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禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~
第十四章 クヌルギア
第十四章│第二十三話 喪失のあと
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ハンネスとリディを撃退するも、
聖剣は奪われ、
シモンはこの世を去った。
人質に取られていたセラ婆は無事ではあったものの、
未だに意識は戻らず、
ガセ爺の看病が続いている。
帰ってきたティフォとエリン。
そして、
アルフォンスとティフォはとうとう結ばれる。
聖剣の喪失。
シモンの喪失。
アルフォンスの心は揺れていた。
外に出れば、春先の穏やかな空気と、ぼんやりと霞みがかった空に星々が強く見える。
「やっぱり都会から離れると、星がくっきり見えるなぁ!」
アーシェ婆もダグ爺も酔い潰れた。二人ともザルで、いくらでも呑む印象があったけど、今日は散々と笑って騒いでしょぼしょぼして寝た。
そりゃあそうだよな。
今まで必死に、守護神たちの最期を穏やかにするために世界を作っていた。それを初めて壊せる力を持ったハンネスとリディが現れ、それを招いたのはシモン。そのシモンもまさかの実の父親に殺された。
心がグルングルンしてるよ俺だって! あまりにもあっけなく、友人でずっと一緒だったシモンの裏切りを知り、操られていたことを知り、そして唐突に死んだ。
ティフォと結ばれた後、アーシェ婆たちの集まっている場所に行く前に、ティフォからシモンの記憶を教えられた。
─── シモンは、最期にダリアを取り戻した
シモンは友人だった。近所のお兄ちゃんだった。
でも、俺の知らない彼の人生があって、それが最期に取り戻せた。家族のようなつながりは否定された気分だったけど、彼が最期に元に戻れたのなら、それで良かったのかなと思った。
まだ実感も納得も、これでいいのか分からないけど、仕方ないんだなと思える言葉だったんだ。
『 今はくよくよしても仕方があるまい』
俺とダグ爺が『聖剣を奪われた』という事実に揺れている時、アーシェ婆はそう言って、やっぱり熱湯をかけてきた。
ひどい。
でも、少し救われた気がする。里で開いてくれたささやかな宴会は、本当に嬉しかった。
※
─── 数刻前、アルフォンスのお帰りなさい会
「とりあえず。我らが息子アルフォンスは元気だったということで、まず祝おう」
なれるかよ! 祝えるかよ! 聖剣が奪われたことを、ダグ爺と凹んでいたら、熱湯かけられたしな。まだ少し皮膚がヒリヒリしてるんだよ。それにシモンのこともある。落ち着けば落ち着くほど、シモンのことは理不尽で仕方がない。
そうギリギリしていたら、アーシェ婆が俺を見て鼻で笑う。
「変わらんなぁ……。もう少し強気に生きられれば、まだ見どころもあるんじゃがなぁ。仕方がないな。うん。お前はそれでいい」
「まとめんなよ! 俺の生涯をまとめんなよ!」
アーシェ婆の乾いた大爆笑が響いた。
「おかえり。アルフォンス、お前の立ち姿、あたしは嬉しかったよ」
ほんと、この人は反則だよな。また涙があふれるのを必死でこらえたよ。
「アーシェ婆こそ、元気で嬉しいよ。死んだかと思ったしな」
「ふん。お前に心配されるほど衰えておらんわ!」
そう言いながら顔を背けたアーシェ婆に、涙が一瞬見えた気がした。そのとたんに、彼女が小さな姿に見えて、やっぱりグッと嗚咽を抑える羽目になった。
「しかし見違えたぞアルフォンス。この里を出た時とは比べ物にならんほど、強うなったな。わしはお前の成長が……むぐうっ!」
「やめろってダグ爺! 俺も今気分の波が起きやすくなってるんだ、もらい泣きするだろ⁉︎」
と、アーシェ婆はニヨニヨと笑みを浮かべながら、俺の腕を肘で突いてきた。
「んで? そろそろ改めて紹介せんか。ティフォとはついさっき婚いだんじゃろ? そちらの三人はどうなんじゃ? ん?」
「く、婚……ッ!」
アーシェ婆のハンドジェスチャーが不謹慎過ぎたのか、モザイクがかかる。ほんと、どういう仕組みなんだろう。
ソフィアとスタルジャは耳の先まで真っ赤にしてうつむいて震えている。エリンは微動だにせず、どこかぼんやりとしたように、ただ俺を見つめていた。
なんかエリンがえらい無口になってるんだよな。肌も褐色になってるし、ムッキムキで二回りくらい大きくなったように感じる。腹筋なんかバッキバキに割れてるしね。相当に鍛え上げられているのは、見ただけで分かるし、スタルジャと同じくらいの魔力を秘めてるのがジリジリ伝わってくる。
初めて見た人だと赤豹族と言われても信じないんじゃないだろうか? 全く別の上位種の何かみたいになっていた。
「ソフィアはその……俺が五歳の頃に ─── 」
俺はソフィアとの出会いから、これまでの旅と彼女たちとの出会い、そして俺の取り戻した過去の記憶について全てを語って聞かせた。
※
「ふむ。お主が魔族で魔王。そして新たな人界の調律者であり、光の神ラミリアとも契約を結んでおると」
ちらりとアーシェ婆の視線が、ソフィアを検めるように向けられた。ソフィアは緊張したように膝の上でスカートの裾を握りしめている。
「ま、まあ信じがたいよな ─── 」
「そうじゃろうな」
アーシェ婆は愉快そうにフォークをフリフリして、目元をゆるめて彼女たちを見回す。
「成人の義でお主がぶっ放した魔力は、人の持てるようなものではない。それを一瞬で制御した神言の術式など、あたしでもチンプンカンプンじゃ」
あの時、アーシェ婆もセラ婆も、神言とまでは分かっても、何が起きているのか探ろうとして匙を投げていた。
人間で、それも契約が発動したばかりの存在に、そんなことが起こるはずもない。さらにアーシェ婆は俺が旅立つまでの一年をかけて、星読みまでしていたらしい。
「非常に数奇な運命をたどったもんじゃなお主も。じゃが、だからこそこの娘たちのように、強大な運命の者たちと縁が生まれたんだろうよ」
それはアーシェ婆が見せたことのない、どこまでも優しげで、心底嬉しそうな笑顔だった。まるで、孫と久しぶりに対面する祖母のような、そんな表情だった。
あまりのことに目を見開いて硬直していたダグ爺の目に、熱湯が針のように細く放たれて悶絶している。ノールックであのダグ爺の目を射抜くとか、さすがの術式制御だ。
「よく来たね娘たち。アルフォンスの嫁ならば、あたしたちにとっての娘だ。ここを実家だと思ってゆっくりしていきな」
ソフィアの目から一筋の涙があふれ、スタルジャが彼女を抱き寄せて背中をトントンとしているが、そのスタルジャの目にも涙がたたえられている。
「ん、アーシェ婆。あたしは『妹』から、『嫁』になった」
「ふっふっふ。もう里を出る頃から、『妹』などただの建前じゃったろうに。
……よかったなティフォ。アルフォンス」
ティフォが信じられないほど綺麗な表情で微笑んでいる。
「エリンと言ったかい? あんたも相当に修練を重ねたね? もう獣人の域を超えちまってるねぇ」
「…………私は、アル様から授かった魔術印を、封印した。獣人族の肉体強化を、追い求めた……」
うん。リディを吹き飛ばして、さらに爪の一振りで細切れに切り裂いたのは驚いた。
あの時、魔力の高まりも気配も一切感じず、知覚能力が極限まで高められていたはずのリディも、おそらくエリンの攻撃を認識できなかっただろう。
「すごかったよエリン。あのリディを一撃で粉砕してたもんな! 獣人族の理想形を極めたって感じだな」
無表情だったエリンに花が咲いたような笑顔が浮かんだ。以前も綺麗だったし、可愛らしさも同居していた彼女だったが、とんでもない破壊力だった。
(やばい! なんかエリンが別人みたいになってて、緊張して来たぞ……⁉︎)
「うむ、動きに無駄はなし、速度と力の乗せ方も理想的であった。いくつかの歩法と、呼吸法を身につければさらに磨きがかかろう」
なんかダグ爺が孫娘を見るようにふくふくと笑顔でエリンに話しかけている。
「それに、スタルジャよ。そなたの槍さばきも見事であった。わしでは技量で教えることは何もないが、いくつかの奥義を与えることはできよう」
スタルジャはダグ爺に褒められてそうとう嬉しかったのだろう。耳をぱたぱたさせながらエヘヘと照れ笑いしている。
「ソフィア。そなたは化身なれば、あたしの術式など必要はなかろうが、あのクソ化身の方は、かなり人の魔術を研究しておったようじゃ。
─── やつらが動き出すまで時間もあろう。それまでどうだ? ここであたしらの修行を受けてみては」
「「「はいッ!」」」
あー、大丈夫かな。みんな心病んだりしなきゃいいけど……。とはいえ、アーシェ婆たちの技術と経験は本物だ。きっと彼女たちにとって財産になるだろう。
「ふふふ……良い返事だねぇ。ダーグゼイン、また忙しくなるよ?」
「ふん。なぁに、若い者たちとの関わりがなければ、老いる一方……あつぅいッ!」
なんかダグ爺の立ち位置がガセ爺のそれなんだよな。
「そういえばガセ爺はまだセラ婆のところか。セラ婆の容体は?」
アーシェ婆は目を閉じて、面倒くさそうに手を頭の上でプラプラさせる。
「寝ておれば治る。精霊族ってこともあるんだろうが、純粋すぎなんだあやつは。シモンのこと、里のこと、あたしらの敗北を見てショックを受けただけさ」
うーん、シモンのことは俺だってショックだ。それにセラ婆が起きた時、シモンがその父親に殺されたと聞いたら……。
「アルフォンス。お主が帰って来た。それにこれほどのできた嫁を四人も連れてな。みなであやつを認識してやっとくれ。そうすりゃあ回復も早まるってもんだ」
「……本当に守護神だったんだな。ここのみんなは」
信仰や興味が薄れた時、守護神は消滅する。逆に思いが向けられれば、力を取り戻す。
「なんだい。気がついていなかったのかい。あれだけ一緒に暮らしておいて情けないねぇ」
「いや、肉体を持つほどの強力な守護神がかぞくだなんて、まず疑わないだろ⁉︎ そんな話一回もされなかったし」
アーシェ婆とダグ爺が顔を見合わせて笑う。
「フハハハ! スマヌなアルフォンスよ。黙っておるつもりはなかったのだ。かといって『わしら守護神じゃし』とか自己紹介するのものう?」
「あたしらは守護神の落ちこぼれさ。息子に恥ずかしい姿を知られたくないのは当然じゃろうが」
なんだろう。酒を飲みながらケタケタ笑う二人を見ていて、なんだか違う存在なんだとセンチになっていた自分がバカらしくなって来た。
「闇神アーシェス、軍神ダーグゼイン、癒神セラフィナ、炎槌ガイセリック。みなさまは人界の操作がなければ、間違いなく最高峰の守護神でしたよ?」
ソフィアの悲しげな表情に、ふたりは微笑んで返す。
「ありがとうねぇ。そう言ってもらえると、守護神として生きた時間に、意味があったってもんさ。なぁに、どこかで代替わりがなきゃ後進が育たんじゃろ? セミリタイアよ」
いつの間にやらアーシェ婆の膝の上に乗っていたティフォが、アーシェ婆に頭をなでられながら、目を細めて酒を飲んでいる。
改めてティフォとエリンが帰って来たんだと、しみじみと実感していた。
だんだんとソフィアたちも打ち解けて来て、酒も進むと、守護神のエキスパートふたりと、ソフィアたちそれぞれの戦術のエキスパートとして話が盛り上がっていった。
ふと気がつくと、エリンが隣に座って、俺のグラスに酒を注いでいる。
「エリン。おかえり。よく帰って来てくれた……」
思わず涙が出そうになる。あの孤島で、ティフォと共に斬られたあの光景は、何度俺の心を焦げつかせたことか。
「……アル様。だいぶ遅くなってしまったけど、これで少しは、貴方の隣に立てるようになったはずよ」
「そんなの、エリンがどんなエリンだって、隣にいてくれればそれでいいんだよ」
俺のふくらはぎに彼女の尻尾が巻きつく。あ、やっぱり猫科の習性はそのままなのね。ドキッとして振り向くと、潤んだ目で俺を見上げている。
「…………うれしい。でもそれだけでは……ダメ。私は戦士だから。大切な人を守りたいの」
「ああ。ああ、そうだな。エリンは誇り高き戦士だもんな。ティフォを守ってくれてありがとうな」
色々と起こり過ぎて、感情の振れ幅がもうめちゃくちゃだ。今も自分でエリンに感謝を述べながら、鼻の奥がツーンとしている。
エリンは小さく『……とんでもないニャ』とつぶやいてモジモジしている。くっそかわいかった。
※
アーシェ婆が船を漕ぎだして、ダグ爺はヨボヨボと『わしゃ、寝る』と言い残して立ち、宴会はお開きになった。
みんなの家は、俺とソフィアで再建してある。その時にダグ爺の家の、聖剣が隠されていた扉も見た。龍の呪いで守られていたはずの、頑強な扉は、綺麗に真っ二つに切断されていた。
堕天したリディの意思の強さを物語っているようだった。
宴会のあとをササっと片付けをして、俺とティフォが暮らしていた家へと、とりあえず移動することにする。
と、その時、ガセ爺が俺の元にやって来た。
「すまんかったな……。顔も出せずに」
珍しくシラフなガセ爺は、少しやつれて見えた。里にいた頃は気がつかなかったが、セラ婆との関係をシリルで聞いただけに、悲壮感が見て取れる。
「いや、ガセ爺も無事で何よりだよ。セラ婆も寝ていればすぐに良くなるってアーシェ婆がいってたしな」
「…………」
ガセ爺は何かを思いつめた様子で、俺の腰袋あたりをジッと見ていた。
「……アルフォンスよ。お主、何か精霊由来の防具を持っておるじゃろ?」
「え?」
防具といわれて思いつかなかったが、少し考えてアネスからもらった『元指輪』のことだとわかった。
「……これか? 元は指輪だったんだけどな。魔力が上がるに連れて、だんだんと大きくなってさ。今は左腕をすっぽり覆って、胸辺りまで広がってるからな。普段はしまってあるんだ」
そういって、久しぶりに亜空間から取り出すと、ほぼ胴と肩当て、籠手までひとそろいに成長していた。
「……またデカくなってる⁉︎」
「…………」
ガセ爺はしばらくそれを真剣な表情で見つめた後、肩当てに掌をあてて目を閉じた。
「 ─── これは儂が預かろう」
ガセ爺の目は、中途半端な白銀の甲冑に向けられたままだ。でも、真剣に鍛冶場に立っている時そのものの顔だった。
「それは……鍛えるってこと?」
「ああ。このまま成長に任せても、おそらく恐ろしいものになるじゃろうが……。なに、あの化身と立ち会って、閃いたことがあってな」
アネスの元指輪はローゼンは『巨大な力のタンクで、意思を持って俺を守ろうとする呪物』だと言っていた。おいそれと人に預けて良いものではないだろうが、ガセ爺となれば話は別だ。
「お前さんの闘気が武器を破壊してしまうのも、もう問題ないじゃろう。その後にな、これが必要になるはずじゃて」
「え? 俺、もう普通の武器持てるの!?」
そう言われてみれば、ダグ爺が死んだと思って、ハンネスを追いつめた時。ハンネスをダグ爺の曲刀で斬りつけている。
俺の魔力が高すぎて、闘気に変換される時、普通の武具では耐え切れない。それは成人の儀の翌日に実証済みだ。だが、ダグ爺の曲刀をハンネスの肩口から腹まで斬っても、曲刀は砕けなかった。
「魔力操作か……!?」
「おそらくな。魔力に鈍い儂でも、お前さんのとんでもない魔力量と、精密な魔力操作は見て取れる。……じゃがなぁ」
ガセ爺はまた難しい顔をして腕組みをすると、ブツブツとなにかを考えている。
「普通の武器……か」
いや、ガセ爺の考えていることもなんとなく分かった。
「結局はお前さんの力に耐えられる武器なぞ、伝説級のものとなろう。儂の手持ちでも近いものはあるが……。ちと心もとないのう。とりあえず、今はまだこれまで通り、呪いの掛けられた武具で我慢しておけ。今からお前さんにこしらえたんじゃあ、時間が足らん」
「…………いや」
「うん? なんじゃい」
俺は手を何度か握っては開いてを繰り返した。
「俺はガセ爺が出会わせてくれたアイツらがいい」
呪いの武器たち。そして漆黒の全身鎧。思えばあれだけの性能を誇る武器なんて他に知らないし、これまで共に死線をくぐり抜けてきた戦友と同じだ。今さら『普通の武器が持てる』からといって、はいそうですかと手放す気はさらさらない。
ガセ爺は口ひげを持ち上げて目を細めると、何度かうんうんとうなずいていた。
「…………お前さんの進む先、それを考えてこの精霊の武具を鍛えておくとしよう。それがあの化身の弱点を……」
「リディのことか?」
ガセ爺は上を向いて何かをつぶやいた後、『なんでもないわい』と首を振って話を区切ると、アネスの元指輪を抱えて出ていってしまった。なんだか分からなかったが、やつれて見えていたガセ爺は、もう職人の鋭い目を取り戻していたようだった。
俺は少し遅れて、俺の育った家へと向かい、そこでティフォとエリンがこれまでどうしていたのかを聞くことにした。
※
……ぴちょん……ぴちょん……
私の膝の上で、ティフォが少し動いた気がする。ここは多分、海底のどこかの洞窟で、たまたま入り込んだのか……。ううん、何か声が聞こえていたような気がする。
遠くで地鳴りのような波の音が聞こえている。この空気のある空間で、私はティフォと二人倒れていて、目が覚めてからはずっとこうしてティフォを抱いてうずくまっていた。
ただの岩肌に囲まれた場所で、時折り水が滴り落ちる音が響く。迷宮の中みたいに、なぜか岩肌がぼんやりと光っていて、暗闇じゃなかったのが幸いね。
最初、ティフォは全く動かなかった。でも、私は自分の手を齧って血を流し、それをティフォにかけているうちに、時折りぴくりと動くようになった。アル様が初めてティフォに会った時、血を与えたと言っていたからそうした。
「……ユニ、今頃、泣いていないかしら」
ぽつりとつぶやいた自分の声で、なんだか少し寂しさが紛れた気がする。
あの時、私たちはハンネスに負けた。あれからアル様がどうなったのか、分からない。あれからどれだけ時間が経っているのかさえ、今の私には知りようがないんだ。
でも、まだアル様から流れてくる力を感じる。だからきっと、アル様も無事なはず……。
気がついたらこの狭い洞窟の中で、なぜかハンネスの斬撃で斬られたはずの背中は、傷が完全に治っていた。それにあの時、ティフォだって真っ二つにされていたはずなのに、こうして小さくて黒い触手の塊にはなっていても体がちゃんとある。
誰かに助けられた? それとも、もう私もティフォも死んでいるのかしら。
不思議と心が騒がない。お腹も空かない。ただただ薄暗い空間で、私はまどろんでいる。
「……にゃーん」
「 ─── えっ⁉︎」
思わず飛び上がりそうになったわ。だって、それまで黒い触手の塊だったティフォに、黒い猫の顔がついていたんだから。
「あ、あなたベヒーモス⁉︎ 生きて ─── 」
「…………ン、チガウ。ベヒ……タマシイ、ワケテ……クレ……タ……」
もっとたどたどしいしゃべり方になったティフォの声を聞いて、私は涙が止まらなくなった。
生きてる。ティフォもベヒーモスも、私も。何よりアル様も……!
その実感がティフォの声で一気に確信に変わった。
死ぬかもしれなかった記憶、ティフォを失うかもしれない恐怖、これからどうなるのかの不安。
全部が涙となって溢れ出て、私はティフォを強く抱きしめて泣いた。
ユニがここにいないのも、こうして涙にする弱さが出せたのかもしれない。今は『お姉ちゃん』じゃなくて、ひとりの人なんだから。
ティフォは時折苦しそうに『にゃーん』と鳴いたけど、知らない。心配かけたんだから。
そうして私は猫の頭から、無数の触手が生えてる変ないきもののティフォを抱きしめて、心ゆくまで泣いた。
※
あれからまた、何日が経ったのだろう? 相変わらず地鳴りのような海底の音が絶え間なく続く、陽の光の入らない空間に私たちはいた。時間の経過を感じさせるのは、上から一定間隔で落ちてくる、雫の小さな音だけ。
あいかわらずお腹もすかないし、トイレに行きたくもならない。ティフォが多少会話できるようになるまで回復したのは、本当に救いだったわ。
ただ、知性はまだだいぶ低くて、黒猫の頭から触手が生えたタコみたいな姿で、落ち着きなくウロウロしている。結局、どうやってベヒーモスに魂を別けてもらったとか、言葉にする力が弱くて聞き出せていない。
ぼんやりとその姿を眺めて、時折くすっと笑ったり、一言二言話しかけたりして過ごしていたわね。
そして、それは突然起こった。
遊び疲れたティフォがうつ伏せで寝ている。そのフガフガした寝息を聞いていたら、突然何かが破裂するような衝撃が突き抜けた。
驚いてティフォに向き直ると、そこには寝ぼけた顔でぺたんと座っている以前のティフォの姿があったのよ。それもぐんぐん魔力が膨張して、彼女の輝きが増していくのがハッキリとわかったわ。
「ん。オニイチャ、ふっかつしたな。ソフィの契約がもどった」
私にはそれが何なのかさっぱり分からなかったけど、いつもの調子で話すティフォの声を聞いて、気がつけば飛びついて抱きしめていたわ。彼女の小さくて温かな手が、抱き返してくるのが嬉しくて、また少し泣いた。
「ん。これで勝つる。といいたいところだが、あたしはまだハンネスたちに、とどかない……」
そうだ。私たちはハンネスに負けた。あれに届くにはもっともっと強くならなきゃいけない。それには一体どれだけの鍛錬を……。
「そうねティフォ。私たちはもっと─── 」
その時、思わず私たちは飛び起きて、それに向かって構えた。
それまでぼんやりと明るかった明かりが消えて、暗闇に丸い銀色の光の円が浮かんでいた。それは満月のようだとなんとなく思っていた。それはただそこに浮かんで、月光のような優しい光で私たちを包んでいるようだった。
なぜ私たちが飛び起きたか。それはそこに強大な神気が発せられていたから。
─── ようやく目覚めましたね
どこまでも優しく、落ち着いた声が響いた。全く似ていないのに、なぜか母様を思い出させる声だと思った。私は言葉を失って、ただ呆然とそこに浮かぶ月を眺めているしかできなかった。
─── わたくしは陰の神ネイ
そこで名乗った存在は、『マールダー創世記』で語られる光の神ラミリアと対の存在。ソフィの本体より上の真なる神の名だった。
ただ、獣人族の私は精霊ガグナ信仰で『マールダー創世記』に疎いし、ティフォは異界の神。知らないお偉いさんと突然合わされたみたいに、私たちはポカンとしていた。
少し月が寂しそうに揺れたように見えたわね。
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