれてたのなら、同じ事が出来るんじゃないかって。高密度のエネルギーに、母さんの思念を引き出したんだ」
アハトにこの方星宮を案内してもらっている時、魔王達が生活の場にしていた千星宮ってのをモデルにしてると聞いた。俺の名前と、かつて暮らした場所を思い出せば、強く響くだろうと思ったが……。この扉も、父の記憶映像の中に出て来た、魔王城の扉によく似ている。
迷宮とは長年魔力溜まりに汚染された空間に、核となる何らかの意思が中心となり、具現化されて誕生する。これだけの呪力と魔力が、三百年も渦巻いていたというのなら、それは条件が整っている。そして確証は無いが、母さんの魂は今、呪力とは切り離されて、迷宮の核として構成されているはず。
何故そんな事が分かるかって? かつてバグナスの『石像の迷宮』の核となっていたのは、旧時代の『守護神ミトン』だった。守護神である彼が、何故、その存在の元となる信仰を得られないまま、迷宮の奥に存在できたのか?
魔力が具現化する程のエネルギー。ティフォが莫大な魔力を使って、ようやく壁を破壊できる、桁違いの構成の理。母さんの魂は今、ミトンと同じく、独立したものとして再構成されている可能性がある。
「ちょっと行ってくるわ」
そう言って開いた扉の向こうには、赤い絨毯の敷かれた、厳格な雰囲気の廊下が続いていた。可能性は低いかもしれない。でも、ただ消滅させるだけでは可能性はゼロだ。今できることを。そこに賭けるしかなかった。
※
ガチャ……
流石に出来たばかりの迷宮は小さなもので、廊下にある十数の扉を開けてみたが、中はただの闇だった。何処に母親がいるのか、虱潰しに探すつもりだったが、奥に近づくにつれて、直ぐに目を引く扉を見つけた。真新しい扉が並ぶ中、ひとつだけ使用感のあると言うか、年季を感じさせるような、一際リアルな扉がある。
招かれるようにその扉の前に立ち、ノブを回した。
─── その扉の奥には、横たわる母親の肉体。そしてその上には、弱々しくちらつく、母の魂が浮かんでいた。
「やあ、母さん……俺だよ。アルファードだ」
『…………』
返事はないが、何故か聞いているのだけは分かった。ただ、母さんの魂は、いつ消えてもおかしくない程に、小さく微弱になっている。
「助けに来たんだよ」
『…………』
「父さんも……待ってるよ」
『…………』
魂はそれ自体が独立した生き物のような性質がある。傷ついたり弱ったりしても、自然と回復したり、大きく成長する事だってある。そして何より、心奮い立たせた時に、一番強い力を生み出すのが魂だ。兎に角呼び掛けて、母さんの魂に気付けをするしかないが……。
「父さん、本当に母さんの事、愛してるんだな。ずっと守ってたんだね」
『…………』
「俺、魔王になるって決めたんだ」
『…………』
「姉さんも助けなきゃね」
『…………』
「俺、小さい頃の記憶が無いんだ。これからまた、家族の想い出をさ、作りたいんだ」
『…………』
やはり、反応は無い。長い時間を掛け過ぎてしまったのだ、もう、俺が言う程度の事は、何度も母さん自身考えたかも知れない。俺には5歳以前の記憶は無い。俺と母さんの過去に繋がる、共通の記憶が無いってのが悔やまれる。
ん? いや、待てよ? 過去がダメなら、未来があるじゃないか。
「姉さん、結婚出来るのかなぁ」
『…………』
ダメか、それ程、姉さんの事は心配いらない感じだったのかな? よし、それなら。
「母さん、俺、合わせたい人がいるんだ」
『…………っ』
(……食いついた⁉︎)
「それがね、五人もいるんだけどね」
『…………ッ』
「種族はね、女神、異世界の女神、エルフ。ははは、我ながらワールドワイドだよねw
─── あ、あとそれに獣人の女の子は、姉妹ふたり丸ごと☆」
『…………ッ‼︎』
俺は息を深く吸い込んで、腹から声を出した。
「一気に五人も子供が産まれたら、俺、どうすりゃいいのか分かんないんだよ。子育ての話、聞かせてくれないか?」
『…………かっ⁉︎』
とうとう声が出たな? 強情なやつめ、さあ、仕上げと行こうじゃないか。
「赤ちゃん用の服ってさ、どんな所で買えばいいのかな」
「俺、上手く赤ん坊抱けるか心配なんだ」
「パパになるなら、妻にこれだけはしておけって事ある?」
ボッ……ボボボ……ボボッ‼︎
魂が激しく揺らめいて、左右に揺れた。
「名付け親になってくんない?」
『─── 予定日は、一体いつなんですかッ⁉』
「……あ」
『……あ』
母さんの魂、確保しました─── 。