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禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~
第十四章 クヌルギア
第十四章|第四話 扉
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クヌルギアの道。
破壊神へと繋がるその道は、
強大な力を誇る魔物で溢れていた。
継承者の力に比例して、
クヌルギアの魔物は力を増す。
今、クヌルギアは史上類のない危険な状態となっていた。
継承者として規格外の力を持つアルフォンスは、
代々の魔王と共にここを通ってきたエイケンの知識を覆していた。
人界は今、
帝国派と反帝国派に分断され、
大きなうねりを起こしている。
ハンネスは、
聖剣の在り処の情報を掴み、
すでに人界へと向かった。
時間はそれほど残されてはいない。
破壊神アスタラへの挑戦は、
その焦燥感の中、
確実に前へと進んでいた。
そして辿り着いたクヌルギアの深奥。
そこにはナナワルトルの塔への扉と、
その前に立つ老人がいた─── 。
迷宮に見られる材質によく似た壁面。白く無機質なその表面には、極小の反射する粒子が、練り込まれた様に鈍くきらめく。時にそれは、暗がりで見た時の陰影で、白骨を思わせる印象がある。
クヌルギアの深層。
その壁に囲われた一際広い空間に、篝火で照らされた扉がある。優れた芸術家による、世界の苦しみを現したレリーフのようであり、地面から自然と生えて来た植物のようでもある。周囲の白っぽい壁と異なり、血肉が大地から迸るような赤黒い扉は、遥かに見上げる大きさであった。
そこに立つのは、老いた男。紫の炎をまとったように光る、強大な黒い角を生やしている。
短く刈りそろえられた白髪、もみ上げとつながるアゴ髭と口髭。黒いローブに金の刺繍の入ったマントは、大地から揺らめいて噴き出すマナのようにも思わせる。そして、その人物の両腕は、手首の少し前辺りから先がなかった。
第二百八十四代 魔王エリゴール。
アルフォンスがそう口にした老人は、槍の間合いより少し離れて対峙し、アルフォンスの斜め後ろを凝視していた。クヌルギアス家執事のエイケンの姿だ。エリゴールはその感情を昂らせ、その震えと共に、強大な魔力を滲み出させている。
ふと、その片腕をアルフォンスへと、求めるように上げつつ、エイケンに向かって口を開いた。
「いや、絶対話したって! わしのこと!」
「いーえ、話してございません。話してございませんよ、私は断じて!」
「分かるわけないじゃん! ひと目見てわし、わかるわけなーいじゃん!!」
「なんで私が貴方の事を、わざわざ殿下に? 自意識過剰じゃないんですかぁ~」
興奮してツカツカと、早足でアルフォンスの前に出ようとしたエイケンを、アルフォンスは腕を横に伸ばして制止する。
「話し進まないから、いい加減にしてくれる?」
ビクっとして立ち止まるエイケンと、同じく前に一歩踏み出していたエリゴールは、ふたりとも納得がいかないのか、口を尖らせてそっぽを向き合った。
※
七魔候といい、こいつらといい。どうして魔界の奴らは普段穏やかなのに、こうも沸点が低いのか。老人二人を落ち着かせなだめて、それまで後ろでぽやんと見ているだけだったソフィアとスタルジャを交えて、今はお茶を飲んでいる。
「つまり『魔王の意思』がアル坊に、わしのことを分からせたってことかの?」
『魔王の意思』。アルファードが言っていた、クヌルギアス家の者が、何らかの形で発現する能力。アルファードの場合は、己の未来の運命に関わる事の正解が分かると言っていたが、どうやらそれは俺にも継承されているようだ。このクヌルギアを進み、強力な魔物たちを倒すうちに、そこから得た魔力で開花に向かったらしい。
最下層に着く最後の方では、頭で考えずとも動くべき動作が分かり、『殺す気概』と相まって正確精密に命を奪う行動を取っていた。
俺の中にある『魔王の意思』は、アルファードのものと同じで、戦闘での行動だけでなく、初めて会ったエリゴールにもその予感を抱かせた。この万能感にも似た、事象を最初から理解している感覚は、ソフィアを救いに行ったあの精神世界での感覚ともよく似ていた。
「なぜだか分かるんだよ。ああ、これはこうだなって。あんたを見た時に、ご先祖様がどうこうの前に『エリゴールだ』って」
「かぁ~っ、なんねそれ? わしが持っとるのは、良いやつか悪いやつかを教えてくれるだけじゃったぞ? ずるいじゃろ……それ」
「それ、顔見りゃだいたいわかるだろ」
何故か俺の隣で、エイケンがドヤ顔してるのが、ちょっと腹立つ。ソフィアも便乗してウンウンうなずいてるし。
「あの……。お爺ちゃん? その腕は大丈夫なの……? こんな危ない所でひとりその体で……」
スタルジャがおずおずとそう尋ねると、エリゴールは孫娘を愛でるじいじみたいに、蕩けた笑顔で腕を左右に振る。
「わしはもう、ここの一部みたいなもんじゃからな。心配はいらんよ。魔物だって素通りじゃし。もうわし死んどるし」
「ここの一部? って、えっ!? 死んでるの!?」
「そりゃあもうバッチリ死んどるともよ。んで、ここの一部ってのは。……ああ、わしはほれ、ちょっと昔にやらかしてな。その罪の償いに、ここで門番として繋がれておるんじゃよ」
そう言ってニッコニコしているエリゴールに、ソフィアが何かを感じたようだ。
「あなたは……。何らかの神と契約しましたね? 肉体はそこに捧げた……」
「おほっ、流石はオルネアの化身じゃのう! 分かるか~」
「ッ! わ、私が何者かお分かりなんですか!?」
「うんうん。わしは世の理から離れておるからな。やんごとなき存在は、それこそ見れば分かるわい。それにしてもわしのアル坊は、魔界と人界両方の調律者となるか……。これはまた大きな運命じゃて」
エリゴールは二千年以上前に、人界の裏切りに激怒し、一夜にして四つの国を滅ぼした魔王。七魔候セィパルネが言っていたそれだ。寿命としてはギリギリ生きていてもおかしくはないだろうが、彼はもうすでに亡くなっていて、その魂をここに縛り付けたのだそうだ。
「しかし、なんだってそんな自罰的な。二千年前の闘いだって、あれは人界側が悪いんだろ?」
「ふむ、信じ、裏切られたからと言って、滅ぼしたこと自体も罪ではあるがの。あの人界への干渉で、魔力炉に放り込まれた……民たちのことよ。あれは王として到底忘れることは出来ん」
そう言いながら、先のない腕に視線を下ろす彼は、どこか憂いの表情をみせた時の爺様フォーネウスに似ていた。
「でも……だからって、魂をこんなことに使っちゃったら、もうお爺ちゃん生まれ変われなくなっちゃうよ……?」
「ふぁふぁふぁ、心配してくれるのかい。ありがとうねえ。じゃがなぁ……」
エリゴールの口から、その贖罪の過去が語られた───。
※
「のう、エイケンよ。今からわしを、クヌルギアに連れて行ってくれんか?」
水差しの交換に来た私に、床に伏していた前魔王エリゴール上皇は、そうおっしゃられた。もう何日もお眠りになられていたと言うのに、その声はよく通る凛とした響きでございました。
「な、なにをおっしゃいますか先王陛下! もはや立つこともままならぬ身。どうか今までの分、しっかりと養生……あ、コラ!」
ほんとこのジジ……先王陛下は、お若い頃から周りの言うことを聞かないお人です。今も私の言葉の途中で、寝台から足を下ろし、立てかけられていた愛剣に手を伸ばしておられた。ただ、このお方の耳をかさない姿勢は、その強すぎる責任感の裏表。もう長らく訪れていないクヌルギアに、今になって向かおうとは、おそらく何らかの強い意志をお持ちなはず。
「お言葉ですが先王陛下。陛下はまさか、未だにあの頃の事を……
いや、聞きなさいってば! 陛下、陛下ッ!」
おぼつかない足取り、しかし衰えてなお、強大な魔力を身体強化と浮遊魔術に注ぎ込み、扉へと歩き出された。
「……なんじゃエイケン。まだ用意しとらんのか? 置いていくぞ?」
「テメッ、陛下! 理由をお話しいただけませんと、このエイケン、お力にはなれません!」
陛下はようやく立ち止まり、優しげに微笑むと、後ろの窓際に置かれたビューローを指し示された。
「……文でもあるのですか? かしこまりました。只今、お持ちいたします」
陛下は伏せられるようになられてから、よくそこで物書きをされておられました。奔放なようでいて、よく周りをご覧になられておられる陛下のお心は、後から分かることが多い。
おそらく、お気持ちを形にされた、大事な書をおまとめになられて ───
バタン!
私がビューローに手を伸ばした時、背後から音がして、もう扉の前に陛下の姿は無く。
「あっ! ハメやがりましたなジジイ、この!」
※
「って、なぜ私が話しているんですか! 貴方がお話になられる流れでしょうこれは!」
「暇そうじゃったからな。自分のこととか恥ずかしいし」
「きさっ、このっ、クッ!」
「……ここからは、わしが話そう。こやつの話は長ったらしくてかなわんからの」
ほんとにどっちだって良いから、話すなら話して欲しいし、早く先に進みたいんだけどな。と、アルフォンスは思った。
※
これが老いというものか。最近は名前も、誰だったかも分からなくなった人々の面影が、ふっと浮かんでは流れてゆく。もうわしは長くはなかろう。そう感じてからそれは増えて行き、いつしか夢なのか物思いなのか、境が分からなくなってしもうた。
人界での失策。その咎も折り合いをつけたつもりが、思い出されることが増え、あれは何だったのかと考えるようになった。なぜあの事件は起き、わしは何のためにそれを見せられたのか。
人界で飢饉が続き、そもそも農法も土壌も脆弱なら、資源の採掘技術もおぼつかぬ彼らは、飢えておった。募る民衆の怨嗟を逸らすために、亜人種に謂れのない矛先を向けられ、その中にはかつて人界に渡った同胞たちも含まれる。
人界のバランスなぞ、人界の者たちに任せれば良い。しかし、人界に向けられていた魔の分け与える先が、日に日に少なくなってゆくのは耐え切れなんだ。
物資、技術、医療、教育。これらを提供すれば人界の民草も、力ある者に頼らず立ち上がり、弱き者への迫害も減るだろう。そう思っておった。そうして確かにそれは叶った。しかし、それはほんのわずかな期間。人の命は短い。だからこそ、わしらでは考えられぬ速さで、傲慢に技術を進めているとは、思いが至らなんだ。
魂の素子、霊子力を炉にするなど。
人の魂より、力を秘めた魔族の魂。まさか技術提供のために入植していた、我が魔族の作った複数の街からそれを拐おうとは……。
そもそもの間違いとはなんだったのか? 人の世を先に進めようと介入したことか? 人の世の速さと、力を集めた者の野心を見誤ったことか?
全てだ。王たるもの、浅はかな感情で、民を失うなどあってはならぬ。
この過ちを二度と起こさぬためには ───
「陛下! お戻り下さい。もう貴方はナナワルトルの塔に入る鍵をお持ちではありません。すでに後継に継承されたではありませんか」
背後からエイケンの声が聞こえた時、わしはすでに、クヌルギアの深層にまで辿り着いておった。己の体を見れば、知らぬ間に斃していたであろう魔物どもの魔力が押し寄せ、しかし吸収することさえ出来ずに消え失せてゆくのが分かった。
「わしはもう、魔物どもの魔力を身にすることもかなわんのか……」
「……帰りましょう、陛下。貴方は後継に鍵を渡された。それは王を退いたと言うこと。そして御身は、お休みになられる事をお望みなのです。新たな魔力を欲さぬほどに」
エイケンめ。言葉を選んでおるな。欲さぬのではない。最早、魂がマナとの循環の一端を担う事を止めたと言う事。死がもう目の前じゃと言う事よ。
「これ以上の魔力など、貴方様には必要ございません。だからどうか……」
「求めたのは魔力では無い。贖罪よ」
わしは最早、足を踏み入れることすら叶わぬ、ナナワルトルの扉に手を添え、かの神に願った。
「へ、陛下なにを───」
「そこで貴様は、わしの姿をよく目に焼き付けておけ」
なぜエイケンをわざわざ連れて来たのか。老いさらばえ、明日にも死のうかというわしでも、この程度の魔物のいる洞など、どうとでもなる。わしはあやつの声と体の自由を奪う術をかけ、この最後の使命を全うする。
代々、我がクヌルギアス家に仕えて来たこの男に、託したかったもの───
「───我が魂を、ラロスの天秤に捧ぐ。我が魂をこの大いなる扉の前に繋ぎ止め給え。我が罪の目方だけ、この身をこの契約の代償とせん。我はここに願う。正しき王へと導く導とし、我が罪と恥辱を、後世に永劫、愚王の証としてここに残さんッ!」
思った通り。扉に遮られてはおっても、声は届いたようじゃ。
巨大な不可視の天秤が、ギィと音を立てて傾く気配がし、その数瞬後にわしの体は青白い光りに包まれた。わしの体は扉へと打ち付けられ、触れた腰から強烈な引力と、体内に扉が交じる冷たい感覚が入り込む。
これこそがわしの追うべき罰。王は間違ってはならぬ。王の過ちは民に帰結する。望んだものが良き意思だったとして、結果は伴わぬ。後世に求めるものは、後の王の断罪ではない。戒めとして油断させぬこと。そのためにであればわしの過ちを晒し続けるのは恥でもなんでもない。あの失われた民たちを、後世の王の学びに残す!
やがて激痛が全身を駆け巡る。我が身をまとうた青白い光は、体内を焼き尽くし、この扉に融合せしめんと熱する。かの民たちが炉にくべられたのと同じく、我が身もここに焼かれるのだ。
そう思った時、意識は途切れた───。
※
目を覚ましたのは、遠くにすすり泣く声が聞こえたからだ。目の前の床に、わしの剣を抱きかかえ、座り込んで泣くエイケンの姿があった。
わしはもう死んだのだろう。肉体の感覚は無く、そこにただ視界だけが浮かんでおった。何よりあやつに掛けた声と体の自由を奪う術が解けておる。
すまぬなエイケン。愚かな王がいたと、後世によく吹聴してくれよ?
さすれば間違う王は───
「ぐっ、うおおおおおおッ! なぜ、何故ですか陛下ッ! 私は貴方を王として、尊敬しておりましたのになぜッ!」
意外じゃった。
エイケンはいつもわしの行動に、文句を付けながら、仕方ないといった顔で仕えておった。それがわしの死にこれ程に感情的になるとは。
「何が罪ですかッ! 何が……罰ですかぁ……。私は自身の責任に真摯に進まれる姿に、どれだけ胸を熱くして来たか……! 歴代の……歴代の王の中でも、貴方ほど……うぅ、うあああああぁぁぁぁッ!!」
これ程に想われておったのだなわしは。こやつには申し訳ないことをしてしもうたな……。そう悔悟と自責の念に胸が焼かれたその時、涙が伝う感覚が頬にあるのに気がついた。
肉体が再構成されておる。
ただ、そこに血潮も息吹もない、ゴーレムでもアンデッドでも、霊体でもない。土塊で出来た何かになっている。
泣きじゃくるエイケンの、床に身を屈めて震える背中に手を伸ばそうとした時、わしの腕の手首から先が失われている事に気がついた。これも罰じゃろう。深く考えもせず行動し、民の命を奪った我が罪、もう何ものにも触れさせぬという罰。死ぬことも、治すことも叶わず、わしはこの失われた両の手を見る度に、過ちを思い出すのだろう。
神は我が願いを聞きたもうた。
なればわしは使命を全うするのみ。
※
「と、言うわけでな。わしはここで、力を得る前の魔王候補者たちに、わしの過ちと罪について聞かせる使命を続けておるのよ」
「ふん、私は未だに認めておりませんよ。何が罪……」
「もうその話はついたじゃろう。エイケン貴様もとことん意固地な奴じゃなぁ」
話の切っ掛けを振ったスタルジャは、言葉を失ってエイケンとエリゴールとを交互に眺めている。ソフィアは何か思うものがあるのか、しかし言葉にできない様子だった。
なるほど、このクヌルギアに来て、最初にエリゴールと対面した時、エイケンの口が悪かったわけだ。
エリゴールは愚王などではなかったのだろう。そうでなければこれ程に長い時間、エイケンがへそを曲げ続けるものか。『耳を貸さない姿勢は、その強すぎる責任感の裏表』とも言っていた。
二千年前の魔王エリゴール。彼がここにどれだけ己を縛って来たのかは分からないが、途方もない時間なのは確かだ。そして彼は、民への罪を後世に伝える事で、次の罪に繋げないようにして来た。おそらく民たちも、最初から彼を恨んでなどいなかっただろう。
これは贖罪などではない、失われた民の命を、次の叡智に還元し続ける祈りだ。
「……よく分かった。俺は貴方の生きた証を心に刻むよ、魔王エリゴール。貴方の想いと叡智は確かに伝えてゆこう」
「おお……アル坊よ……」
エイケンは拗ねたように背を向けている。その気持も分かる。良い王だったんだな彼は。ただ、このふたりにはまだ気がついていないであろうものが、俺には見えた気がした。
「エリゴール。貴方の手は失われた。貴方はそれを罰だと言った。貴方は罪の目方だけ、この扉に身を捧げると願った。そして体は扉に吸われていくのを感じた。そうだな?」
「……うん? そうじゃが、一体それがどうした?」
「扉に吸われたのは罪の分。つまり今失われているその両手は、罪ではなく赦されたんじゃあないか?
過ちを犯さずに生きることは不可能だ。貴方はそれも分かっていて、この罰を望んだ。そして手以外は持っていかれた。願うことすなわち業。思い願うことは、何かに変革を求める罪なんだよ。誰もが抱えている罪で、それは魂に残される」
エリゴールは小首を傾げてこちらを見ている。
「罪は罪、貴方が捧げたように、思い願った魂そのものは罰として縛られた。貴方が起こしたことが、大きな罪でも過ちでもなく、どんな者でも、多かれ少なかれ持っている程度のものだ。そして、手は見逃された。
貴方が差し伸べようとして来た手には、過ちはなかったと言うことじゃあないのか?」
「───ッ!? わ、わしが差し伸べた手に……過ちはなかった……と?」
「ああ。貴方が魂を捧げた神が、どんな者だかは知らないが、正しく契約を履行している。貴方の差し伸べた手は、王として取れる最善だった。まあ、最初から贖罪の為にこうしたわけじゃないんだろ? 貴方は王の役目の重さを、未来に還元するためにこうした。
仕えて来た者への言葉は、少し足りなかったみたいだがな」
エリゴールが振り返ると、その後ろには深く頭を下げているエイケンの姿があった。その足元には、ひとつまたひとつと涙が落ちている。
「……ふ、ふふ。そうかもしれんな。そうかもしれん……。感謝するぞ、アルファードよ。己の中で納めたものを、こうして他の者に言葉にされるというのは、真に救われる思いじゃな……」
「貴方の思いを、言葉に出来ていたと言うのなら、こうして貴方が使命とした事にも大きな意味があるのだろう。後世に生きた叡智を残すことは、時に大きな救いになる。貴方の決めたことは、少なくともこうして言葉にできる確かな判断だと俺は思う」
「…………うっ、ぐっ!」
消化したつもりでも、一人で解決したもんだから、残っていたんだろうな。声を殺して泣くエリゴールにエイケンが手を差し伸べた。
彼を理解できたのは、アルファードの記憶が無いことで、ずっと俺の中にくすぶっていた、静かな不安に似ていると思ったからだ。そしてそれは初めてアルファードと対峙した時、今度は俺が存在することが、間違いではないかと不安に思った。
こうした掴みようも確かめようもない、記憶の中だけの断罪は、一人では解決が出来ない。評価がいつまでも自分でしかないからだ。
「だから俺は行くよ。この扉の向こうで確かめなきゃ行けないことがあるんだエリゴール」
「……おお。行って参れ。そなたなら掴めるであろう。そなたの手を伸ばしたその先に……」
ソフィアとスタルジャの、不安を噛み締めて、それでも笑顔を作ろうとしてくれる顔がある。俺はそれに微笑んで返すと、扉に触れた。赤黒いその扉は、どれだけの魔王を迎え入れて来たのか。
冷たい金属の手触りの中に、何か温かいものが感じられた気がする。
巨大な扉は、薄っすらと光ると、俺の中の鍵と反応したようだ。
直後強烈な光に包まれ、気がつけば俺はナナワルトルの塔の中に立っていた───。
※ ※ ※
─── 中央諸国、そのとある小国にて
行方をくらましていたシモンの妹、ツェペアトロフ家の娘プリシラが、港でハンネスと接触した時。
話は一度そこに戻る。
彼女がいかなる最後を遂げ、そして成そうとしたことは何だったのか。
これはハンネスが魔界で、七魔候たちを全員、殺害する少し前の事である。
※
夕方から降り始めた霧雨が、日中温められた地面を濡らして霧を呼んだ。灯台の灯りが時折辺りを撫でる以外は、すでに街は寝静まっている。時折打ち寄せる大きな波の音だけが、煉瓦造の倉庫街に木霊していた。
何者かと尋ねられた少女プリシラは、青い瞳の整った顔を向け、凛と答えた。
「ジョルジュの使者。そなたが探し求めているものの行方を知る者 ─── 」
その名を聞き、ハンネスはわずかに微笑み返して、書簡を手に取る。しばしその書面に目を通し、満面の笑みとなった。
「ずいぶんと懐かしい名前だよ。彼は元気……いや、彼は人間だったものね、もうとっくに死んでるかぁ」
「ふん。人間の死が肉体の終わりだと言うなら、死んでおる。だが、この日の為に残された意思は、まだ生きていたようだな……フフ」
やや殺気を孕んだ眼で眺めていたリディは、ハンネスから渡された書面に眼を通し、くすりと笑った。
「……なる程、ジョルジュ。あれは食えない人間だとは思っていましたが……。そう言う事でしたか」
「だが、この書簡の内容の通りだとすると、取り返すのは相当に苦労しそうだ。剣聖め、どこまでも僕の邪魔をする」
ハンネスの溜息に、リディはにこやかに答えた。
「一度、魔界に戻りましょう……。力を少しでも高める必要があります」
「あー、そうか。今ならもう、あいつらも殺しちゃっていいんだよね」
ふたりの会話に、既に興味を失ったのか、プリシラはふたりに背を向けて、倉庫の隙間の闇へと戻ろうとする。それをふいにリディが呼び止めた。
「ああ、お待ち下さい……。一応、お聞きしておきますが……この書簡は、あなた以外に読んだ者は……?」
「……いや、私だけだ。もう良かろう? 私はお兄様とダリア姉様の恨みが晴らせればそれで良いのだ。語る事はもう無い」
リディは唇に指を当て、小首を傾げるようにして、嫌にのんびりと返す。
「なら……慎重に越したことは、無い……ですねぇ……」
リディの手がプリシラの口元を、押さえるように鷲掴みする。
黒い霧に覆われて行く中、プリシラの青い瞳が恐怖に揺れた ───。
「……きゅっ、ぐっ……な、なにを……ッ」
「貴女には少々……荷が重過ぎるのですよお嬢さん……。ブラド神族、確かに力はありますが、貴女は役者ではない……」
口元を鷲掴みしたまま、プリシラの体を持ち上げ、リディは彼女の目を覗き込む。夜の海風に揺れる前髪が、覗き込んだ眼球を撫でても、リディは瞬きひとつしない。
「───ええ、やはりここで……消えてもらいます。貴女には……覚悟が足りない……」
「…………ッ!! ッ!?」
プリシラの記憶を覗き込んだのか、リディはホッとしたような表情さえ見せ、再度プリシラの目を真っ直ぐに凝視する。途端にプリシラの動きは無くなり、ただただ恐怖に目を震わせている。この女はかつて、人智を超えた魔術で己を葬りかけた、悪魔のような女、ソフィアと全く同じ顔、姿をしている。だが、そこから溢れる神気は、あの女とは全く別物の、残酷なまでに澄み切った神聖なるもの。
プリシラはこの時点で、平静さを完全に失い、また恐怖に呑まれていた。
「人に聞かれては面倒なので、声を失わせましたが……いらなかったみたいですね♪」
整い過ぎた美。そこに垣間見えた、少女の如き純粋な微笑み。この世の最も美しいものを超えた美。人では到達できぬ恐怖すら憶える美しさに、プリシラは圧倒され、己の胸部を素手で貫かれたことにすら気が付かなかった。
「……さようなら、お嬢さん♪ もうお休みの時間です」
体内に突き込まれた白い手から、直接凶暴な魔力を流し込まれ、プリシラは内部を完全に破壊された。
バサアァァーッ!
荒い砂を撒き散らしたような音を立てて、港の湿った足元に、人の形をした灰が積み上がった。それはヴァンパイアの最期。元々がただの人族であったもの、それが突如として不老不死となった者が、時間を取り戻し滅びる姿。
「あはっ! これはすごいね!! ジョルジュの意思は、やっぱり僕をいつだって助けてくれるんだ‼︎」
プリシラの最期になど一切目をくれず、受け取った書簡に目を通していたハンネスは、膝ではずみをつけるようにして喜びを現していた。
「フフフ……よかったですねハンネス☆」
「ああ、まさかあんな地の果てに、剣聖に所縁のある者たちがいたなんてね!」
今のハンネスの見た目は、リディと契約した後の、最も力が馴染んでいた16~17才の姿である。それでも彼の今の表情や、喜びを表す仕草は子供じみていた。それをリディは慈母のような微笑みで眺めている。
「ああ、扉が開かれた気分だよ! まずは魔界でしっかりと力を手に入れて、お楽しみはその後だ。ふふっ! さあ、行こう───」
その後、ハンネスは魔界に現れ、七魔候を一人ずつ殺し、その力を奪った。
彼は、その後すぐに魔界から姿を消す。
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