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Episode

禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~

第九章 適合者

第十四話 精神世界

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パッカーとの戦闘で、
アルフォンスの後遺症が判明する。

殺意に対する恐怖。

これからの闘いに致命的な後遺症。
そして、その苦しみの中で再びアルファードに助けられた事により、
アルフォンスは己が『偽物なのではないか』と大きな喪失感に陥った。

その心の振れ幅が治まらないまま、
ローデルハットのギルドでロジオンと再会するも、
彼らの期待の言葉に感情が爆発してしまう。

その時に発した言葉でロジオンと決裂。
ソフィアまで傷つけてしまった事に、
アルフォンスは更に自己肯定感を貶めてしまった。

彼はローゼンにある依頼をし、
歩き出す事を心に誓う。

一方、
突如始まったヴァレリー司教への、デューイ枢機卿代理とアルマス司教からの断罪。
ヴァレリーの元部下であり、タッセル担当の任命を与えたトニオ司教が、奴隷商からの献金を受け、獣人族の奴隷売買に加担していたという。

ヴァレリー司教は任命責任を問われ、査問委員会への出頭を求められるが、これを拒否。
椅子から一歩も動くこと無く、その危機に対応する。

 私は走った。

 何がなんだか分からないが、再び査問委員会に走り、はるばるタッセルから訪れていた証人ふたりを求めて。開口一番『 走 る な 』とかなり怖い顔で言われたが、私は極光聖騎士団、負けないぞ!

 メモを渡したら、顔色を変えてバタバタと慌ただしくなり、証人ふたりが拘束されて連れて来られた。私は証人の男ふたりを抱え、走って執務室に戻る。

「ゼェッ、ゼェ、ゼェ……ッ!」
「すごい! 男ふたりを抱えて、ここまで走ったのですか⁉︎ ここ三階ですよッ⁉︎」

 だって、拘束されてんだもん、こいつら。肩と小脇に抱えて、全力疾走したせいか、ふたりはグッタリしていた。

「ふ……はは。これでも聖騎士団、体の頑丈さはゼェ、ゼェ……。ただ、最近……運動不そ」
「はるばるタッセルからご足労頂き、ありがとうございます。失礼とは思いますが、あなた方のご出身は?」

(スルーされた……⁉︎)

 証人の男ふたりは、不貞腐ふてくされた様子で『タッセル』だと答えた。

「重ね重ね失礼ですが、よく教団の出頭要請に応じられましたね」
「そろそろ足を洗おうって思ってたんだ……」
「そうだったんですねぇ。それで出頭に応じて、ここに保護される形を選んだと。無駄のない良い判断です。では、保護をするにも、戸籍を移さなければなりませんね。加護カードを確認させていただいても?」

 成人の儀は教会で行われ、加護カードの内容と共に戸籍に登録されるもの。生まれを特定するには、加護カードから帳簿を遡るのが一番だ。彼は証人を疑っている? しかし、彼らは何らおくする事なく、加護カードを提示した。

「ふむ。なるほど、ありがとうございました。では、戸籍移動のため、タッセルの方の抹消をいたしましょう。ラブリンさん」

 ま……また……⁉︎ 私は走った。

 何がなんだか分からないが、何の所縁ゆかりもないタッセルの奴隷商のために、戸籍管理部へと彼らの戸籍照会と移動手続きの為に。ここでも『走るな』と注意されかけたが、慌しさに余裕をなくした私の『面倒くせぇ』のつぶやきに、何かを察してくれたのか応じてくれた。

 照会と移動登録は一瞬だった。確かにあのふたりの戸籍はタッセルにあり、氏名と住所、加護カードの内容は一致している。私は走って、再び執務室に戻る。

「あはは♪ 速い速い! 滞りなく、彼らの戸籍照合と移動手続きは完了したのですね?」
「ゲホッ、ゼェ、ゼェ……ゲホッ(コクン)」
「そういえばラブリンさん。あなたは【天秤の戦乙女リリファス】の加護をお持ちでしたね? 一応なんですが、彼らの加護をご確認いただけますか?」
「…………? ぜぇはぁ、ぜはぁ……(コクン)」
「「─── !」」

 私が聖騎士団に入団できた要素のひとつは、【天秤の戦乙女リリファス】の加護【天恵の眼カハナロゥド】だ。この加護があれば、誰の加護でも読み取る事ができ、戦闘には大きく有利に働いてくれた。アルフォンスの加護を読んだ時は、流石に笑ったが。ただこれ、結構疲れるのだ。

「んんっ? これは、お前達の持っている加護カードの内容と、違うではないか……?」
「ば、馬鹿言うんじゃねえッ! その女がデタラメ言ってやがんだ!」
「おや、彼女が嘘をつく必要がどこに? 加護カードの偽造・偽証は罪が重い、加護を使った証言ですから、虚偽であった場合は彼女の罪が問われてしまいます。トニオ司教とは別件の、あなた方ふたりの戸籍に関して、何故そんな嘘をつくというのでしょう?」

 ふたりの顔色が、どんどん悪くなっていく。それはそうだ、加護カードの偽造は重罪。教会の信用をおとしめるからな。加護カードの内容が間違っていたのなら、まだ何かの間違いがあり得るかも知れないが、名前と住所の登録内容まで一致していたとなれば……偽装だったのは明白だ!

 彼らは元々、なんら罪を問われる側ではなかったのに、ここに来て加護カード偽装の罪が問われてしまった。

「ああ、もしかして、あなた方が嘘をついているので、他人に対してもそう発想してしまったのでしょうかね」
「「─── ッ‼︎」」
「ラブリンさん。彼らの本名と加護は確認出来ましたね? もうひとっ走り、正しい情報で彼らの戸籍照合を」

 私は走った。乾いた前歯に上唇がくっついて不快だが、とにかく走った。

 戸籍管理部の担当は『またアンタか』と、眼でそう言ってるが、知ったことか。照合も一瞬で済み、私はその内容の書かれた証明書を持って、また走った。私は走って、執務室に戻る。

「すごい、さっきより速くないですか?」
「だ、だんだん走るのが、フワァって気持ちよくなって……。いや、なんでもありません。こちらをどうぞ……フーッ、フーッ」

 彼は笑いを噛み殺しながら、戸籍証明書を手に取って、にこりと笑った。

「おや? あなた方はタッセルではなく、ここアルザスの生まれではありませんか。んー、確かこの地名は、あなたの別邸がある場所でしたね。
─── アルマス・コーリオプシス司教」
「い……ば、や、くっ! ぐ、偶然だッ‼︎ そ、そんなもの、偶然に決まってるッ‼︎」
「あー、私はただ、あなたの別邸と近いですねと申し上げただけですが……。その反応は何とも、焦り過ぎでは? ああ、ご自身が疑われているとお思いなのですね。では、ご安心していただきましょう。監査部の皆さん、この一年半のアルマス司教の、行動記録の調査をご提案いたします」
「な……ッ! そんなッ⁉︎」
「清廉潔白を証明出来るのです。やっておいて損は無いのでは? ……真に潔白ならですが」

 アルマス司教の顔には、滝のような汗が流れ、床に滴り落ちている。その様子をヴァレリー司教は、ニコニコしたまま、ただ眺めていた。

「デュ、デューイ枢機卿代理……!」
「あなたの潔白証明でしょう。お受けしなさい……アルマス君。では、私はこれで失礼しますよ」

 足速に去っていく、デューイ枢機卿代理の足音、アルマス司教は監査部の人間に囲まれて、うなだれて部屋を出ていった。

「ヴァレリー司教。その机から一歩も動かずに、あなたはこの窮地を……。 見事です」
「あははは、内心ドキドキでしたよ? それにラブリンさんがいなかったら、証明できるものは、非常に少なかった。ありがとうございます」
「私は……ただ、出来ることをやったまでです」
「はい。私もなのです。以前申し上げましたでしょう? 功を焦る者は、ふとした事で覆されるもの、出来ることを積み上げたものは盤石です。さて、お仕事を続け……いや、まずはお茶にしましょうか」

 そう言って、彼は今日初めて椅子から立ち上がった。重大な局面で、一度も腰を上げなかった男が、お茶を淹れるためだけに立ち上がる。

「うお─── ッ!」

 そして盛大に、アルマス司教の脂汗に足を滑らせ、脇腹から床に叩きつけられた。ドフゥンと鈍い音がして、こっちの心臓が止まりかけたわッ!

「ヴァ、ヴァレリー司教⁉︎ だ、大丈夫ですかッ⁉︎」
「ぐふ……っ、つ、つはは。何のこれしき。全ては、ラミリア様の思召し……」

 そこに横たわる優男は、いつもの『たんぽぽ侯』と称される、ぽやぽやした雰囲気の笑顔で弱々しく笑っている。ああ、いつものかと溜息をつき、私はこの飛切りキレ者で強く、ひ弱な男に手を差し出して苦笑するしかなかった。

 ふふ、にもこんな弱い所、あったりするのだろうか?

─── 数日後、トニオ司教への嫌疑は晴れ、査問委員会から、アルマス司教の更迭こうてつの報せが入った

 ※ ※ ※

 ふと目が醒めると、閉め切っていたはずの部屋に、風が吹いている。頰をでる、柔らかな感覚に、目が覚めたのだろうか。

 カーテンが微かに揺れている。真冬の夜風にしては、冷たくもなく、むしろほんのりと温かくさえ感じた。

「…………?」

 窓を確認しようと寝ぼけ眼で立ち上がり、カーテンを開けて見たが窓は、開いてなどいなかった。窓の向こうには、大粒の雪がしんしんと振り続けているのが見えている。しばらくその風景に見惚れて、さっきまでの風は何だったのかと、首を傾げた。まあ、寝ぼけていたのだろう。

 この地方には珍しく、本格的に積もった雪のせいだろうか。潮騒しおさいの音すら吸い込んで、耳鳴りがする程の静寂が、辺りを包んでいた。

 キシ……ッ

 寝台に戻り、腰を乗せた時の小さな軋みが、夢では無いのだとハッキリさせる。仰向けで枕に頭を預け、もう一度目をつぶった時、足元が沈み込むのを感じた。

 キシ……キシ……キシ……

 気のせいじゃ無い。気配も何も無いのに、何かが俺の足先から這って、顔に向かって来る。だが、体は何かが切れたように、全く動かなくなっていた。

「だ、誰だ……ッ⁉︎」

 雪明りの薄っすらとした闇の中で、それは俺の体を這い上がり、俺を見下ろした。

「あろ。ローゼンちゃんなのですよ☆」
「ばッ、何して……! いや、その格好はヤバイだろ……ッ」

 普段のお下げ髪を真っ直ぐに下ろした、栗色の長くサラサラとした髪が、四つん這いの彼女の胸元を隠している。情熱的に大きく開かれた青い瞳、上気して薄っすらと染まった頰、つややかな薄桃色の唇。いたずらっぽい笑みを浮かべる口からは、ちらりと白い牙が見えていた。
 身につけているのは、シースルーのネグリジェのみ、下は履いているのかすら分からない。

「何って……ダーさんに、お呼ばれされたから、来たですよ? 『今夜、俺のとこへ来い』って、アレは……ときめいたのです♡」
「ぬ、ぬむぅ(そう言わせたんじゃん)」

 ローゼンに『アルファードと向き合う手伝いをしてくれ』と頼んだところ、そう言わされた。多分、彼女にしか出来ない事だから仕方なく……。本人はすごく嬉しそうだったが、婚約者連合の視線が怖くて、そういうノリはやめて欲しいと切に思った次第だ。

「で、こ、これはどういうつもりかな? 何でこんな真夜中に……っていうかね、動けねえんだけどさぁ?」
「ふっふーん、真夜中なのは、皆さんが寝静まってるからなのです。ダーさんは本能的に、皆さんを気遣ってしまいますからね」
「こ、この金縛りと、君の……か、格好は?」
「てへっ、これは大事なことなのですよ。なんせ、これから数万年ぶりに、ですからね〜♪」

 ヴァンパイアする……? あッ、完全に忘れてた! こいつヴァンパイアのプロトタイプだったわ!

「お、俺を吸血鬼にするもりか⁉︎」
「うーん、それも永遠にご一緒出来るので、魅力的ではあるのですが、ダーさんが下僕になるんじゃ虚しいだけなのです。今回は、血液だけ頂くですよ〜」

 やや呼吸荒く、俺の上に四つん這いになった彼女は、恍惚の混じった興奮が見てとれる。どうやら真祖以上のヴァンパイアは、ただ血を吸っただけでは、相手を吸血鬼にはしないらしい。『そうしようとすれば出来る』のだそうだ、便利だね。

「で、何で俺の血が必要なんだよ?」
「血は生命の源、記憶や思考はもちろん、魂の情報も含まれてるですよ。それを私が得られれば、ダーさんが『アルファードだーさん』と向き合っている間、魔力とか感情の暴発を制御してあげられるです♡ 鬼族の妖術を使う時と同じく、ダーさんはひたすらに、内の存在に集中すればいーのです」

 思わず『おおっ、そんな方法が‼︎』と声が出そうになるのを、彼女の人差し指が唇に当てられて黙らされた。

「しぃ〜なのです。寝静まった皆さんを、さらに深い眠りに落としてるとは言え、女神ふたりに守護神クラスのネコちゃんたち。ダーさんの強い感情で、抵抗力の強い彼女たちは、起きてしまうかもですよ……クスクス」

 悪戯っぽく笑いながら、彼女は俺の唇をつんつんして、その指を自分の唇に当てた。なんか今夜のローゼンは、ゾッとするほどに綺麗で、魅了されてしまいそうな危うさがある。
 彼女は唇に押し当てていた指を離し、妖艶ようえんに微笑むと宙に掲げた。

「─── 【絶対なる箱庭アルジェ・ガルデ】」

 膨大な術式が流れ、仄かな光が、俺達のいる寝台をすっぽりと覆う。これ、結界なのか……? 魔力も何もかも、完全に遮断されてる⁉︎

「ダーさんの魔力の暴発もヤバイですが、私もちょっとヤバそうなのです。結界だけは、ガチで厳重なのにしとくのです」
「え……っ。君まで魔力を放出するのか⁉︎」
「なに言ってるですか。これからヴァンパイアが血を飲むですよ? それも純潔そのもの。魔力もべらぼーに上質で大量な、超優良物件をゲットするですよ? た ぎ る に き ま っ て る で す」

「だ、大丈夫なのかなぁ、飲ませちゃって(うぅ、童貞がバレた)」
「って、ダーさんもさっきから……ずいぶんとたぎってるですけどね♡」

 金縛りにされたままで、体感覚が薄いから気がつかなかった。薄着っていうか、むしろ着てる意味があるのかすら疑問な格好の彼女が、俺の上にまたがってるワケでしてな。それも初めて見る彼女の妖艶な表情に、終始ドキドキしっぱなしな上、腰をくねくねよく動かすんですわ。
 ……うん。これ絶対、履 い て な い。

 アルフォンスは、とっくの昔に、ゴールマイン。顔が動かせないから、せめてもと目をそらすと、くすくすと彼女は笑った。

「じゃあ、始めるですかね。ちょっとチクッてするですけど、男のコだから大丈夫ですよね♡」
「へ? あ! うぅぅ……」

 今までで最大級のエロティックな微笑み。いや、もうこれエロだ、この人えっちだ。彼女の体が俺の上にゆっくりと押し当てられ、さらりと鼻先に流れた髪から、甘美な香りが漂う。シャツの上から押し当てられた、彼女の豊満な膨らみの先に、つんと感じる蠱惑的な抵抗感。

 口づけをするような距離に顔が寄った時、微笑んでいた唇を戸惑わせると、青い瞳が妖しく光る紅い瞳へと変化した。髪を耳にかき上げ目を細め、何かを頬張るように口を開け……
─── 俺の首に、牙を突き立てた。

「くっ……あ、うぁ……っ」
「ん♡ んっ、んっ、んん……っ♡ ちゅ、こくっ、こくん……っ」

 痛みはすぐに消えた。血が吸われているのは、そこに密着した彼女の口の動きで、何となく分かる。そこから自分の中の、何か温かいエネルギーのようなものが、流れ出る薄っすらとした感覚。恐怖心や不快感は無い。

 ただ、その……信じられないくらい、キモチイイ。耳元で囁くように聞こえる、こくんこくんと鳴る彼女の喉と、喘ぎにも似た小さく甘いうめき。

 金縛りにされてなかったら、俺、正直どこまで理性が保てたか分からない。そんな、自分が自分じゃ無くなってしまいそうな不安感だけが、胸の奥で何かと綱引きしていた。

「ん……っ♡ こくん」

 やがて彼女の唇が離れ、俺に跨ったまま上体を起こすと、目を閉じたまま髪をかき上げた。顔に張り付いた数本の髪の毛に構わず、彼女は俺の血に濡れた唇に指を這わせ、恍惚の表情でのけぞった。俺はただそれを呆然と見上げ、離れた体温に言いようのない寂しさを感じ、彼女の恍惚に見惚れていた。

 ドックン……ッ‼︎

 世界が揺れた。その衝撃に、ようやく我に返るが、今度は目の前の存在に圧倒されてしまった。上を見上げた彼女の肢体が、仄かに瞬く紅い光に覆われ、その奥底から押し潰さんばかりの魔力が押し寄せる。それはどんどん勢いを増し、俺はただ息を止めて、へし折れないように耐えるしかなかった。

─── 『プロトタイプにだけは挑むな』

 その言葉の意味が、まだまだ俺は分かっていたつもりなだけだったようだ。こんなもの、星のエネルギーそのものじゃないか! これだけの力を持つ存在が必要だったとは、太古の世界は、一体何だったと言うのか。

「……ふふふ…… お い し い ……」

 彼女が、恐ろしい。だが、この力を持って生み落とされた彼女は、どれほど孤独を味わって来たのだろう。『人と関わりたくない』と言った彼女の本心が、その孤独の裏返しだったんじゃないかと思えた。それと同時に、今目の前で貪欲に俺の血を吸収しようとしている彼女に、何か生物としての健気けなげさのようなものを感じてしまった。

─── 不死の王、永遠の夜、闇の散歩者

 ヴァンパイアと呼ばれ、アンデッドの最上位だと言われているが、多分それは誤りだ。ブラド神族。彼らは、血を求めるアンデッドなどでは無く、捕食したエネルギーと魂の記憶を背負って生きる、れっきとした人族なんだ。その凶暴なまでの生命の美に、ただ茫然と目を奪われていた。
 と、いつの間にか彼女の魔力は鎮まり、何処か寂しげな表情で、俺を見下ろしている。

「私が……怖いです?」
「うん? 怖いよ、これだけ圧倒されたら、そりゃあ怖いさ」
「…………そう……ですよね……」
「でも、それ以上に─── 」

 荒々しい海のように、空を覆う雷光のように、恐ろしさの後ろにある美しさ。言葉は悪いかも知れないが、深い自然の中で野生生物を見た時の、研ぎ澄まされた輝き。そんな事を感じていた。

「純粋な種族の原点っていうのかな? 生きる力とか、そういう強さの持つ美しさを感じて、思わず見惚れたよ」

 魅了されているのだろうか。思った事が、口をついて自然に出てしまった。

「ああ……あなたは……」

 血の記憶で、思考を読まれちゃったのかな? 彼女の瞳からは、紅い光が消えて、深い海のような青へと戻っていた。傷つけてしまっただろうか。最近俺は、人を傷つけてばかりだ……。人を守れない、人との関係を守れない。その恐怖が俺の根底にあるのだと、まざまざと理解して、心が小さくなる。

 ちゅっ

 突然、唇を奪われた。小さく冷えた心の感覚が、その温かさにこじ開けられた気がする。目の前には、いつもの柔らかな表情に戻った、彼女の顔が微笑んでいた。

「ホントにあなたは、ダーさんなのです。ごあんしんあれなのです。今は別に【魅了テンターション】とか、使ってないのです。あなたの本心を、あなたの口で告白してくれたのです。ローゼンは、長い長い孤独を、埋められてしまったですよ……♡」

 猛烈に恥ずかしい─── ! 俺、かなりくっさい事、口走ってたよな⁉︎ しかも、俺の思考丸わかりなんだよな。

「あ、でもダーさんはひとつ勘違いしてるですよ?」
「え、な、なに?」

 再び唇を重ねられた。今度は情熱的な、求めるような口吻。

「……ノリとかじゃなくて、思い込みとかでもなくて。本当にあなたをです」

 その言葉が俺の心の中の何かを、引きずり出してしまった。胸が高鳴り、ローゼンの目に釘付けになる。だが、その時、彼女の表情が微かに歪んだ。

「─── クッ、これはヤンチャなのです。ダーさん、よく人の身でこの衝動を抑えて来れた……ですね」
「衝動?」
「ダーさんの血に入ってた、アルファードだーさんの、たぎるようなですよ」

 破壊欲求? いや、むしろ今まで何処か本気を出さないように、ブレーキが掛かってたくらいだが。もしかして、本能的に俺はアルファードを抑え続けていたのか……?

「さて、ダーさんとも繋がれて、準備は万端。さあ、 会いに行くですよ、昔のダーさんに」

 ローゼンは俺の胸に手を添えて、何かを送り込んでいるようだ。体の隅々まで行き渡る、強力な安心感の中、俺は自然と術の導入へと意識が持っていかれていた。

 ※ ※ ※

 視覚、聴覚が脳内の闇に押し消され、俺は白昼夢のような、イメージの世界へと没頭していた。そこにあるのは、以前鬼族の祭りで陥った、自分の中で巨大な闇が突き上げてくる世界だ。
 またあの時のように、体の奥底から魔力が怒涛のように噴出されるが、それを青白く光る黒いいばらの蔦が隙間なく覆って防ぐ。

『大丈夫なのです。このローゼンが守ってるですから、安心して集中するですよ〜♪』
『ああ、すごいよローゼン。この安心感は勇気が出る……』

 背後には彼女の気配がある。この精神世界は無音の闇だが、彼女の声だけは、脳内に直接響いていた。どうなっても大丈夫。俺が何者にもなる事はない、この安心感が暗示のように、深く意識を向ける後押しをしてくれている。

 鬼族の里で、プラグマゥとの闘いで、乗っ取られると感じた恐怖はもう無い。

 巨大な闇の中心に、意識を向けていると、勝手に体がそっちへと進んでいるのを感じた。闇はより暗く、質量すら感じる魔力の中へと、どんどん進んで行く。そして、突如、視界がひらけた。

─── ふたつの巨大な満月が浮かんでいる

 足下には蜘蛛の巣で作られた、長い吊橋のような道が、ちょうど月と月の真ん中に伸びていた。

 ……ふたつの月、蜘蛛の巣。俺はここに何度も来た事がある。いつだったか思い出せないのに、この異様にハッキリとした既視感は、何なのだろう。俺の深層心理の心象風景だからなのか?
 ローゼンの気配と体温は、俺の中にしっかりと息づいている。しばらく眺めていたら、この風景への感情の揺れも治って、心が平坦になってきた。

 蜘蛛の巣を、一歩踏み出す。キシキシと太い糸の軋む振動が、足裏を通して伝わるが、やはり音はしない。

『……この世界、音が無い……のか』
『んー、まだダーさんに恐怖心があるですね。初体験なので、仕方のないことなのです』

 そういうものか。一歩進み出せば、勢いがつくもので、俺は続けて吊橋を渡っていく。現実の風景とは違うのか、月は少し進むだけでも大きくなり、実際の月とは遠近感が違うのが分かる。その違和感に気を取られているものの、心は概ね平静を保てていた。

 しかし、何故月がふたつなのだろう。

─── ひとつは俺、もうひとつはアルファード

 急にそんな荒唐無稽こうとうむけいな言葉が頭をよぎると、ストンと腑に落ちてしまう。この言葉は、以前に誰かから聞いた事があったんじゃないかと思っても、この風景を知る者は俺の他にはいないはずだ。フッと頭に浮かぶ事が、一瞬の内に複数の記憶に繋がりかけるが、考え自体はまとまらない。

 浮かんでは消え、浮かんでは消え。瞑想をしている時の、導入部分の心のさざ波に似ている。

 そうして色々な発想を受け流して歩いていたら、目の前にそれは佇んでいた年は四〜五歳、黒く艶やかな髪に、紫水晶の小さな角。ぽてっとした唇に、あどけない頰、そしてそこにある深淵を覗いているような紅い瞳。……年相応なのは見た目の要素だけだ。

 数百年を生き抜いた、怪物の如き圧倒的な存在感、それでいてはかない空気をまとった少年。

─── アルファード・ディリアス・クヌルギアス

 本当の俺……いや、失われた記憶以前の頃の俺がいた。彼はただジッと、俺の目を射抜くように見つめて、何を思うのか。初めて父さんのいる部屋に入った時以上、いや、下手をすればローゼンにも匹敵する、絶対的な魔力と覇気を噴き出していた。

 そして、心臓をえぐり取られるような、冷たい殺意の波動が、表情と共に表に出ている。あのプラグマゥが、赤児の手を捻るより易く、簡単にあしらわれたはずだ。

 魔王─── 。
 紛れも無く魔王を継ぐ、絶対王者の血。

『これ程とは……。ダーさん、大丈夫ですか⁉︎ 危ないと思ったらすぐに……』
『いや、いい。大丈夫』

 更に近づくと、アルファードは口を動かして、何かを一言二言つぶやいたようだ。その瞬間に、彼の周りには膨大な黒い魔力の渦が現れ、俺の足を阻む。だが、俺はそれに全力で抗って、彼の元へと進んだ。

 これは拒絶じゃない、彼の感情が揺れただけ。それでもこの高波のような、猛烈な圧力が、押し寄せている。

 そうして、彼の目前まで辿り着く。顔の印象は大分違うが、父さんの記憶に見た、俺の幼少期そのもの。この精神世界で、一目見た時からわかっていた……彼は紛れも無く俺だ。

 怒り、憎しみ、哀しみ。三百年近く前、勇者に全てを奪われた子供は、あの時からずっとここで、それらに囚われ続けていたんだ。俺の代わりに─── 。

『ごめんな……。ありがとうな、アルファード』

 思わず彼を抱き締めて、言い知れぬ感情に喉を詰まらせながら、俺はそう言わざるを得なかった。どれほど、そうしていただろう。この無音の世界で、俺の声が彼に届いたのかも分からないが、静かに彼は抱かれるままにしている。

 トン……トン……トン……

 抱き締める俺の脇に、彼の小さな手が戸惑うように伸びて、ぽんぽんと微かに叩く。言葉は通じない、でも、これだけでも色んな事が伝わって来る。彼は、幼い俺は、悪感情と、魔王の継承する強大な力の門をしてくれていたんだ!

 俺はあの後、安全に生きながら伸び伸びと……。いや、一般人に比べれば、修羅のような生活だったワケだけども。少なくとも彼のお陰で今の俺があり、代わりに彼は、進む事の出来ないこの世界に留まった。

『なぁ、アルファード。俺はどうしたらいい? 俺はお前に何を……』

 彼の肩を掴んだまま、顔を見合わせる。やはり、負の感情に呑まれたままの表情で、心をえぐられるような、本能的に震えを呼ぶ殺意すらまとっている。だが、彼は静かに目をつぶり、無音の中で唇を動かした。

─── ま っ て る

 彼は俺を押し出すように、魔力を急激に膨れさせると、世界を再び闇に塗り替えた。

 その濃密な魔力に触れた時、俺は勇者に植えつけられた精神的外傷トラウマが、何処から来たのかをはっきりと理解した───

作者のつぶやき

ようやくアルファードが歩き出す道筋が開かれました。
そして、別の所でヴァレリー司教もその頭角を現し始めています。

小さな出来事のようで、先につながる出来事が始まっている。
そんな気配が出てきました。

そして、これはもう新たな婚約者がまたひとり……。
そんな気配に満ち満ちております。

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