Episode
禍々☆パラディン ~初恋は実らない方がいい~
第十四章 クヌルギア
第十四章│第九話 慈愛
「なぁんでまた、お前さんが風邪なんぞひくんじゃ? こんなことは今まで一度だってなかったじゃろう……」
ガセ爺がすでにぬるくなった布を水でしぼり、セラ婆のひたいに乗せながらつぶやく。彼女は癒しの神であり、その権能による健康維持や生命維持はもちろん、病気の原因である『悪精』への防御結界が常に張られていたはずだった。
ガセ爺と出逢って数百年も経つが、病床に寝込む彼女の姿など、一度も見たことがなかった。
「げほ、げほっ! すみませんガイセリック。しかし、あなたにうつってしまうかもしれないわ……。もうこの辺で……」
「病人は黙って看病されておれ! わしにうつったとしても、そんなもん酒で消毒してやるわい。がははははっ」
なぜ彼女が風邪をひいたのか。確かなことは分からないが、ここ数日、新しい治療法の研究が大詰めを迎え、気がつけば数日間、寝食を忘れて研究に没頭していたという。
「医者の不養生ってやつかのう……」
「……え? なにかいいましたかガイセリック……げほっ」
「いや、なんもいうておらんわい。どれ、ちと薬草でも詰んできてやるとするか」
そういって立ち上がるガセ爺に、セラ婆は弱々しく首を振った。
「そんなことは、必要ありませんよ……。寝ていればなおりますから。それにそろそろ【双燼】が現れそうだと、ダーグゼインがいっていました。森は危険ですよ……」
「ふん。あんなもんが出てきても、首をぶっこ抜いて【双燼】から【燼】にしてやるわい! まあ、お前さんはよく眠っておけ」
そういってノシノシと部屋を出ていく。静まり返った寝室には、ややリズムの早まっているセラ婆の呼吸音だけが、静かに響いている。彼女の表情は、風邪の苦痛のせいなのか、何かを思い詰めているような色が差していた。
※
「うむ、これを使えダグ爺よ! おまけしといたわい! わははははは!」
ダグ爺が先頭に立ち、背中を向けたまま手の平を広げると、ガセ爺はその場で加工した槍を渡す。
長さは普通の槍だが、穂先を大きなものに変更し、柄は太く重心を先に向けて調整されたもの。普通の人間にはアンバランスだが、ダグ爺の巨体にすれば、小回りが利き破壊力の高い短槍となる。
普通の槍を呼び出し、それに光る手をかざして、全体を一撫しただけ。その一瞬でガセ爺は、槍に新たな力を吹き込んでいた。
ダグ爺はそれを何度か握り直し、バランスを確かめると、口の端をニヤリと持ち上げる。
「うむ。さすがだなガセ爺よ。この森の中で、こやつらの動きには、これが最適解であろう!」
そういってダグ爺は、入り組んだ森の中を、緩やかな足の運びで移動する。その一歩は異様に距離が伸び、その一歩ごとに槍を振り、突き出す。舞うように繰り出され、しかし緩慢にも見える動作だが、インパクトの瞬間は目で追えず。時間の進む速度が、そこだけちぐはぐになったような、異様な錯覚を与える。
そして、わずかな槍の風切り音以外は、一切の音を立てていない。
無駄な動きを一切生まず、魔獣たちはそのひと動作ごとに、急所のみを破壊されて倒れてゆく。
「マダラか。これだけの群れになるのは珍しいのう! こやつらはみぃんな、ぼっちなのが当たり前なんじゃが。わははははは!」
マダラ。おそらく里周辺の固有種であろう。馬ほどの巨体のイタチである。
胴が長く俊敏で、樹々の間を縫うようにして、高速で移動する機動力。そしてひと噛みで、龍種の鱗ごと肉を食い千切る、驚異的な咬合力を持つ。夜行性で、群れを作らず、普段なら明るいうちに森で鉢合わせることはない。普段は暗闇で生活するため、視力は低いが、嗅覚と聴覚が発達している。
クズリの仲間は、マールダーの一部地域に生息するが、犬と同じか小さいくらいなものである。非常に獰猛で賢く、樹上から急襲して、熊や狼でも狩る生物。それが巨大化し、しかし俊敏性は通常種よりも高く、強力になった魔獣だ。巨大化と魔獣化は、ここラプセル周辺の、異常に濃い魔力の影響と思われる。
噛みつきや爪での攻撃はもちろん驚異的だが、巨体での音速の体当たりでも、軽く大木を根ごとなぎ倒す。
黄土色な体毛の、ところどころに目玉のような黒いまだら模様があることから、マダラと里で呼ばれていた。ラプセル周辺の異常に高濃度なマナを糧に、完全なる魔獣化を遂げた成体であれば、小さな村などすぐに壊滅させられるだろう。
それが今、二十よりは多い数で、二人に襲いかかっていた。
「ふむ。これは群れではなかろう。『逃げて来た』。が正解であろうよ。此奴らが来た方角から、あの気配が感じられる」
「かぁ〜っ! まぁたアイツか! 前回からもう60年は経っとるか? いやもう分からん。わはははは!」
「そもそも覚えておく気もないであろうに……。だが、間違いはないな。『双燼』の魔力がここでも分かるようになったわ」
『双燼』。ラプセルに張られた、大規模で異常なほどに強力な結界。それを構築する際に、地面のどこかで、それは囲い込まれてしまった。
地中のどこかに、強烈なマナの溜まりが起こる空間が存在し、50〜60年おきにそれは生まれてくる。双頭の超大型龍種であり、ここに里ができる前は、この樹海ともいえる大地の主だった。
『双燼』とは、アーシェ婆がつけた呼称である。魔力が桁違いに高く、二つの頭から交互に吐くブレスは、完全なる無属性。ブレスに触れたものは、分子レベルで破壊され、一瞬で灰のような粉へとなって散る。熱量は一切ないのに、灰のように粉と散らすブレス。単にその破壊力だけではなく、物理的な防御など無視し、またブレスのため解呪は不可能。非常に危険な龍種である。
これまでは、ダグ爺やアーシェ婆が、その時々の状況で対応してきた。
「まあ、アレならわしがおらんでも、ダグ爺ならイケるじゃろ? なら、わしは帰るとするかのう。わはははは!」
「ほう、ガイセリックよ。其方は『黄玉肝』をいらんと申すのか?」
「うん? 黄玉肝? まあ、そりゃあ手に入れば、色々とこさえられるがなぁ。特に今は求めておらんぞ? わはははは!」
ガセ爺がそう答えると、ダグ爺は不敵な笑みを口元に浮かべる。
「黄玉肝が取れるクラスの竜種は、この里周辺でもほとんどおらぬ。稀にダークドラゴンの特殊個体が持つこともあるが、まあ、極稀よ」
「んん? なにがいいたいんじゃ、ダグ爺よ。年寄りにはわかりやすく説明せんか。わははははは!」
時折り、異様に大きな魔力を持った、竜種の特殊個体が発生することがある。黄玉肝は竜種が持つ臓器のひとつで、全身の魔力を集め、ブレスに変換する器官である。最初は見た目にも内臓らしく、赤い肉質で丸い臓器だが、強力なブレスを長年吐くことで変質してゆく。通常はその臓器の丸い形状から、龍玉や玉肝と呼ばれている。
その最たる状態は、肉質から澄んだ黄色の鉱石のようになり、魔力を超効率で変換する媒体となる。これが黄玉肝と呼ばれ、伝説ともされる希少な素材だ。
特定の強大な魔力を持った龍種は、長く生きてブレスを吐かずとも、体の成長と共に黄玉肝へと変化する。
「黄玉肝があれば、万能薬が作れると聞いたことがあるのだがなぁ、儂は」
「 ─── ⁉︎」
ガセ爺の顔から笑顔が消えた。
「今はその万能薬を作れる者が風邪をひいて寝込んでいてな。その弟子も素材収集に出かけたまま戻らん」
「…………」
ガセ爺の顔色が一気にみゅーっと暗くなる。
「だがアーシェ婆もあれで最高の魔術師。薬学も修めていたはずだったが……。いかんな、最近、儂はどうも物忘れが多く……」
「ほれ、何をしておるんじゃダーグゼイン! 日が暮れたら、またマダラが湧いて出るかもしれん。はよ進まんか! おいていくぞ? わはははは!」
自分を追い抜いて、森へとズンズン入ってゆくガセ爺の背中を見て、ダグ爺はくすりと笑う。
「……なぁんで、セラ婆のこととなると、あんなにも不器用になるのか」
聖魔対戦の少し前に、ここへと移住してから、未だに進展のない彼ら。
友人として手助けしたいと気持ちもありつつ、しかし、もうすでに老いた自分たちを顧みれば、わざわざ無理をさせなくてもいいのではないか。今が彼らの最も穏やかで、幸せな距離なのかもしれないのだからと、ダグ爺は思った。
「こりゃあ、ダグ爺はよこんかぁッ! わしがヤツを倒しちゃうぞー? わははははは」
森の中で、魔獣の山の上に座り込み、暗い顔でしょぼくれていたガセ爺は、もういつも通りにわはわはしていた。
※
一瞬、遠くで何かが太陽光を反射した。木々の葉が覆い被さる森の上から、キラリと何かが光った。
それに気がつき、ダグ爺がそちらを見ようとした時、ガセ爺が彼の腰帯をつかんで引き戻した。
─── 直後、薄暗い森の中に閃光が瞬いた
さっきまでダグ爺がいた辺りは、樹々も葉も、岩や地面までもが、灰色の粉となっていた。
「もう補足されておる! 次はお前さんから見て二時の方向じゃ、もういっちょ下がるぞい!」
全速力で来た道を戻ると、今度は先ほどより数段激しい光が放たれ、二回照射された。
辺りには強烈なエネルギーで破壊された空気が、違う物質に変換され、独特な臭気が漂っている。
それまで天井のように、木々に覆われていた空に、ぽっかりと穴が空いていた。粉と化した周囲のものは、辺りに霧のように散り始めていた。
「こ、これほど遠くから撃ってくるとは! 今までの【双燼】とはワケが違うが……。うむ、そうでなくては面白くない!」
「あほう、何をイキっておるんじゃ。最大効率を考えんと、時間が無駄になるじゃろ……」
そういいながらガセ爺は、手帳に高速でペンを走らせている。
「なにをしておるのだそれは?」
「…………よし。お前さんは分からんでもええ。これを抱えて、先を向こうにむけるんじゃ」
ダグ爺の腕の中に白い光が現れ、それが巨大な一本の白い柱のようなものに変化する。石灰質のような、白くサラサラした手触りで、細かく面をとったように筋が真っ直ぐ入っている。
「しっかり押さえておけよ? 起動するからのう。歯もしっかり噛み締めておくんじゃぞー」
「お、おい! これはなん ─── 」
ズッドゴオオオオォォォォンッ‼︎‼︎
空からいっぺんに雷が落ちて来たような、猛烈な爆発音と光、そして衝撃波にダグ爺のほおが持ち上がる。
周囲の灰や枯れ葉を巻き上げ、揺り戻しの風がつむじ風となって、空に昇ってゆく。
唖然としていたダグ爺も、少し遅れて木々が数本倒れる音で、我に返った。
「バッ、バカモンッ‼︎ 先に説明ぐらいせんかガイセリック! 痛っ、肩が外れたではないか!」
「そんなヒマなかったんじゃ。ほれ、回復薬じゃ飲んでおけ。ツケでいいぞ? わはははは!」
さすがのダグ爺も、怒りに任せてガセ爺のほうをつねり上げるが、本人には全く響いている様子はない。
反省を促すことをあきらめ、上を見たダグ爺の動向が、キュッと絞られた。
「な? 先手必勝じゃろうが。向こうさんも頭に血が昇って、向かって来ておるな! わはははは!」
「クククッ、住処となった崖ごと破壊したか! 血相を変えて飛んで来ておるわ!」
「あの巨体で、森の中に戦いに出張るとか、アホアホの骨頂じゃな。わははははは!」
見晴らしがすっかり良くなった樹海の先に、断崖絶壁の岩山が見える。そこから灰色の巨大な影が羽ばたきながら、真っ直ぐに降下していた。
「ところでさっきの白い柱はなんだ? とんでもない衝撃であったが。あれも武器なのかガセ爺よ」
「あれは破城塞槌てってな、まだ妖精王の国にいた時に造りはしたが、あっぶな過ぎてボツにしたやつじゃ。誰ぞか若いのが『オレが引き継いで完成させます!』とかいってメモっておったがな。無理じゃろうな! わはははははは!」
「なんちゅうもんを持たせたのだ……なんちゅうもんを」
「城門破りの槌があるじゃろ? 面倒でこざかしいから、城塞丸ごといけたらええじゃろうと思ったんじゃがなぁ。撃ち手がまあ、もたん」
ダグ爺はため息をひとつ、ついでに外れた肩をハメ直して、回復薬をグイッと飲み干す。ガセ爺はやや後方に下がり、姿勢を低く、脚を広げて立つ。
「さて、どう料理してくれようか?」
短槍を二、三度、地面に向かって振り下ろし、小気味の良い音を立てると、ダグ爺はニヤリと笑って空を睨む。さすがの『双燼』も、先ほどの一撃がこたえたのか、直接襲い掛からずに、少し離れたところに滑り込むように降り立った。
ゆうに40met(1met=1m)は超えているだろうか。灰色の巨体が地面を揺らし、木々を巻き込みながら、地面を爪で削りつつ停止した。
他の龍種のように、四肢と別に翼があるのではなく、コウモリのように広げた指に手膜が張られた構造。身体は細長く、尻尾もネズミのように細長い、鞭のような形状。そして、名前にある通り、二股に別れた首の先にそれぞれ別の意思を持って動いている頭。目は爬虫類に似たものではなく、昆虫の複眼のようにガラス質の膜の奥に粒が並んでいる。
下顎もやはり他の龍種とは違い、ヤゴのように折り畳まれた薄い顎を、シャキシャキと伸縮させている。
昆虫。龍種というよりは、昆虫に近い、しかし、どの生態系にも当てはまらない存在。ただ、これだけははっきりしている。
龍種とは明確な生物学的特徴があるのではない。超自然的に生まれる、魔獣でも魔物でもない、強大な畏怖すべき存在。そしてこれは、紛れもなく、龍種たる力を持っている。
「この体格、この造り。ならこれがイイじゃろう! ほれダグ爺よ、今回はおまけで二本にしてやろう。わははははは!」
その二振りの剣は、先にいくほど緩やかに太く、先は真っ平で鎌のような反りが前に向いてつけられている。一見薄手に見えるが、それは斧のように幅広いために、厚みが薄いような錯覚が起こっているだけ。実際は縦に長い斧のようなものである。
「これはもしや『龍殺し』か? 確か北方の英雄が使っておったのと似ておる」
おほっ、さすが軍神じゃなぁ! そう、それは巨大で硬いもの相手に、最大の殺傷力を生み出せる形状じゃい。ここでの暮らしで、森の中でも振り回せんかと思って造っておった試作品よ! 切れ味は保証するぞ? わははははは!」
『双燼』はまだ動かない。それもそのはず。怒りに任せて飛び込んで来たは良いが、40metを超える巨体では、回りの木々や溶岩石に囲まれたこの場所では、首を回してブレスを狙うしかない。
しかし、首が二本あるが為に、狭く遮蔽物の多いこの場所では、思うように動かせない。本来彼らは、空で覇権を握る進化を遂げている。
一度大地に降りてしまえば、飛び立つにはそれだけの拓けた場所と、開いた空が必要になる。
「これだけ針金のように細い身体にしとるんじゃ、自力で飛ぶために軽量化しておる。飛ぶのに魔力は、存分には使えておらんじゃろうなぁ」
ガセ爺はニヤリと笑い、懐から魔石のようなくすんだ色の石を取り出し数秒数えてから、『双燼』の頭上の少し離れた場所に投げ込む。
パチッと音がした直後、そこに断続的な閃光が明滅を繰り返した。
昆虫と同じ複眼でそれを注視した『双燼』は、膨大な数の個眼に、強烈な光の刺激を焼きつけられて思考を刈り取られる。
苦し紛れに片方の頭が、無闇にブレスを吐こうとした瞬間、ガセ爺は叫んだ。
─── 【ノーミードよ蔦をとれぃッ!】
ドワーフが懇意にしている土の精霊。その中でもそれほど大した加護を持たぬ、弱小の精霊は、契約主の願いに全力を尽くす。
大地から無数のツタが伸び、『双燼』の足を地に縛りつけると同時に、もう一方の首をつかんでブレスの進路に引き込んだ。
ボッシュウウゥゥゥ ─── ッ!
強烈な閃光と共に、『双燼』の首に並んだ排熱のエラが口を開ける。魚類のように、充血したひだが並んだエラが、必死に開こうとする様は生物としての必死さを感じさせる。
破壊のブレスの照射から数秒遅れて、『双燼』のもうひとつの首が、粉となって地に落ちた。
「やぁっぱりノーミードは頼りになるのう! これでこやつは『双燼』から『燼』にランクダウンじゃな! わははははは!」
耳を塞ぎながら、そう勝ち誇るガセ爺の前で、『双燼』は耳障りな甲高い叫び声を上げ、大地で身をねじるようにのたうち回る。
その横で完全に雷光の目眩しをくらい、轟音と『双燼』の巨体が全力で出す叫びに、耳がやられていた。両手に名剣をにぎったまま、立ち尽くし、何度も『だから先に説明をしろと』と呻いている。
「ほれ、好きだらけじゃぞ! 少しは仕事をせんかダーグゼインよ。かかれ! わはははは!」
結局、回復したダグ爺により、『双燼』の残りの首が落とされ、今回の『双燼騒動』は幕を閉じた。その帰り道、延々と続くダグ爺の雷光の如き説教と、それを聞かずにつねられるガセ爺。
『ほれ、回復薬じゃ。期限を直せ。ツケにしといてやるから! わはははは!』が決め手となり、とうとうキレたダグ爺は、ガセ爺の頭部を押さえ、ひたいに拳グリグリの刑をはじめた。
その様子に森の強大な魔物たちは、静かに関わらぬように立ち去っていた。
ガセ爺はやっぱり聞いていないし、効いてなかった。
※
「おう、セラ婆、起きとるか? 寝とるか? じゃ入るぞ! わはははは!」
そういってノックをしながら扉を開けるガセ爺。それで起きたセラ婆に、後ろからついて来たダグ爺が、なぜか一番申しわけなさそうにしている。
「ほれ、お土産じゃい! これを飲め、今すぐのめ、やれ飲め! おかわりもいいぞ! わははははは!」
そういいながら、セラ婆の口に小瓶を差し込もうとするのを、ダグ爺がはがいじめにして止める。セラ婆は起き上がる力もないのか、横になったまま、その小瓶を一口ずつ小分けに飲む。息苦しそうに、飲み込むのも辛そうな様子で、だんだんとガセ爺の表情が暗くなってゆく。
オロオロし始めて、ダグ爺に振り返った時、衣擦れの音がした。寝台の上で身を起こしたセラ婆が、残りの薬を飲み干していた。
「この薬は……」
「おお! 顔色が段違いじゃ! 効いたのう、さすがは万能薬じゃな! わははははは!」
「万能……薬……?」
セラ婆は不思議そうに、空の小瓶を眺めた。
「なに『双燼』を討伐してな。黄玉肝が手に入ったのだ。シモンも不在だったが、さすがはアーシェ婆だ。蛇王の逆鱗、百壊の結晶とやらを混ぜてな、すぐにこの万能薬を作ってくれたのだ」
「黄玉肝、蛇王の逆鱗、百壊の結晶……。そうですか……」
「なぁんじゃ、元気になったんなら儲けものじゃろ。どーせまた迷惑をかけてしまったとか思ってるんじゃないのか?
わしらがやりたくてやったんじゃ、素直に元気になっておけ! お前さんは元気で笑ってるのが一番なんじゃ! わははははは!」
ガセ爺の言葉で、セラ婆は正気に返ったように目をパチクリさせて、微笑んだ。ふたりに深々と頭を下げて『ありがとう』と礼をいう。
「そんなにホコリだらけになって……。大変だったのですね、『双燼』との闘いは……」
「いや、これは万能薬のレシピを書いた手帳が見当たらずに、アーシェ婆の部屋を探してな。あの部屋はさすがに魔窟だな。いつから整理をあきらめたのか……」
結局、レシピは見つからず、薬はアーシェ婆の記憶と、思考力の超絶高速化の術式で完成にこぎつけた。
「ふふふ。ありがとう。本当にありがとうございます。おふたりとも」
ふたりはそろって頭をかきながら、急に照れくさそうにして、『もう少し寝ていろ』と部屋を出ていった。
※
「いや〜しかし、上手くいったのう!
すまんかったなダグ爺よ。ありがとう、感謝する!」
セラ婆の家から出て、しばらく歩いた時に、ガセ爺は突然立ち止まった。そして珍しくストレートに感謝の言葉を口にし、深く頭を下げている。
「おうおう、やめてくれガイセリックよ。儂はなにもしておらんよ。最後に『双燼』の首を落としただけ、アレを追い詰めたのもお前だろう」
照れくさそうにそう返したダグ爺に、ガセ爺は頭を下げたままいう。
「あいつが具合悪くなるなんざ、初めてのことでな。心が原因のことは、もう何百年も前にあったが、まさか風邪をひくなど……いろいろと焦っておった。お前さんに、色々と説明もできんかった」
「ふはははは! なに、アルの奴が居なくなってから、儂もくすぶっておってな。今日は久しぶりに楽しい一日であったよ」
ふたりの絆は、人類では経験のできない、長く長い時間を重ねている。普段は共同生活をする隣人のようなものだ。
しかし、自分を長く、これまでの変化を含めて、知ってくれている相手がいる。これは少し個性の異なった、もう一人の自分がいることと同じ、永年の孤独の払拭。
ふたりはどちらから示し合わせるでもなく、熱い握手を交わしていた。
「 ─── あれ? ふたりともどうしたんです?」
と、そこに旅装のシモンが通りがかった。少しやつれ、疲れた顔をしている彼に、ふたりは笑顔で迎え入れる。
「「おかえりシモン!」」
「あはは、ただいま。こんな時間に外にいるなんて珍しいじゃない。それにそんなに汚れて。何かあったんですか?」
何があったか。今日一日の武勇伝を抱えたふたりは、競うようにシモンに聞かせた。セラ婆がどうなって、何を倒して、誰とどんな薬を作ったか。
そして、セラ婆が回復したことを。
「えっ、治った……んですか」
月明かりのせいだろうか、シモンの青白い顔から、さらに血の気が失せたように見えた。
「おう! もう全快のピンピンの、ビッキビキじゃ! まあ、この里の三賢人が手を合わせたからのう! わははははは!」
ダグ爺、アーシェ婆、そして自分を三賢人と豪語した男は、豪快な笑い声をあげた。
「あ、俺、この荷物を置いたら、またすぐに戻らないといけないんだ。ごめんね、また後でね」
そういってシモンは、足早に自宅へと向かった。
「……のう、ダグ爺よ。今何かシモンの奴、おかしくなかったか?」
「うん? シモンがか? まあアイツはいつもおかしいじゃろ。どうせ筋肉痛が辛いとかじゃないんか? まあ、今日はくたびれた、また明日にな! わははははは!」
そういって歩き出すガセ爺の背中を、ダグ爺は月明かりの下で、見送るように立ち尽くしていた。
※
─── 一方、寝台に腰をかけたままのセラ婆
彼女は思案していた。
己の身に起こったことを。
「黄玉肝、蛇王の逆鱗、百壊の結晶……。確かにあの味や効力は、その通りでした。
あれは『万能薬(エリクシル)』ではなく、『解毒薬(アンティド・レガリエ)』
まず万能薬では風邪は治せない。
解毒薬でも風邪は治せない……」
自分の手の平を、何度か握っては閉じ、そうして繰り返しながら静脈の様子を見る。
「確かにあれは、『解毒薬(アンティド・レガリエ)』でした。おそらくアーシェスの解釈違いから生まれた、レシピ選択の失敗です。彼女は小難しいことほど、おおざっぱに突き進む」
遠くでフクロウの鳴く声が聞こえる。それまで不安に縮こまっていた彼女は、その寂しげでよく通る鳴き声に背中を押された気がした。
考えろ、と。
「まず万能薬では風邪は治せない。
そして解毒薬は、無毒の状態の者が口にすると、深刻な臓器不全を引き起こす
つまり天
─── 私の中に、毒が入っていたということ』
神の手の如き、奇跡の解毒効果を生み出すこの薬は、無毒の状態では劇薬である。それは毒に侵された肉体を、強制的に浄化するため、不要な場合には正常な部分にすら攻撃するからだ。
万能薬でも、解毒薬でも、微生物由来の風邪は治せない。
権能によって、正常な健康を保たれるはずのセラフィナ。彼女の知識からいって、誤食や食中毒は考えられなかった。
「誰かが……盛った……?」
遠くでフクロウがまた鳴いた。まるで思考を読み、相槌を打っているかのようだった。
ここまで読んだ
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