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Episode

禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~

第九章 適合者

第十三話 折れる心

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ローデルハットの海岸で知り合い、
介抱していた相手は、
アルザス帝国の情報機関に所属するパッカーだった。

泥酔した演技から一転、
アルフォンスはパッカーとその配下と交戦となるも、
その最中に『殺意』に呑まれるという精神的外傷(トラウマ)に支配されていた事が判明する。

逃亡を図るパッカーを確実に仕留めなければならない。
そう分かっていても、足は竦んで動こうとはしなかった。

その代わりに動いたのは、
心の奥底に眠っているはずのアルファード。

彼はパッカーを殺害し、
その目に埋め込まれていた記録用の魔道具を引き抜いていた。

再びアルファードに救われた事で、
アルフォンスの心に大きな疑問が生まれてしまう。

自分は『偽物ではないか』という不安だった。

「これはちょっと……問題ですね」

 ソフィアのうめきに、部屋にいた婚約者達と、ローゼンは深く溜息をついた。

「やさしいところとかは、いつものままなの。それがちょっと怖いの」
「確かにそうね。抱き着いてみたけど、反応がなかったし、寂しそうに笑ってたわ」
「私はお風呂に突撃したですが、何か『おお』って、ふつうに返されたですよ……」
「「「……ちょっと!」」」

 パーカーの襲撃から二日。様子のおかしいアルフォンスについて、六人による緊急会議が開かれていた。あの襲撃の様子は、ティフォを通して全員にリアルタイムで伝えられていた事を、彼は知らない。

「ん、やっぱ、様子見しないで、たすけたほーがよかったか」
「それは違うですね。ダーさんの精神的外傷トラウマが、どこに植えつけられたのか、今のタイミングで知れて良かったですよ。もし勇者との再戦とかだったら、目も当てられねーのです」
「代わりに……別の問題が出た。でも、それだって、アル様の超えなきゃいけない、大事な事だと思うわ」

 『殺意』に対する精神的外傷トラウマなら、直接的にアプローチする方法を、ローゼンは知っている。ただ、問題なのはエリンの挙げた、別の問題である。

─── 己自身がでは無いかと言う、自己肯定感の重篤な喪失

 何故、それ程までに彼の問題を理解しているのかと言えば、ティフォの能力による『記憶の閲覧』である。血液や体液から記憶を読み取れる彼女は、パーカーを殺害した直後のアルフォンスと、バキューム気味に唇を重ねた。アルフォンスとアルファードの関係が、どういったものか分かれば、答えはハッキリするはずだが……。

 残念ながら、今のアルフォンスの肉体には、アルファードの記憶は残されていなかった。天真爛漫を突き抜けたティフォであっても、普段は他人の記憶を閲覧して、何かしようとする事はない。だが、今回に限っては、そのティフォにも、見過せぬ理由があった。

「ラプセルで、こわれかけてた時より、ひどい」

 まだ彼女が触手の塊の『』になったばかりの頃、アルフォンスが精神的に潰れかけた事が何度かあった。彼は当時から、年齢の割に問題の処理能力が高く、人に相談する事が少なかった。特に大きな問題は、それを理解しようとする余り、相談すると言う発想が抜けてしまう事がある。

 手に余る大きな難問の場合、人はそれが問題ではなく、定められた運命のように捉えてしまう。いつでもフタができる事を忘れ、その問題ありきで、世界を進もうとしてしまうものだ。

「そういう時は、他の人の言葉って、聞こえてても聞こえないんですよね。どうしたらいいのでしょうか」
「うーん、人の心理そのものは、専門外なのです。こんな時、人間のプロトタイプなら、スペシャリストなのですけど」
「今解決できる事じゃないの。なら、できることだけ、やっていくしかないの。……でも」
「そうね……。今のアル様に、何かしろと言うのも、難しいわね」

 はぁ、と全員の溜息が重なった─── 。

 ※ ※ ※

 魔術王国は、その名の通り魔術研究が盛んで、国内に三つも魔術大学があることで有名である。そして、もうひとつ有名なのは、急な斜面に建てられた、石積の街並みである。

 大規模な港を開くに適した海に対し、起伏の激しい陸地は、決して街づくりに適しているとは言えない。海上貿易で発展するにあたり、商業に適した開発を続けるにつれ、階段状の街が形成されていった。そして、石灰の一大産地でもあったローデルハットは、構造物が白い石灰で塗り上げられている。

 日射しが強く、建物内の温度上昇を避けるため、古くからそうされて来た。

─── 『朝日に黄色、夕陽に赤、海に青く染まる、白き魔術の街並』とは、有名な詩である

 魔道具、精霊石、魔導書。それらの商店に溢れ、また独自に開発した術式を販売する『魔術屋』があるのは、この国くらいなものであろう。

 いつもなら、そんな国に来たのであれば、アルフォンスは街探索を楽しんでいただろう。だが、スタルジャの治療をはじめ、それどころではない状況が続いていた。

 ※ 

─── ローデルハットギルド支部

 他と同じく、石灰塗りの石積建築の建物内、その奥にある会議室。受付嬢に案内されて、俺達はその扉を開けた。

「おおっ、アルフォンス!」

 立ち上がって出迎えたのは、こども本部長ロジオンと、トップ冒険者のルーカス率いる『カイディア』メンバーのマーウィンとアリスだ。

「久し振りだな! 左手はどうだ……?」
「ああ、ちと後遺症は残ってるが、ローゼンとマドーラ達のお陰でなんとかな」
「おお、人形共も無事だったか! 心配してたんだぜ……今はどこに─── 」
『『ろじおーん』』
「「「籠手こてがしゃべったッ⁉︎」」」

 マドーラ達の状況を説明すると、彼らは驚きながらも、相変わらず元気なふたりの声に胸をで下ろしていた。

「そうであったか……。でも、魔界に行けば直せるのじゃろ? ふむ、これはマドーラとフローラの為にも、早く魔界に行ってやらんとなぁ」
「………………」

 ルーカスの言葉に、胸がドキッと打って、唇が冷たくなるのを感じた。なんだろう、そう言うのも薄くて実感が湧かない。

「どうしたアルフォンス? 顔色が悪いが、まだ具合でも悪いんじゃねえのか。もしかして、寝れていないのか……?」
「いや、眠れてはいる。ロジオンは眠れていないのか」
「うん? ああ、いや、何でもない。気にしないでくれ」

 気のせいかロジオンの顔色が悪く、ルーカスも困ったような顔で、彼の方をちらりと見た。

「スタルジャはどうなんだ?」

 何故だろうか、彼女の事を説明しようとした時、喉に何か詰まったような息苦しさに襲われた。手には汗が滴る程に滲み、重くなった頭からは、どうにも言葉が出てこない。ロジオン達は怪訝けげんそうな顔をしたが、代わりにソフィアが説明を始めると、驚きに変わっていた。

「人が……守護神契約できるのか⁉︎」
「ええ、ただこれはアルくんの、魔王としての特性を利用しているので、誰でもというわけではありません」
「奇跡に波長があるとなぁ。うむ、それなら勇者とその守護神リディにも、手が打てるやも知れんな!」

─── ドクン……ッ

「ハハハッ! 流石はアルフォンス、お前の周りにいる人材は、毎回とんでもねえ話を持って来やがる。こりゃあリベンジも夢じゃねえな」
「ま、まあ。今はあくまで調整中ですからね。準備を整えて、確実に進めて行く時期でしょう」

 ソフィアが、何だか慌てて再戦の話を流そうとしていた。今、俺はそれにホッとしていた事に気がついてしまった。

 何故、ホッとしてる? 再戦はしなくちゃいけない、なのに俺はビビっている……?

 胃がキリキリと、痛み出した。視界の端が、何だか暗くなっていて、狭い所にいる感覚がある。胃の不快感だけが、モヤモヤと俺の中に残って、余計に現実感が無くなって行く。

「どの道、魔界に行くのに変わりはないだろ? 奴らが魔界に戻ったのか、人界にうろついてるのか、分かりゃしねえんだ。魔界で鉢合わせるって可能性も考えてだな……」

─── ドクン、ドクン、ドクン……ッ

 心臓が急に激しく打ちだして、息が小刻みに押し出されてしまう。

「だからこそ、まずはリディ対策を進める事に注力するべきです。スタちゃんの事も、今急に動かすのは心配ですからね」
「そうだな……。まあ、魔界へ渡る手配は、いつだって大丈夫だ。なあアルフォンス、お前の事だから、もう闘いのイメージも出来てたりするんじゃねえのか?」

─── ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……

「……? おい、どうしたんだアルフォンス。やっぱり具合悪いんじゃねえのか? そんなんじゃ、再戦どころじゃなくなるぜ?」
「その、今アルくんは……」
「頼むぜ『勇者』さんよ! お前に世界が掛かってんだ、しっかりしてくんねえと、オレ達は……」

 何だ? ロジオンの声が聞こえなくなって、代わりに誰かの大声が響いているような……。
 いや……。これ、俺の声だ─── 。

「出来るわけねえだろッ! 俺はまだ勇者なんかじゃない! 魔王でもないんだ! 無理なんだよ、俺みたいな中途半端な奴にさ、勝手な希望を押し付けないでくれよッ!」
「あ、アルく─── 」

 ドガァッ!

 ロジオンの拳がテーブルに叩きつけられた。

「お前それ、本気で言ってんのかアルフォンス……ッ!」
「ロジオン! 今、アルくんは─── 」
「答えろよ適合者! 今の言葉は本心かって、聞いてんだッ!」
「ああ、そうだよ……俺じゃあ無理だ」

 その瞬間、俺の体が後ろに吹き飛ばされ、椅子が粉々に散らばる。ロジオンの拳が、俺の頰を殴りつけた。

「馬鹿野郎ッ! 世界はどうなるッ! 魔界はッ、お前の家族はどうなるッ!」
「うるせえッ! 俺には家族の記憶なんかねえんだよ! ずっと俺はど田舎で暮らしてたんだ、今更世界を救えって言われたって、実感湧かねえよ!  適合者にだって、なりたくてなったわけじゃ……」

 ロジオンの拳が、もう一度俺を殴り飛ばした。頭に来て立ち上がると、俺の前にティフォと赤豹姉妹が立って、ロジオンをにらんでいる。

「よく分かったよアルフォンス……。お前に世界が救えなくたって、オレは文句は言わねえよ。尻まくったって構わねえ。でもな、お前のために命張った奴らはよ、今のお前の顔見て悲しむだろうぜ」
「…………」
「オレはひとりででも、イロリナを救う。勇者の野郎は、オレが刺し違えてでも殺してやる。じゃあな、アルフォンス」

 ロジオンは真っ赤に充血した眼を、怒りから哀しみに変え、部屋を出て行った。静まり返った部屋、廊下に消えて行く、ロジオンの足音。

(…分かってるよそんな事。分かってんだよ……)

 自分が口走ってしまった事が、どんな事かも分かってる。でも、せきを切ったように溢れ出した言葉は、きっと俺の本心だ。きっと皆んなを失望させただろう。でも、不思議と後悔が湧く程、心は動かずに、実感の薄い浮遊感しか残ってない。

「ルーキー、お前も苦しんでおるのだな」

 ルーカスの声に、体がびくりとした。もう誰とも言い争いたくはない。でも、責めるような声にも聞こえなかった。目を向けると、彼は寂しげに微笑んでいる。

「ロジオンの事、悪く思わんでやってくれ。あやつも必死でな……」
「…………分かってる」
「あやつも今、精神的外傷トラウマに弱り切っておる。余裕が無いのだ。許してやってはくれんか?」
精神的外傷トラウマ…………ロジオンもか?」

 確かに顔色は良くなかったが、彼も魔剣で切られていたのだ、その可能性があるのすら忘れてしまっていた。

「うむ。あやつからは口止めされておったが、あやつもお前さんも、わしには大事な仲間じゃからな。あやつは『暗闇』への恐怖を植え付けられたのだ。目を閉じただけで、正気を失う程の錯覚に襲われておってな。もう何日も寝ておらんのだ」
「「「─── ⁉︎」」」

 そんな状態ででも、彼は先に進もうとしていると言うのか─── !

 ロジオンの言葉が、悲痛なものだったのだと、その事実を知って理解できてしまった。彼の最後の望みを、俺が崩してしまったのだと、胸が掻きむしられるような痛みが走る。そして、俺の失言でもうひとり傷つけてしまった事に、今更きがついてしまった。
 ソフィアが青ざめて、自分の腕を抱いていた。

「ごめん……ソフィ。俺……」

 彼女はハッとしたように俺を見上げ、寂しげに微笑んだ。

「アルくんは、ずっと真っ直ぐ過ぎたんですよ……。今は……その後ろで苦しんでしまった気持ちを、素直に出した方がいいんです」

 胸が締め付けられた。

 『適合者にだって、なりたくてなったわけじゃない』。俺に運命を背負わせたと苦しむ彼女にとって、この言葉がどれだけえぐるものだっただろう。そっと俺の腕に手を伸ばし、必死に笑顔を作ろうとする彼女は、それでも俺を癒そうとしてくれていた……。

 今の俺じゃあダメだ。

 今の中途半端な気持ちの俺じゃあ、彼女の傷を埋められる言葉を、紡ぐ資格がない。

「ローゼン、ひとつ頼みがある─── 」
「はいです」

 にこりと微笑む彼女は、ポツリと『待ってたです』と呟いた。

 踏み出せ。俺が何者なのか、後回しにするのはやめだ。ローゼンの後ろでは、ティフォとエリン、ユニが俺を見つめている。彼女達の心配が、やっと見える程度には、意識がはっきりしてきていた。
 長い夢から醒めたような、現実感がそこにはあった。

 ※ ※ ※

───アルザス帝国領、都市国家ルミエラ市国 エル・ラト教団ルミエラ宮殿

 その時、私はヴァレリー司教の手伝いで、執務室の書類整理を手伝う傍ら、彼の布教活動についての講義を受けていた。

 剣だけでは、教団を変える力は作れない。若くして司教にまで上り詰めたヴァレリー司教は、天才肌ではあるが、その話は分かりやすく理論的だ。のんびりで抜けているようでありながら、彼はキレ者で、意外と人使いが荒い。その分、彼の職務の一端に触れる機会も多く、人を動かす事がどう言うものなのか、剣しか触れてこなかった私にも理解が進んでいる。

「……ね? その地域は、去年と比べて犯罪率が上がっているでしょう?」
「確かに─── ! で、でも、この辺りは野党狩りを終えた地域では……⁉︎ なぜ、安全になったのに、犯罪件数が上がって……!」
「それは、野党が狩り尽くされてしまったからですよ。悪には悪のルール、縄張りがあったと言うことです、ラブリンさん」

 単に情勢や、教団運営を聞くだけでは分かりにくくても、こうして数字にされているとよく分かる。

「街には手を出さない野党が、他の悪人の防柵になっていた……と⁉︎ いや、しかし、それでは野党狩りが悪手だったと言う事に!」
「ふふ、いいえ。それは必要でした。結局安全が脅かされていれば、交易もままなりませんから、発展も難しくなってしまいます。でも、おそらくここは、来年にはより犯罪率が下がっているでしょう。すでに手は打たれているのです」

 ヴァレリー司教はにこにこしながら、私が喋るのを待っているようだった。こうして彼は、私に考えることを促す。

 考えろ、考えろ、考えろ─── !

 どうすれば正解か、ここにある書類から、人の流れを見付け出せ! それくらい出来なければ、私は教団でのし上がるなど不可能じゃないか! あいつが自分の道を歩けるようにするには、人を動かせる力を持たなきゃ!

「教団への農具、大工道具の貸し出し申請が、増えてる……。こっちには小麦と備蓄食料の融通。測量士の派遣要請……。かなり大きな開拓。領主と連携した、造成事業、狙いは……雇用拡大!」
「はい。その通りです。そう導き出した根拠をお聞かせいただけますか?」
「貸し出す器具と、食料、資材の動きが大きい。単なる施しではなく、これはリターンを見込んだ投資。犯罪者の多くは、困窮こんきゅうから始まる者が多い……。犯罪数は上がっていても、せいぜいがケンカや窃盗の軽微なもの。受け入れたばかりの、不安定さが原因で、重い犯罪は起こっていない!」

 ヴァレリー司教は嬉しそうに目を細め、指で丸を作ると、何度も大きくうなずいた。

「素晴らしい。正解ですよラブリンさん。この事業は開拓を進め、交易路により近い都市へと、道を繋げるものです。規模も時間もおおきいですが、その分安定した雇用が望めますし、技術者を集める事もできます」
「おお!」
「加えて、領主には教団から、良い条件で資金も貸付けています。人の流入が大きくなる分、色々と法や制度が必要になりますから、当座の間は教団の組織力も役に立ちます」
「そうして、教団が深く都市に浸透していくのですね?」

 剣を振っていた頃は、私にとって剣こそが、答えを教えてくれるものだった。机上の政など、有象無象の権力者の言葉ひとつで、どうとでもなる答えのないものだった。

 それが今はどうだ。数字はは剣よりも速く、確かな答えを見せてくれる、秩序のある世界ではないか!

「ヴァレリー司教、感謝します……! 『脳筋』などと揶揄されて来た私に、教えるのは大変でしたでしょうに……」
「へ? いやいや、何をおっしゃいますか。私はラブリンさんの覚えが速くて、お教えするのが楽し─── 」

 その時、廊下から慌ただしく近づく、複数の足音が聞こえて来た高位聖職者のサンダルと、聖騎士団の鉄履の足音が混じっている。思わず私は、剣を手元に寄せた。

 しかし、ヴァレリー司教はのんびりとした顔のまま、小さく『おやおや、なんでしょうね』と呑気に呟いている。足音は明らかにこの部屋へ、向かって来ていると言うのに、何をぽやぽやされているのかこの人は。だから『たんぽぽ侯』などと、揶揄されるのだ、優秀過ぎるほど優秀だというのに。

 バァンッ!

「失礼するッ!」

 勢い良く扉が開け放たれ、まず飛び込んで来たのは、監査部の数名。その背後には所属がどこだったか、聖騎士団の数名が入って出口を固める。そして、その後ろからは、デューイ枢機卿代理とアルマス司教。貼り付けたような硬い表情に、口元の緩みを隠して現れた。
 この物々しい状況は何だ? まるで逮捕するかのような、厳重な構えではないか。

「みなさん、どうされました? 定例会議ならまだでしたよね?」
「何を呑気なことを……。ヴァレリー司教、あなた、トニオ司教が何をしでかしたのか、ご存知ないのですか?」

 デューイ枢機卿代理が、汚い物を見るような目で、ヴァレリー司教を見下ろしている。どうしてこう、この男は演技がかった表情ばかりするのか、虫酸が走る。

「トニオ司教が……ですか? 彼なら先日、タッセルから報告書と文を送って来たばかりですが」
「彼には奴隷商からの献金を受け、獣人奴隷の流通に便宜を図っていたと、嫌疑がかけられているのですよヴァレリー司教」

 いつもなら、オドオドと彼に話しかけるアルマス司教が、嫌に早口でスラスラとしゃべっている。この感じ、異端者の取り締まりでよく見たな。何か腹に隠してる顔だ。

「彼が奴隷商と? いやあ、信じられないなぁ。それで私の所へ、皆さんで来られたと」
「よくもまあ、そう呑気に構えておられますな……。タッセルの担当は、貴方にも任命責任がおありでしょう? トニオ司教を推薦し、後ろ盾となると言ったのは、貴方ご自身ではありませんか」
「はあ、そうです。獣人奴隷の売買は、タッセルでは合法ですが、教団では禁じていますからね。本当に彼がそうしていたのなら、それは問題ですね」

 アルマス司教は『言質とったぞ』と言った具合に、ニヤリと笑ってデューイ枢機卿代理に振り返る。私も最近は大分、教団内の権力図が分かって来たからな、大体読めたぞ。
 これ、ヴァレリー司教が、たぶん何かヤバイやつだ。

「トニオ司教はすでに拘束され、査問委員会に掛けられておるのですよ。証拠は出揃っていると言うのに、否認を続けておられるようで、何とも聖職者らしからぬ往生際の悪さ。彼を推していたのは貴方だ、責任は逃れられませんぞ?」

 アルマス司教がそう言うと、監査部のふたりが机の両脇から、ヴァレリー司教へと近づいた。手錠こそ無いが、彼らの目はまるで犯罪者をみるようだ。

「査問委員会にご足労願います」
「─── お断りします」
「「「はぁ?」」」

 ヴァレリー司教はニコニコとしたまま、しかしハッキリと、出頭を拒否した。

「ヴァレリー司教、事の重大さをご理解しておられないのですか⁉︎」
「理解してますよ。でも、査問に掛けられているのは、今はトニオ司教でしょう。私には、その任命責任が向けられているだけです。拘束される話ではありませんし、責任を負うのは、彼の罪が本当だったら、ですよね」
「な、何を……! 貴方はご自身の息の掛かった人物が、今まさに査問に掛けられていると言うのに、何をそんな他人事のような物言いは何ですかッ!」

 ヴァレリー司教は、机の上の書類を両手で示し、にこりと笑った。

「ご覧の通り、今は手が離せませんので。ここで良いなら、お話くらいは聴けますよ? まずは彼が奴隷商と通じていたという、証拠を見せて頂きたいのですが」
「ぬ……! 弟子も弟子なら、その師も往生際の悪い……‼︎」
「彼は別に弟子ではありませんし、年上ですよ一回り以上も。ああ、ラブリンさん、すみませんが査問委員会から、その証拠とやらの写しを借りて来てはくれませんかね? たぶん、ここにいる誰よりも、貴方の方が速いので。
今一筆したためますので、これを持っていけば話も速いでしょう─── サラサラ」
「へ? あ、は、はい‼︎」

 私は走った。何がなんだか分からないが、査問委員会の査問室に走り、証拠の一部貸し出しを求めた。もの凄く嫌味を言われたし、廊下を走るなと、子供にするような注意まで受けた。ただ、彼の書いたメモを見せたら、あっさりと重要な証拠の書類を、まとめて渡してもらえた。
 私は走って、執務室に戻る。

「お、お待たせいたしました! 紛失、改竄かいざん隠蔽いんぺいは処断されますので、重々注意するようにと……」
「あー、はい。ありがとうございます。さて……。うん、はいはい。すみませんラブリンさん、追加で公証管理部からトニオ司教の、ここ二〜三年で提出された、署名の入った書類をいくつか持って来てください。こちらのメモを渡せば、向こうで集めてくれますので」
「へ? は、はいっ!」

 私は走った。何がなんだか分からないが、公証管理部へと走り、トニオ司教の署名入り書類を求めた。やっぱりここでも廊下は走るなと叱られたが、仕方がないだろう!
 そしてやはり、彼のメモを見せたら、スムーズに書類が渡された。私は走って、執務室に戻る。

「はい、ありがとうございます。流石は極光星騎士団第四師団団長、ほんと足速いですね〜」
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……。あ、後は?」
「今はこれで結構です」
「さっきから何をしておられるかッ! 我々は遊びに来ているのではな─── 」
「今確認してますので、お静かに」

 柔らかな口調だと言うのに、このピシャリとはねつける感じは、一体何なのだろう。言葉をさえぎられたアルマス司教は、顔を真っ赤にしてひるんでいた。書類はかなりの量だが、ヴァレリー司教はペラペラとめくり、あっと言う間に全てのチェックを終えてしまった。

「はい。分かりました」
「……な、何が?」
「まずこちらをご覧ください」

 そう言って、彼は宛先別のトニオ司教の書類を並べて、署名を示した。

「トニオ司教の署名が、何だというのですか」
「お気づきになりませんか? 教団内部用の署名、外部通達用の署名、領主関係との契約署名。その他諸々」
「何を言って……。─── ッ!?」

 近くにいた監査部の男達の表情が変わった。その様子に、慌ててデューイ枢機卿代理とアルマス司教の、お汚れコンビも駆け寄って検める。

「トニオ司教には、常々申し上げていたのですよ。我々司教とは、その名前ひとつで信者の皆様に影響を及ぼしますので、勘違いがあってはならないと。署名は重要ですからね」
「「「…………⁉︎」」」
「だ、だから何を言って……」
「お分かりになりませんか? これは教団内部用の署名、これは取引業者用の署名。使う先ごとに、署名の文字に変化を加えているのです。あ、もちろん時期も分かるように、法則に乗っ取ってそれぞれ変えてますよ」
「「「─── ッ‼︎」」」

 そして、トニオ司教と奴隷商がかわしていたとされる、重要書類の署名を指し示す。

「さて、おかしいですね。奴隷商との取引の署名は、全て『教団内部用』の署名になっていますね。時期は一年半ほど前の形式で書かれています」
「そ、そんなもの、何の証拠になると言うのですか!」
「はぁ。奴隷商との密通は問題なんですよね? では何故、わざわざ教団内部用の署名を使うのです? それこそ取引時期の証明だって必要なのに、何故、署名を変えてすらいないのでしょう。
司教まで登りつめた彼が、ポカミス? ありえない。この奴隷商の署名が、何者かの偽装である事に、他ならない」
「……偽装の可能性があると。確かにこれは、詳しく調査する必要がありますな」

 監査部のひとりが、そう言ってデューイ枢機卿代理に振り返ると、貼り付けたような難しい顔で口元だけ微かに歪ませた。

「そ、そうですな……。しかし、出頭させた奴隷商の証言は、確かにトニオ司教であったと」
「では、ここに連れて来て下さい─── サラサラ」

 ヴァレリー司教は再びメモをしたため、こちらによこすと、周りの人間に誰構う事なく仕事を再開する。部屋には困惑する皆の空気と、ペンを走らせる小気味よい音だけが響いていた。

 この状況で、何故彼はこれ程落ち着いていられるのか、私は首を傾げつつメモを握りしめて走り出す。結局、力の無い私は、出来ることをやっていくしか無いのだから。

作者のつぶやき

アルフォンスが陥った『無意識のうちに感情を爆発させてしまった』行動。
実は僕自身もその経験があります。

何かしら否定しかしてこない、でも距離を置くことが難しい相手に、一晩中否定の言葉をかけ続けられた時でした。
気がついたら、自分の怒鳴る声で我に返り、相手は逆ギレして去っていきました。

感情や心とは、分泌されるわずかなホルモンの反応。
あの時は必死で耐え続けていたものが、その分泌量が超過してしまったんでしょう。

元々あまり怒りの感情を持たないタイプなのですが、あの時の自分は議論も許さず、感情のままに相手を叩き潰していました。

アルフォンスの状況を思うに、彼のストレス状態は、人体の機構を逸脱する重圧に苛まれていたでしょう。
ロジオンは傷つける言葉を発した訳では無いですが、アルフォンスの抱える不安と恐怖を刺激してしまった。
取れないかもしれない責任を負わされた様に感じてしまったのかもしれません。

ローゼンが『お風呂に突撃』しても『ああ』で返すくらいですから、そりゃあもうねぇ……。

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