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禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~

第十四章 クヌルギア

第十四章│第八話 待つ者たち

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人界は今、
帝国派と反帝国派に分断され、
大きなうねりを起こしている。

ハンネスは、
聖剣の在り処の情報を掴み、
すでに人界へと向かった。

時間はそれほど残されてはいない。
破壊神アスタラへの挑戦は、
その焦燥感の中、
確実に前へと進んでいた。

クヌルギアを通過し、
アルフォンスはナナワルトルの塔へと挑む 。

延々と続く巨大な螺旋状の回廊が、
はるか地下へと続く構造。

ナナワルトルの塔内部には、
膨大な数の強力な魔物で溢れ、
歴代の魔王や候補者達の思念が溢れていた。

アルフォンスはそれらを殲滅しながら進み、
そこで得られた極大な魔力を吸い上げ、
常識をはるかに超えた成長をしていた。

そうして塔の深部に近づいた時、
赤黒い全身鎧の剣士が現れる。
二百八十七代魔王ゴフェル。

己の剣の道を極めるため、
ナナワルトルの塔内部で後継者に王位を渡し、
自ら塔に残った男。

アルフォンスの力に魅入られ、
つい闘いを挑んでしまったという彼は、
風の神フォンワールの加護『風来坊』を受け、
千数百年ぶりに外へ出る決意をする。

アルフォンスは塔の最深部を進み、
とうとう破壊神アスタラと遭遇する。

猛烈な殺意に呑まれたアルフォンスは、
アスタラの声に一切耳を傾けず、
瞬時にアスタラを殺した。

その膨大な魔力の恩恵を受ける中、
アスタラはさらに強力な存在として復活。

アルフォンスの最大限の力を引き出すまで、
愚直な命の奪い合いは続く。

 診療所の玄関脇に菖蒲あやめの花がちらほらと咲きはじめていた。春も終わりに差しかかり、この花が咲くようになると、そろそろ鬼族の村では豊作祈願ほうさくきがんの祭りの準備がはじまる。

 菖蒲の植え込みの回りに、誰かが立てた風車が、一斉にカラカラと回り出した。この風は、夜にでも雨を降らす、そんな気配がしていた。

「おやぁ、そういえばローゼン。今日はユニちゃんは、おらんようだねぇ?」

 診察を終え、帰り支度をしていた老婆が、カルテにペンを走らせているローゼンに話しかけた。

「ああ、昨日からユニちゃんは、修行に出かけてるですよ~。ユニちゃん、ツツジさんに会いたがってたのですよ。帰ってきたら遊んであげて欲しいのです♪」

「ひぇひぇひぇ。あの子は可愛くてイイ子だからなぁ、そりゃ大歓迎さね。しっかし、修行かい? どこまで行ってるんだね」

 この老婆ツツジは、かつてローゼンに鳥草紙ちょうぞうししろにした、式神を教えたあの老婆である。『想相探そうそうさがし』のおまじないで、見事にアルフォンスとローゼンをつなげた、やり手な人物でもある。ツツジはローゼンと、その弟子となったユニをいたく気に入り、何かしら二人のところに来てはおすそ分けなどをしていた。

 今日は高齢だからと受けるようになった、定期健康診断と、高血圧の治療に訪れていた。

「ユニちゃんは今、スメラキアの鉱山村に行ってるのですよ〜」
「スメラキアかい? なんだい、魔物でも出たのかい? 怖いねぇ、ユニちゃん大丈夫かね」

 スメラキアの鉱山村は、この鬼族の集落から、歩いて三日ほどの場所にある。古くからつづく銅と鉄の鉱山であり、今も広がっていて、廃坑も多々ある。時折その廃坑に、魔物が住み着くことがあり、他の鬼族たちに討伐の救援要請が出された過去もあった。
 しかし、ローゼンは書物をしながら、片手をひらひらと振った。

「いえいえ、魔物騒動ではないのですよ。ユニちゃんは、鉱山村に新しい役場を、建てに行ってるです♪」
建てる・・・? 修行って大工になる修行かい? あんな小さな体で……」
「ふふふ、大工ではないのです。れっきとした魔術の修行なのですよ~これが」

 ツツジは『へぇ』と小首をかしげている。

 ユニがローゼンに弟子入りをしたこと。そして時折、人智を超えた戦闘訓練をしているのは、この里では有名である。ツツジはその修業を知ってはいても、孫のようにかわいがっているユニに、とんでもない力があるとは、どうしても信じられなかった。
 『かわいい=可憐』。そんなステレオタイプでユニを認識しているのである。

「まあ、なんだか分からないけど、危なくないってんなら、いいんだけどねぇ」
「ぜ~んぜん危なくなんかないのです♪ ユニちゃんも強くなって、ワナラキアもレジェレヴィアと交流を深めるための施設が手に入って、ウィンウィンなのです☆」
「うぃん……うぃん……??」

 と、診察室の開いていた扉を、コンコンと叩く者があった。

「おお、先生。これはウチの裏で取れたのだ。ユニちゃんと食べてくれ!」

 カゴいっぱいのフサスグリを持った老人。元族長で、アルフォンスから胃潰瘍いかいようの治療を受けたエンザである。

 彼はあれ以来、ローゼンのことを認め、今では鬼族の医療向上にとても協力的だった。あの頃の意固地いこじな雰囲気は微塵みじんもない。

 かつては薬を飲むことさえ、恥と意地を通した、その鬼族に良い変化が起きた。それがとても分かりやすい人物である。

「おお、ツツジか、久しいな。そろそろ田起こしが始まる時期か?」
「ひぇひぇひぇ、田起こしなら息子夫婦がもうやっちまってるさね。今は苗を育てるので、てんやわんやだよぉ」
「うむ、今年は朝晩の温度差があるからな。もし苗代なわしろにかけるむしろ・・・が必要だったら、遠慮えんりょなくオズノにでも声をかけてくれ」

 カルテを書き終えたローゼンは、ふたりの会話をニコニコと、楽しそうに眺めている。彼女にとって、こうした彼らの自然な会話の中にいられることは、自分を受け入れてくれている証拠だと喜ばしいものだ。

 かつては頑固がんこなエンザと、気の強かったツツジ。何度となくいがみ合ったこともあったらしいが、今ではすっかりふたりともかどが取れて、穏やかな関係を築いていた。

 この変化も、アルフォンスやローゼンが起こした鬼族の変革の賜物たまもの。病や怪我の心配がなく、レジェレヴィアの都市と交易を結んだことで生まれた、安定と余裕のおかげだろう。ローゼンは、その事実もまた、誇らしく思っていた。

「ん? 今日はユニちゃんは、おらんのか」
「あんたもあの子がおらんと、さびしくてしょうがないって顔だねぇ。ひぇひぇひぇ」
「なっ、いやっ! …………そうなのだ」
「「ぷっ!」」

 恥ずかしさを誤魔化そうとして、すぐにムダな努力だと悟ったエンザは、ツツジと思わず吹き出す。ふたりの笑い声は、診療所の外にまで響いた。老いているとはいえ、彼らは巨躯きょくをほこり、身体能力の優れた鬼族。

 まして田園で若い者達に指示を飛ばすツツジと、それまでは短気で頑固者で有名だった元族長のエンザ。まあ、声がでかいのだ。ローゼンはそんなふたりの豪快な笑い声にさえ、温かな気持ちになりつつ、そっと耳に静音の術式を展開している。

「ユニちゃんは、修行でスメラキアにお出かけだってよぉ」
「スメラキア? なんだってあんな岩だらけなトコへ行くんだ? 修行なら先生が、いつもみておられるではないか」

 ふたりして『そうだそうだ』とローゼンをつつくが、彼女は少しだけ悪戯いたずらっぽい笑顔で羽ペンを振る。

「フフフ、このローゼン考案の修行なのです。ご心配はご無用なのですよ」
「あ、いや。先生のやり方を疑っているのではなくてですな……」
「さびしいだけだろうがね、あんたは」

 エンザはよく日に焼けた顔を、真赤にしながらも、ちょっとねたように口を尖らせる。

「ユニちゃんは、スメラキアに、役場を建てに行ったですよ。これからあのレジェレヴィアとは、太いパイプで繋がるですからね♪」
「ああ、中央諸国のなんたらって国が、内乱で鉄が採れなくなったとかいうアレか」
「ペルグス共和国なのです。あそこはかなりキナ臭い状態ですからね~☆ 今や鉄と銅は、世界中で足りなくなっているですよ」

 キナ臭い状態とは、かつて中央諸国公開討論会で、ローフィアスがゲームとして、反帝国派のペルグス共和国をつついた結果である。

 ローフィアスとヴァレリーが見抜いていた通り、ペルグスの上層部の腐敗が明るみになったことで、かの国には内乱が立て続けに起きている。鉄鉱石の産出に優れ、鉄の加工技術を独占していたペルグスが、その問題の発祥となった鉄関連の施設で内乱に見舞われた。

 結果的に世界では現在、鉄の供給が間に合わず、市場は混乱している。

 各国は戦乱のニオイに敏感になり、軍備を進めるが鉄不足。武器などの軍備に、鉄はもちろんとして、代用に銅も使いはじめた。それまで低く見られていた、中央諸国外の鉄や銅にまで、関心が高まっている。

 同じく始まったのが、鉄を節約するための銅の需要と、銅貨の価値の上昇である。

 悪化の一途をたどる世界情勢への不安から、世界は金と銀を、貯えておこうする。代わりに銅貨がその担保として、強く求められるようになった。

 エンザを始めとした鬼族は、人間族の社会とは、それほど関わりを持っていない。帝国と反帝国の情勢は、対岸の火事のようなものだった。しかし、レジェレヴィアを通して、医療・医薬、名産品が世界で話題となっている。鬼族が興味を持たずとも、世界はその存在を、放ってはおけない状態にある。

 そこに降ってわいた、銅と鉄の需要は、大きな富をもたらすだろう。

軍事特需ぐんじとくじゅ鋳造特需ちゅうぞうとくじゅってやつですかね~♪」
「……ううん? いやいや、先生。それは分かったが、そんな中枢ちゅうすうにあたる役場を造るとなれば、それは大がかりになるのではないか? フロレンスきょうからは何も聞いておりませぬが……」
「でしょうね~♪ ここまでツェペアトロフのフロ坊ちゃんには、ずいぶん頑張ってもらったのです。お礼にちょちょいとプレゼントなのです☆」

 ツェペアトロフのフロ坊ちゃんこと、フロレンス卿とは、シモンの実の父親である。彼はアルフォンスを痛く気に入り、更には自分のご先祖様ともいえるローゼンには、頭が上がらなかった。結果、今や全面的に鬼族の生活向上に協力的である。

 これまで新薬の製造・流通、それに関わる手続きを始め、鬼族たちの生産品を輸出するなど、大きく関わってきた。今では学問を納めたいと考える者を、レジェレヴィアに受け入れて留学させるなど、その尽力は幅広い。

「いやいや、待ってくれ先生! ってことは、建設の資材だの、道具だの、人足だのはどうされるおつもりか? そこにティフォちゃんひとりで……? スメラキアは材木なんか取れやしない土地。その調達だって……」

 エンザが混乱するのも無理はない。外貨獲得のための、鉱山の窓口ともなる役場の建設。本来ならば何ヶ月もかけて、その一部を仮使用できるように建築し、何年もかけて完成に向けてゆく大工事だ。

 しかし、それらの準備の話は、名士であるエンザの耳にも入っておらず、フロレンスにすら伝えていない。物資も人も、何もかもが手配されていない状態で、ユニという少女をただ行かせただけ。不可能も不可能、無駄足になるだけである。だが、ローゼンは人差し指を立てて左右に振る。

「ふっふ~ん♪ そこがローゼンちゃんの考えなのです。まあ、そう時間もかからず、ユニちゃんもすぐに帰ってくるから、ご安心あれなのです」
「……すぐに……帰ってくる……?」

 ユニちゃんファンのエンザは、未だ納得がいかないようだったが、ローゼンがそれ以上を語りそうもなかったのであきらめた。

 しばらく診療所で三人は雑談を楽しみ、その日は解散となった。


 ※


 三日後。

「ただいま〜なの!」
「「「……!」」」

 診療所の窓から、ユニが顔を見せてあいさつをした時、中にいた数人の顔が驚きの色に染まった。
 ツツジとエンザ、ツェペアトロフの当主フロレンス。今まさにその話をしていたユニが、突然あらわれたのだから、驚くのも仕方がない。

「フフフ、おかえり〜なのです☆ さすがは天才、仕事が速いのです♪」
「えへへ、お師匠のスケッチが、とっても分かりやすかったの! 場所さえ決まれば、あっという間に終わったの♪ ところでみんな集まって、どうしたの?」

 窓枠に両肘を乗せて、ユニはニコニコと笑いながら、尻尾を楽しげにピンと立てている。その姿にツツジとエンザは即オチし、それまでの会話がなかったように、にっこにこでとろけていた。ローゼンにうながされて、ユニが診察室に入ると、その蕩け顔はさらに深刻化する。

「ユ、ユニちゃん? 終わったって、まさか、も、もう完成してしまったのかい⁉︎」
「あー、フロレンス卿にはナイショじゃなかったの? お師匠。サプライズって言ってたの。まあ、いいならいいの~。うん、役場ならもう出来てるの! お風呂にお湯も出るの、みんなきっと喜ぶの〜☆」

 フロレンスがここにいるのは、エンザがあの日、あわてて文を送ったからである。エンザはいまいち、サプライズの意味が分からず、この役場建設の話に最も力の強いであろうフロレンスに相談したのだ。

 エンザは式神を使って文を飛ばしたので、その夜にはフロレンスの手元に到着。内容に驚いたフロレンスは、全ての仕事の調整を済ませ、空を飛ぶ魔馬の馬車で駆けつけた。彼はローゼンに事実関係を聞き、必要な手配と資金などの諸々を調整するつもりだった。

 あまりにも大きなプレゼントの構想に、恐縮した彼は、全勢力を投じて対応しようと覚悟していたのだ。

「ちょ、ちょちょちょ、意味がわからないですよローゼン様⁉︎ えっ? なに? なにがどーして⁉︎」

 混乱するフロレンスに、ローゼンは得意げに胸を張り、ツツジが持って来ていた根菜の漬物を食べながら困惑している。

「スメラキアには、敷地の選定と確保だけ相談してたのです。で、ユニちゃんを送ったですよ♪」
「まったく情報が増えてないよぉローゼンや、ひぇひぇひぇ」
「そ、そうですよ先生。スメラキアは木がない。建材になるような石材だって、あそこはロクな石は出ない。何もないのになぜ、ユニちゃんだけを……?」

 さすがにユニの笑顔の効果だけでは、面倒くさい説明を回避仕切れないと踏んで、ローゼンはそれはもう面倒臭そうに説明を始めた。

「ユニちゃんには、簡単な建物のイメージスケッチを渡しただけなのです。スケッチからの設計、構造計算、土地の地盤改良、材料の創造、加工、組み立て。すべて魔術だけでこなせと言ったですよ」
「手も道具も、魔術印も詠唱も、一切使うな。も言われてたの♪」
「「「 ─── ッ⁉︎」」」

 再びその場に集まった全員が、驚きに言葉を失っていた。

 ローゼンが挙げた建築にかかる工程、そのひとつひとつは、魔術でこなせと言われれば不可能ではないかもしれない。

 スケッチからのイメージングを、より高度な情報に変換する。
 建物の構造や材質から、強度や力学を算出する。
 地盤を鑑定し、建物の重量やバランスに耐えうる土地の改良。
 材料を正確にイメージし、別の物質から錬成する。
 それらを全て組み込んで形にする。

 どれかひとつなら不可能ではないが、どの工程ひとつとっても、宮廷魔術師クラスの人材をかき集め、数十年がかりで挑んでも結果が怪しい難易度である。

 まして、通常の人の手による建築とは、工程の順序も異なるだろう。最後の『それらを全て組み込んで形にする』が、それら奇跡の魔術の積み重ねで実現しようとした場合、その工程が最後に来るとも限らない。

 全ての術式を、それぞれ同時進行で進める必要すら出てくる。完成までのあらゆる要素を、完全に放りで描き切っている必要もある。

 それだけの処理能力は、人類には不可能だ。

 まして、獣人族は魔力を体外に向けて、放出する能力が無いに等しい。身体強化に特化した種族である。魔術印の公布で、今や獣人も魔術が使えているように見えてはいる。だがそれは魔術印で術式を決めておき、それに体内の魔力を吸わせて、魔術を起こしているに過ぎない。

 今、ユニがなし得たものは、獣人族の存在の根本を覆すものなのだ。いや、現代の魔術の叡智えいちを、おもちゃ以下のものにしたとも言える、常識外の脅威きょうい

「並列演算も、高速計算も、物質化もマスターできたの!」
「フフフ、さすが私の一番弟子なのです☆ ユニちゃんはまだまだ伸びるのですよ〜! って、わけでフロ坊ちゃんには、素敵なプレゼントをあげるのです」

 そう言ってローゼンが人差し指を向けると、フロレンスの姿が消えた。突然の魔力を感じたのか、診察室の外に停められていた、馬車の魔馬が小さくいななく。

「説明するより、現地で物を見て来いなのですよ☆」
「うんうん。待合室の窓から見える噴水は、必見なの!」

 フロレンスは今頃、スメラキアに出現した、真新しい建物の前で立ち尽くしていることだろう。

 あまりのことに呆然としていたエンザだったが、きゃっきゃしながらローゼンと話すユニが、ぽつりと口にした言葉で完全に目が覚めた。


─── これを戦闘で使ったら、きっとすごいの


 詠唱を必要とせず、複数同時に行使される、規格外な魔術操作。人智を遥かに超えた圧倒的思考速度で、それらを破壊することにのみ、目標を定めたとしたら。
 エンザは魂の奥底から、突き上げるような寒気が湧き起こるのを感じていた。

「あ、ツツジとエンザにお土産があるの♪」

 いつもと変わらず朗らかなユニの笑顔に、エンザは先ほどの畏怖を、すぐに忘れ去って顔を蕩けさせていた。

 孫かわいがり。いや、実の孫よりかわいがっているフシすらある彼には、ユニの持つ超大な力など関係がなかったのだ。ツツジとエンザは、愛しい孫娘の帰宅に喜び、満たされていた。

 一方フロレンスは、里に魔馬車を置いたままスメラキアに転移され、ローゼンはその回収を忘れた。
 ユニの帰宅に一番はしゃいでいたのは、もしかするとローゼンだったのかもしれない。


 ※※※


 まだ芽吹く様子のない枝に、小鳥が止まり羽毛を膨らませては、ぶるっと身を震わせている。エナガマスラフィンチと、そう中央諸国で呼ばれるこの小鳥は、大陸では春になるとより深い山へと移動してゆく、一般的な漂鳥である。

 小さな群れを作って生きる種類だが、彼は群れからはぐれたのか、それとも群れを失ったのか一羽でせわしなく辺りをうかがっていた。

 と、その瞬間に幹に擬態ぎたいしていた、肉食の齧歯科げっしかシジマリスが飛びかかり、鋭い門歯もんしでその背中を捕らえた。小鳥はピィッと短くんだ声を上げ身を震わせて、力なくあしゆびを丸める。久しぶりの獲物に、目を輝かせたシジマリスは、捕食よりも先に勝ちほこるようにくわえたまま枝に立ち上がる。

 しかし、シジマリスは突然その身を硬直させ、微動だにしない。

 その呼吸が細かく浅くなった頃、足場となっていた枝が、ぐるりと小鳥もろともリスに巻きつく。のろのろとゆっくり巻き上げるようにして、枝が戻ってゆく先には、完全に樹木に擬態した巨大な蜘蛛くも上顎うわあごが待っていた。

 ラムスグモ。樹上で擬態して小動物を餌とする大型のジグモの一種である。小枝に擬態した下顎したあごを持ち、その表面には麻痺毒を含んだ産毛が生えており、捕食の前にその毛を逆立てて麻痺させる習性を持つ。それで絡め取り、上顎で咀嚼するのだ。

 いのししほどもある巨大な蜘蛛だが、小さな鳥や小動物が下顎に乗った場合、わざと毒を少なく与える傾向があるという。それを狙ってやって来る、より大きな獲物を釣るためではないかという説がある。

 マールダーでも目撃例の少ない、魔物だという説すら流れる、蜘蛛に酷似こくじした生物である。


─── 辺境最奥の里ラプセル


 里から旅立ったアルフォンスが、最初の村ペコに辿り着くまでに、五ヶ月も要した秘境。ここには超強力な魔物や魔獣、龍種があふれている。

 だが、こうした幅広く豊かな生態系が残された、隔絶された陸の孤島であり、大陸の常識はここでは通用しない。

「おお、ガイセリックではないか! こんなところでどうした。風邪をひくぞ」

 一般男性の二倍はあろうかという巨体に、水牛のような黒くつややかな角を持つ、歳経としへた龍人族の男。しかし、大声で森の奥に見つけたガセ爺を呼んで駆け寄るも、その足音や枝を震わせる音すら立たない。

 音のない清流。見る者にそんな不思議な感覚を持たせる歩法は、彼が極めたあらゆる武術による、運足と体幹操作にある。

 軍神ダーグゼイン。かつては武の守護神として、その強大な力と恩恵を人々に与え、戦う力の先に意志をもたらせて来た大いなる存在。その全ての知識と技術を、アルフォンスに与え、また後見人として息子のように愛した。

「なぁんじゃ、ダーグゼインか。なんもかんもあるかい。アルの奴が旅立ってから、里の火が消えてしまったようでな……」

 そうさびしそうに返す、典型的なドワーフの老人は、肌寒そうに両腕を抱いてうつむく。自然の先に立つダーグゼインを上から見下ろし、紫に近いため息を吐く。

 4met(1met=1m)にも及ぶダーグゼインが見上げる相手、その腰の下には、山のように積まれた魔獣の塔が出来ている。

 隣にはぞんざいに立てかけられた、巨大なつち【創造の槌】は、彼の契約者である鍛治師が追い求める奇跡の聖具。そこに到達した者は、その影を召喚し、人智を超えた鍛師かなちの奇跡を起こす。

 ダーグゼインは彼の下に積まれた魔獣を見て、フフフと笑った。

「なぁ〜にがアルフォンスだ、この鍛治バカめ。お主の沈んどる原因は、セラフィナ・・・・・であろう」
「セラ……フィナ……! ぬおおッ、ダグ爺‼︎ 貴様、何を知っておる⁉︎ 言え! 言わんか!」

 ガセ爺のどっぷりと黒くなった、目の下のクマを見て、ダグ爺は面倒くさげに頭をコリコリと掻いた。

「だぁから、セラフィナが初めて風邪をひいた。それだけであろうが。そんなに滋養強壮じようきょうそうで知られとる魔獣ばっかり集めておってからに」

 ダグ爺の極々冷静で、極々一般的なツッコミに、ガセ爺はまた自分の両腕を抱いて、むーんとうなりりだした。

作者のつぶやき

久々のラプセル回が始まるところで次回へ!
そしてユニが恐ろしい怪物へと進化しています。
絵面は非常に地味な展開ですが、その内容の恐ろしさに、エンザは気がついたようです。

すぐに蕩けていましたが。
孫のかわいさには勝てないものでしょう(血の繋がりはないですが)。

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